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ある日のスピーチ原稿

このnoteは、7月2日にあった、コエールというイベントでのスピーチ原稿になります。ひっそりと原稿をnoteに上げてみます。普段は滅多にこういうことを書かない・話さないのですが。記録として残します。

以下原稿
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タイトル:頼れる大人とは?

今日は、「虐待を受けて育ったある男性の体験談」としてではなく、吉住海斗という、一人の人間として、今の僕を見てもらうためにここに立っています。


「もし、明日死んでしまうとしたら、あなたは何をしますか?」


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今の僕なら、例えばお寿司を食べたい、例えば一度は行ってみたかったあの場所に行ってみたい。そんな、「希望」を思い浮かべると思います。

しかし、僕には、そんな小さな「希望」を
思い浮かべる気力すらない時期がありました。

 僕の家族は、いわゆる「ステップファミリー」でした。両親はどちらも再婚で、半分に分裂した家族同士がくっついたような形でした。僕は4人兄弟の3番目でしたが、兄弟同士で父親が違っていたり、自身も虐待を受けて育った母親の存在、そんな複雑な家庭環境の中で、物心がついた時には、日々積み重なる大きな違和感に心が追い付かず、「どこにも居場所がない」と感じていました。

 精神的な負担に加え、毎日の暴力。学校にも行かせてもらえず逃げ場がない。そんな絶望的な日々の中で僕は、「明日 死ぬかもしれない」と思って毎日を生きていました。

 しかし、当時の僕にとっては、「明日死ぬかも」という思いの裏にあるのは必ずしも「恐怖」や「絶望」だけではなく、「明日にはこの生活から解放されるかもしれない」というぼんやりした期待でもありました。そんな状況では、自分が何をしたいのかもわからない。生きていたいのかも分からない。ただ、受動的な日々を送っていたんです。


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 そんな僕の人生に、転機が訪れます。
中学校に入学して半年ほど経った時です。

当時、担任の先生はなかなか学校に来ることができない私を、日ごろから気にかけてくれていました。そのこと自体、僕にとってはありがたかったです。

でも、ある日その先生は、普段の授業にも学校行事にも参加しない自分に、「あなたは学校に来たいのか」「行事に参加したいのか」という、僕自身の意思を聞いてくれました。

思い返せば、流されるままに、ただ毎日をやり過ごすように生きていた僕にとって、「自分はどうしたいのか」を考える気力はその頃には既になかったように思います。

もちろんそれまでも、アザだらけの体を見て声をかけてくれた人は沢山いました。でも、「自分の意思」を聞いてくれる存在はいなかった。その先生との出会いは、僕の人生の中で初めての希望でした。

両親が逮捕されるかもしれない?
なんて思って誰にも言えなかったコトを、自分の人生を生きていいと言われたような気がしたのです。 当時の私にはそれがあまりにも嬉しかったのを覚えています。


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 それから、これまで家庭の中で起こっていた全てを話しました。先生は丁寧に聴いてくださり、「私がどうしたいか」を尊重しながら一緒に解決策を考えてくださいました。

そうして私は児童相談所の一時保護を経て、児童養護施設に入って生活する日々が始まったのです。施設に入ってからの生活はお世辞にも楽しくはありませんでした。ルールも沢山で毎日が窮屈でした。

それでも一番変わったのは、「明日死ぬかもしれない」という日々から抜け出せたことです。 

 今こうして、私がここで話せていること。大学に通い、勉強できていること。仕事ができるということ。「フツウ」と言われるような毎日を送れている、「ただそれだけで」僕は、以前なら持てなかった「希望」を持つことができます。人は可能性で満ち溢れているのだ、と大志を抱くことができます。

なぜなら、あの日 先生に巡り合うまでの「絶望的な状況で生きてきた自分」は、自分が大学で学べるなんて、仕事が出来るなんて、想像する事も出来ず、ましてや「人は可能性に満ち溢れている」なんて、とても思えなかったからです。


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今日、この場で僕が伝えたいのは、
ふたつだけ。

「人は生きている、ただそれだけで可能性に満ちている。一方で、生きている、ただそのことが、知らず知らず誰かの可能性を奪う危険性も秘めている」 ということです。僕や、他の人の「体験談」は他人事ではなく、いつどこで自分が加害者、被害者になるか分からない「自分ごと」であるということです。

 虐待をはじめとする様々な問題は、未来の私たちが創り出します。虐待や親を頼れない問題は、いつでも自分の背中に迫っていて、それはすごい勢いで、同じ過ちを繰り返すように誘ってきます。負の吸引力です。だからこそ改めて、今ここにいる私たちが自らの意思を持って、主体的に、可能性を信じて生きていかないといけないと思うのです。

 負のブラックホールのようなものに吸い込まれそうになったとき、そのたびに、中学校の先生や施設で出会った職員さん、友人、本当に沢山の人が「そっちじゃないよ」と導いてくれて、支えてくれて、そのおかげで今こうして前に立つことができています。


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夢もあります。
やりたいこともたくさんあります。
今なら、「生きていたい」と
胸を張って言えます。


僕は、「子どもに期待してもらえる大人になりたいな」と思います。あの人ならなんとかしてくれそうって、自分が出会ってきた、そんな人の共通点は「前向きに精一杯に生きてる人」でした。

僕がそんなパワフルな大人たちにきっかけをもらったように、 今度は自分達が前向きなパワーを作り出し、誰かにきっかけを与える番だと思っています。

 忙しい日々で、置いてきてしまった気持ちを、このスピーチで拾って届けることができていたら幸せです。やってみたかったことに挑戦したり、一生懸命なその、あなたの姿がきっと子どもにとっての前向きなパワーにつながると信じています。

今ここにいる私と、あなたが今日から一歩を踏み出すためにできることは、自分の可能性を信じて行動することではないでしょうか?

やってみようと思っていたあんなことやこんなこと、トライしてみてください。それはきっと巡り巡って誰かのためになります。




原稿はこれで終わりです。
この文章は、書くのを手伝ってくれた人の文章でもあり、自分という人を支えてくれた人の文章でもあります。書ききれなかった大切な人たちが沢山います。本当に、ありがとうございます。



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最近何してるの?と言われるので
簡単にまとめて
このnoteを終わりにしたいと思います。

最近は、クラファンでお金を集めて
自分で会社を作ったのですが、お世辞にもうまく行ってません笑

でも、細く長くやっていきます。

合同会社トンボという会社を作りました。グラウンド整備するあの、トンボを由来としています。「ならす」ことをミッションにしてます。なので、幅広く誰かが感じた凸凹をならしていきます。

これらを踏まえて、
今は自分が育った児童養護施設の凸凹をならしています。いや、、ならそうとしています。「ALLHOME」っていうサービスです。よかったら覗いてください。

また、細かいこととか、あなたのお話とか
沢山聞きたい&お話ししたいです。

読んでくれてありがとうございました。

いただいたサポートは、学生として勉学のために使わせていただきます。