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短編小説 社畜と猫

私は真面目だ。

サラリーマンを続けて10年、この10年何があったと聞かれると正直困る。

仕事はしている、世の中を回している1人かもしれないが俺が明日いないくらいで困らないだろう、むしろ困るのは生活できなくなる私だ。

朝の9時に出社して23時に帰る私を世の中は社畜と言うのだろう。
月に忙しい日は2日間会社に泊まる日もある。

営業とは名ばかりで実際は資料作りもプレゼンもやっているのでやる事が多いのだ。

こんなんだから嫁もいないし、家に帰っても何もない、殺風景な無趣味な生きているだけの部屋があるだけ。
なので仕事はいつも私に振られる。
上からも下からも。

趣味とは何か、休日とは何か、疲れているから遅くに起きて家事して1日終わっている気がする。

ある休日の昼間ベランダで首輪のついた猫に会った。

どうやら隣の部屋に住んでいた老夫婦が事故で亡くなったらしく遺品整理の業者が捕まえようと追いかけ私の家のベランダに逃こんだようだ。

凛とした茶色の猫は背筋を正しこちらを見てきた。上品な立ち姿で私を笑っている様に見てくる。

隣の部屋から遺品整理の業者の声が聞こえる。

「どこいったかなぁ?保健所に連絡はまだしてないから捕まえたって事にして仕事終わらせてしまうか」

今外に出すとこの猫は処分されてしまうだろう
しばらく家に入れてそのうち外に離すか。

私は偽善ぶり猫を家に入れて次の日いつも通り出勤した。

「いつも通り私のもお願いね、2徹くらいできるでしょ」
「先輩、これわかんないんでやってもらっていいですか?」

上司、後輩にまたもや徹夜を指示される。10年もやっていれば毎日の日課の一部だ。問題ない。

夕方、私は大事な事を忘れてしまった。

猫に食事を与えていない、それどころか水も与えていないのだ。背中に冷や汗が滴れる。
命を守ったのに命を奪うのはおかしい話だ。
私は意を決して上司に

「申し訳ありません、どうしても用事があるので一度だけでも家に帰っていいですか?」

10年間こんな事言わなかった私が初め言ったのか上司はキョトンとして

「めずらしいな、帰ってくるくらいなら今日は家にいて明日早めに来たら?私が終電まで進められるだけ進めよう」

と言ってきた、申し訳ないが今は猫の事で精一杯だ。

帰り道で薬局で1番高い猫缶を買って帰る。
下手な物を食べさせて死なせてしまっては困る。

帰るとソファもなければクッションもない殺風景な部屋の中、私が畳んだ私服の上に綺麗に座っていた猫がいた。

私は猫を見て安堵し、食事と水を与えると猫は久しぶりの食事だったのか急ぎ気味で食べていた。後で聞いた話なのだが老夫婦が亡くなったのはこの日の1週間前だったので長らく食べていなかったのだろう。

平日の夕方の家に来たのは何年ぶりか。
窓からは夕日が沈みかかっているが家が赤い日に照らされている様子は新鮮で懐かしくもあり、心が和らいだ。

視線を感じるので見てみると夕日に照らされて綺麗なルビー色になった猫と目が合う。

お礼を言いたいのか猫は何度もこちらに鳴いていた。

私は少しずつ涙が出てきた。

私は卑怯だ。

もしこの猫がいなかったのなら私はいつも通り家に帰らず社畜だっただろう。この夕日も見ないだろう。

上司の仕事、後輩の仕事を都合よく代わりにこなしていただけだろう。どこかでわかっていた。きっかけが欲しかった。

私はこの猫を利用したに過ぎない。
行き場のなくなったこの猫を。

猫は私を見た後少しだけすり寄って再び畳んだ私服の上で凛と座っていた。そして昨日とは違く私を優しく笑っているような目で見てきた。

私は卑怯だ。
守るものが無ければ動けない。
これが真面目なんて言えるものか。
私は卑怯だ。


1ヶ月後私は辞表を出し、会社を辞めた。

今は田舎の実家近くでバイトと畑仕事を両立させている。

自ら進んでやる仕事がどんなに有意義か、空いた時間がどれだけ無限の可能性を秘めた時間かわかるのに時間はかからなかった。

私は真面目ではない、卑怯だ。

いつか今日もソファに図々しく寝ている茶色い猫とその子供たちに胸を張れる人間になれるようになりたい。










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