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劇団透視図旗揚げ公演『愛想回想』の話

(ピコピコ) ♪
一件の通知から始まった物語だった。研究室での実験中にLINEが届いた。反応に駆り出されていた手を止める。スマートウォッチの画面を見る。通知を確認する。「まあ誰かからのLINEか。」そう思って、腕をおろす。反応が終わって研究室のデスクに戻る。いつも通りの手順で、スマホの画面に目を落とす。焦点を合わせる。見慣れないアイコンの送り主に気づいた。3月の名前のない役者達で共演した、小椙優真からだった。
「音響オペを探している。」と。

彼とは、共演した当時から、「また何かで一緒にできたらいいね。」とか、「夏に劇団やるから来てよ!」という話をしていたことを覚えていた。しかしながら、4月から研究室で週5日、10時間の活動を余儀なくされる自分にとって、稽古に時間を圧倒的に持っていかれる演劇に参加することは難しいと思ってた。
「せめて、何かしら裏方をやって関わり続けたい。」はじめは、それくらいの志しかなかったし、それすらも厳しいと思っていた。とにかく研究室はハードだ。1日を過ごせば、あとは何もできない。何かを起こす体力もない。ふと夜のビル群を眺めて物思いにふけることも、春風を背に夕暮れの川沿いを歩くこともできない。そんな心の余裕もない。ベルトコンベアーの脇に据えられたロボットのように、日々ルーティンをこなすのだ。だから、公演に自分から参加させてくれとは、言えるわけもないし、誘われても、「誘ってくれた人にも申し訳ないな。」という思いが日に日に増していった。
それは、自分が演劇を好きだからこそ、痛感していたことだった。演出をやったことも、役者をやったことも、自分たちの劇団で公演をやったことがあるからこそ分かる。「週1~2の参加で、基本は遅刻か早退します。」こんなやつを座組に入れたいわけがない。ましてや、大切な旗揚げ公演だ。「多分断られるだろうな。」と思って、ありえない稽古参加頻度を提示して、優真に参加の意思を伝えた。翌日、驚くべきことに、承諾の一報を受けたのだった。

稽古場での日々が始まった。リアルを追求する作品であるから、役者は自分の神経の先の先まで意識を向けて、真剣に取り組んでいく。演出の阿曽が、自分にも意見を振ってくれた。意外だった。よく分からない他人である自分に、演出のアドバイスを求めるのだから。ありがたく思いながら、自分も真剣に返しをした。稽古は真剣でも、稽古場はとても温かかった。週1,2回しか参加できない、しかもはじめましての自分を、輪に加われるようにしてくれた。本当にみんな優しかった。

脚本に対して、これまでに感じたことのない感情を抱いていた。誰かの人生を追体験していた。この作品に関わるまで、自分とは交わらない世界にいたはずの人。その人の人生を、作品を通じて覗いていく感覚。言葉から伝わってくる繊細な感情や、大きなキャラクターの変化だったり。はたから見ているだけで、そんなものに揺さぶられたり、乗せられるような感覚を味わうとは思っていなかった。この作品は、脚本家の実体験が基になっているようだったし、それだからこそ花開く作品なんだと。個人の主観的な見方に依存して、ヒーローのように描く作品を、批判する人たちもいる。しかし、人はいつだって自分勝手だし、綺麗事を並べて世界平和を謳う作品よりも、よほど人間的だし、共感できるし、生きているって思えてくる。そんな汚さや愚かさが大好きだから。作品と共鳴できた、そんな気がした。

かくして劇団透視図旗揚げ公演『愛想回想』は幕を下したわけであるが、個人的にこの作品には感謝しかない。自分に演劇の空気を再び味あわせてくれて、どんな状況でも芝居に関わりたい。そう強く思わせてくれた。閉塞的で単調だった生活が彩られていくのを感じ、眼下に広がる非現実の世界に、魅せられる自分がいた。やっぱり自分は演劇が好きだ。

この劇団の行く末はどうなっていくのだろう。できれば、我々の劇団だばしと共に、それぞれが大きく活躍していく未来がくればいい。そして、その劇団の1ページに、自分が何か少しでも残せていれば嬉しい。

改めて、劇団透視図。旗揚げおめでとうございます!今後も面白い作品の数々を期待しています!


座組の皆さんと、脚本家の赤井さん

愛想回想。愛にまみれた日々に、皆様が包まれますように。

2024年7月29日  髙橋開成

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