# 壊された自転車
僕という人間の人生には,体力的な限界を示す,いわば”HP”のような指標とは別に,精神的な余裕を示す,言ってみれば”MP”というものになるのだろうか,とにかく2種類の指標があると思っている.
MPの解釈をもう少し詳しく伝えると,その上限値は”器の大きさ”を示すようなものである.そしてMPは自分が想像していなかったことや気に入らないこと,いやなことが起きるたびにどんどん減っていく.だから器の大きな人間はMPが多少減ろうが”かまへんかまへん”と言って受け流すことができるけど,そうではない僕はMPが0に近づくのが早く,近づくたびにイライラしたりしてしまう.これはあくまで僕が生きている世界の話.
先日,東急東横線綱島駅で僕の自転車がボロボロにされていた.一晩駐輪していただけだったのに朝来てみると,前輪がひしゃげていて車輪止めにカッチリ決まっていて,取り出すのも一苦労といった状態だった.
警察の人に相談したところ,車輪止めの間隔がとてつもなく狭いため,隣に駐輪しようとした誰かが無理に駐輪しようとした結果,僕の自転車に無理な負荷がかかりあのような状態になったのでは,という見解だった.そんなに力強く自転車を停められる人間がいるのか,と疑わずにはいられなかったが,綱島駅はとかくこういった事例が多いのだと,港北警察署のお巡りさんは言った.近辺に監視カメラもなかったため推測の域を出ないが,他にできることもないので納得するほかなく,泣き寝入りするだけであった.
今日修理してもらった自転車を自転車屋さんに取りに行き,修理代の5000円を支払った.泣き寝入りしたという事実に僕のMPは激しく消費したが,自転車屋さんが工賃を割引してくれたのでちょっと和らいだ.
交換してもらった前輪は前のものと比べて軽量化されていて,走っていて気持ちよかった.やっぱり新しいものに触れることはとても楽しい.だけど走りながら世の中を眺めていると改めていろんな人がいる.一時停止を無視して突っ込んでくるバイクや原付,歩行者・自転車の直進を遮ってはいけないはずなのに我が物顔で直進してくるあいつら.僕と危うく衝突しそうになったところで”てめえどこ見て走ってるんだよ”と言わんばかりの舌打ちとにらみつけ,僕のMPはまた激しく消耗する.そんな中追い打ちのように振り付けてきた雨.もうボロボロになってしまった.この言葉たちはそんな雨にあたりながら思いついたもの.
世の中は残酷だと思う.人間一人ひとりが自分の欲求を満たすためだけに生きていて,誰かのために動けたり周りに気を配れる人は思ったより少ないのだと思う.かくいう僕だってそのうちの一人であると思うし,きっとどこかの誰かの迷惑になり僕自身が誰かのMPに大きなダメージを与えていることだってきっとある.とても申し訳ない気持ちになるし,その分誰かの幸せに貢献したいな,と思う.僕という狭い世界の系でMP収支を合わせるようなイメージ.
だからMPの最大値を鍛えるように様々なことを経験し,器自体を大きくするように成長する.多少迷惑なやつがいても,”しゃーないしゃーない”と笑えるような大きなカッコいい,そんな大人でありたい.
こうやってぐちぐち考える時間も,悲しい出来事も,つらいことも,全部自分の糧となって,MPの肥やしとなって僕になる.
と自転車が壊れた話から発散させた,僕という狭くとも賑やかな世界のお話.
文章を書いてみて,”言語化されて気持ちいい”という気持ちや起こった出来事が客観視でき,”あれ,思ったより大したことない”と思えるようになり,MPはかなり回復した気がした.やはり書くという行為にはそれなりに意味があるのだろう.
似たような状況でつらく思っている誰かのMPも回復できてたらもっと嬉しいなぁ.
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