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変わらない暮らし#1

耕したり肥料を撒いたりせずに作物を育てる自然農法を用いてお米を作りたいと加茂地区の古敷谷へ移住したダニエル・コックスさん。農業だけではなく、加茂地区の暮らしの文化を残す体験、KAMO Folk Schoolもはじめている。アメリカで生まれ育ち、東京で働いていたダニエルさんが、なぜ市原市でこのような活動を始めたのか、田んぼの前でお話を伺った。

市原市との出会い

開宅舎 小深山(以下Kと示す):ダニエルさんはぼくよりも日本歴が長いと聞きました。

ダニエルさん(以下Dと示す):わぁお。ぼくは18くらいのときにはじめて日本に来て、そこからずっと日本にいるからもうすぐ30年くらい日本にいることになるね。

K:ぼくが今27なので、ほんとにぼくより日本歴が長いです。日本に来たきっかけってなんだったんですか?

D:大学で言語を勉強していたんだよね。日本語って面白いなぁって。英語の文法と真逆じゃん!ってなって。ひらがながあってカタカナがあって漢字があって。留学で日本に来てマンネリしたら帰ろうと思っていて今に至るって感じ。

K:え!それからずっと!

D:深い日本の文化や歴史に触れて、毎日何かしら出会いがあって最高なんだ。大学院を卒業して、日本のメーカーに就職したんだよ。そのときはじめて東京に行ったなぁ。それが97年だね。メーカーで働いて、コンサル会社で働いて、そのあと金融や証券会社、投資会社を経て、そこから自分の会社を起こしたんだよ。

K:東京で仕事をしているビジネスマンの生活と加茂地区の生活ってすごくギャップがあると思うのですが、何がきっかけでこういう自然に興味を持たれたんですか?

D:ぼくは大学生のときに兵庫県の丹波篠山の米農家さんの家にホームステイをしたんだけど、その人たちがめっちゃめっちゃ優しかった。いずれはこの人たちのような生活をしたいと思っていたんだ。都会はギラギラして楽しくて、遊びにはいいんだけど、本質は違うというか浅いんだよね。やっているのはお金のためなのか、名誉のためなのか、出世のためなのか、浅かった。それから田舎を探したんだ。どこでも行ったよ。ちょっといいかなって思うところはあったんだけど、決められなくて。農業やりたいって人を受け入れているまちってあんまりないんだよね。東京の家から車で3時間くらいの田舎はだいたい行ったね。

K:そこで市原市とご縁があったんですか?

D:コロナであまり外に出れない中、息子と釣りをよくしてたんだよね。大きい湖で釣りたいってなってGoogleマップで調べたら、高滝湖ってところがあるってなって。じゃあこっそりそこに釣りに行ってみようってなったんだ。それで来てみたら、ボート乗り場のおじちゃんたちが優しくて優しくて。息子をとってもよくしてくれたんだ。そのときここって面白い地域だなって思ったんだよね。それから加茂地区に通うようになったんだよ。いっとき毎日来てたなぁ。湖プラスちょっとした遊びとして養老渓谷にいったり、大多喜のほうに行ったりしてて、この地域の魅力をもっと感じたね。

K:市原市との出会いは釣りがきっかけだったんですね。

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D:それで市役所に行って農業できるところを探そうってなって。市役所の農業委員会の事務所に「こんにちはー。農業やりたいんですー。」って言いに行ったんだ。市の人も五井で農業始める人だと思ったんだよね、きっと。ちなみに、どこでやりたいんですか?って聞かれたから加茂地区でって言ったら「え!?加茂地区!?五井じゃないの?」って。加茂地区で新規就農したい人だとは思ってなかったんだろうね。その足で農業センターを紹介してもらったんだ。

