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自己紹介「四足の草鞋(わらじ)で市民ランナーをサポート」vol.2 ランニングコーチ(前編)

ランニングコーチ(指導者)、トレーナー(治療家)、インソール職人、マラニックなどランニングイベントのプロデューサーという四足の草鞋で市民ランナーをサポートしておよそ15年になります。保険、マスコミといったスポーツとは関係のない仕事から転身しての起業、開業でした。ここまでやれているのは、自分のランニング愛と、市民ランナー一人一人の悩みや課題、目標に寄り添う伴走者としての使命感の賜物であり、お声をかけてくれるご愛顧に感謝しております。

「何としてでも完走したい」、「まずはしっかり治したい」、「サブフォーを達成したい。」、「末永く走ってゆきたい」、「遅くても長く走れるようになりたい」・・・。さまざまな思い、さらに走る身体と心は皆違いますから解決策も多種多様で、そこに問診やカウンセリングの重要性と面白さを感じます。
今まで、ランニングフォームも施術もオーダーインソールも、完璧と思えたことはありませんが、それぞれのランニングにきっちりと向きあう姿勢だけは変わらずに大切にしております。

自己紹介として四つそれぞれの道のりを紹介させていただきます。今回はvol.2、ランニングコーチ編です。


100㎞ウルトラマラソンへのチャレンジで知るトレーニングメソッド

自らのランニング障害“足底腱膜炎”はオーダーインソール職人のきっかけであり、ランニングコーチになるきっかけにもなりました。3回目のフルマラソンで何とかサブスリー(フルマラソン3時間切り)を達成した代償が足底腱膜炎です。
思うように回復がみられない中で心を惹かれたのが100㎞ウルトラマラソンでした。速さの追求は諦めてこれを完走出来たらマラソン、ランニングを辞めようと決心してリハビリに励みます。
1997年10月に四万十川100㎞ウルトラマラソンに初チャレンジ、完走を果たします。故障から8年の歳月でランナーとしては別人に変身していました。
効率の良いレース展開・ペースを計算し、心拍数を取り入れた緻密な練習は、アバウトなランニングから、理論的、科学的に体を創るトレーニングへの転換です。ランニングは、やり方次第で良いパフォーマンスを出すことや、故障リスクを軽減できることを、身をもって経験したのです。

四万十2

スノーボードの経験で知るランニングフォームのテーマ

ウルトラマラソンを完走した私は本気でランニングを辞めるつもりでしたので、ランニングに代わる新たな趣味、スポーツとしてスノーボードをはじめます。仙台に赴任していた時期ならではのレジャー経験と思い、寒がりでスキーも苦手でしたが、若い仕事仲間に誘われてのデビューでした。
最初は遊び付き合いという気持ちだったのですが、滑れないことには仲間と過ごす時間も楽しめずに寒いだけなので、何とか人並みに滑りたいと必死になりました。教則本を読みあさり、やがて一人でもゲレンデに赴くようになり、リフトの上から他人の滑りを熟視することで気がつきます・・・滑走フォームは皆違うこと、体の使い方は幾通りもあること、そして速さや美しさにつながること。
これがきっかけとなって、ランニングフォームのメカニズムに興味を抱くようになり、「重心移動をいかに効率的に行うか」がフォーム指導の原点になっています。

指導することの魅力、山西哲郎先生との出会い

さらにスノーボードの経験は、“人に教えることの魅力”を知り、指導者を志すきっかけになりました。仙台を離れることになり、思い出づくりとして受けた検定試験、いわゆるバッジテストで3級、2級を順調に合格したものの1級を取れずに春を迎えて東京へ帰任します。置いてきた忘れ物を取りに帰る思いで冬になると毎週末雪山へ通って2年、やっとのことで1級(C級インストラクター)の資格を得ることができました。
検定を受けるには事前の実技講習の受講が必須です。大概のスキー場にはスキー、スノーボードの教室があり、講師スタッフは来場者の初心者教室を開いたり、検定の指導、監督をしたりしています。そうした人たちに接しながら、「ランニングではこれと同じように、一般市民に教えている所はあるのだろうか?・・・有っても良いはずだ!」という思いを抱きます。

スノーボード2

2003年の夏、雑誌ランナーズのイベント情報で告知されていた「全国ランニングセンター車山高原ランニングクリニック」が目に留まり、迷わず参加します。性別や年齢を問わず全国から市民ランナーが集い、そして指導が繰り広げられていることに感動し、「これをやりたい」と決心します。この合宿研修への参加はその後も続き、数年後は指導者の立場になりました。
そして、この研修指導の長を務められていた山西哲郎先生との出会いとその教えが、今もなお私のランニングサポートの参考書になっています。
山西哲郎氏の経歴は述べるまでもなく、日本のランニング文化、陸上界の礎を築いている第一人者の一人です。私がいつも山西先生から授かるのは、自身(心と体)と周囲(自然、環境すべて)との調和を保ち続けるランニングの探求心です。今もなお、雑誌『ランニングの世界』の責任編集者と編集委員の一人としてお付き合いさせていただいております。

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