K:お〜。話がはやいですね。

D:そしたら今度そこの人が、去年加茂地区で新規就農した人いるから今から会う?って。は?今!?ほんとにここはジャパンか?って思ったね。もちろんぜひお会いしたいですって言ったよ。今からってすごいよ?普通ジャパンの行政ってちょっと1度検討させていただきますってなるじゃない?ここはアメリカか?って思ったよ。そこで紹介いただいたのが、星野さん。すごい盛り上がったんだよ。そこからまた彼が土地改良区の理事長渡辺さんを紹介してくれて。1週間後くらいに連絡くれて、農業ができそうな場所があるから見に行くかって古敷谷の土地を紹介してくれたんだ。そこで家も一緒に買わせてもらって、今に至るって感じ。

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自然農法

開宅舎小深山(以下K):自然農法という方法でお米を作ると聞いたのですが、自然農法ってなんですか?

ダニエルさん(以下D):トラクターで天地返しをせずに、農薬をまかないでお米を作る方法だよ。不耕起栽培とも言ったりするんだけど、不耕起栽培がいい理由は炭素を排出しないこと。植物は子孫を残すために土に栄養を与えるんだけど、耕すことで栄養が炭素として逃げちゃうんだよね。あとは耕すと雑草が出る。みんな耕せば雑草が生えなくなるって逆のことを思うよね。でも耕した瞬間に10年前や20年前に飛んできた種が起きてくるんだよ。太陽が当たって気持ちいなって。耕してるとこれがずっと続いていく。でも耕さずに4,5年経てばこの種たちが出尽くすんだ。お兄ちゃんが出たから、ぼくはまだ、ぼくが出たからいとこはまだ、って出られるのに出ない種があるから、そのサイクルに載せるまでに時間がかかるんだよね。

K:そうなんですね。耕やしたり、農薬や除草剤をまいたり、いわゆる一般的な農家さんがやっていることと逆のことをしてるんですね。



D:自然界に茶色い土はなくて、絶対に何かが入ってる。顕微鏡で見ると何百種類の種が土にはあるんだ。それを全部出してあげて、米と麦と仲良くしてくれる雑草だけが育つ土壌を作るのが自然農法。伸びてきた雑草は切るんだけど、切ったあとの草とかイネはそのままにすることで、微生物のエサになるんだ。そのままにしておくと、来年耕すときに機械に詰まっちゃうよって言われるんだけど、本来は1年で分解されるはず。なんで分解されないかっていうと、地中微生物がみんな農薬で殺されちゃってるんだ。自然のサイクルが壊れているから分解できない。農薬をまかないでエサを与え続けると分解できるようになる。耕さない、刈った草をそのままにしておく。単年ではなにもならないけど、時間が経てば分解した草が有機物となって、土の中の炭素埋蔵量が増える。そうすると田んぼが炭素の究極の蓄電池になるんだ。ぼくは古敷谷の田んぼをそのサイクルに戻そうとしてるんだよ。

地域の人たちの協力




D:最初、田んぼはすごく荒れてて、畔(あぜ)なんて見えないし、田んぼの半分くらいは沼になっていたし、猪に荒らされていたんだよ。

K:耕作放棄地だったんですね。

D:それを渡辺さんたちのチームが15人くらいほぼほぼ毎日来てくれて、田んぼをできる状態にしてくれたんだ。この地域のいいところは何かをしたいと言ったとき反対はしないこと。自然農法をやろうと言ったとき、他の地域ではバカじゃないの?って反対されるって聞いたんだけど、この地域はそんなことはなかった。

K:この辺りで自然農法でお米を作ってる人を聞いたことないし、地域の人はどう感じるんだろうって気になってました。

D:好きなようにやれば?納得するまでやれば?って。俺はやらないよ。でも君がやるなら手伝うよ。君はどういうふうにやりたいの?って聞いてくれて、こんなに優しい人たちがいるんだって思ったね。アメリカじゃありえないね。普通ぼくみたいに外からきたよそ者が、今まで自分たちがやってきた別の方法でやろうとしてたら、勝手にやれで終わる話だよ。関わってみて、この地域の温度感や雰囲気、距離感がとても好きになったね。


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