CGやってます

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1999年10月 チーム解散

映像の部署は解散となった。 Ome 部署消滅 Dinks 会社倒産 Oce チーム解散 そう考えると、関わってきた部署並び会社が軒並み無くなっている。 自分は不幸を招き入れる体質かとも疑いたくなる現状だが、当時のCG業界はまだ成熟しておらず、ベンチャー的な会社や部署が多かった。そのため経営者も試行錯誤の繰り返しだったろうと思う。 それに年間1万件前後の会社が倒産していることも考えれば普通と言わざるをえない。 消滅しない部署並び会社にいる方はよほど強運なのだろう。 チーム

    • 1999年7月 人間というものは

      人間というものは、面白い。 仕事が忙しければ暇を求めるし 暇になれば仕事を求める しかしながら条件が揃う時に行動になる。 地獄の三年を過ごしたのち、天国に召喚された私は早くも物足りなくなっていた。 このままノンビリ暮らせば毎日が幸せに違いない。タバコ吸いの特約もあって よく話す友人もチラホラできた。 私の周囲はだいたい 凄く仲良くなる人 1割 表面だけ仲良くしてくる人 3割 馬鹿にしてくる人 1割 恐れている人 1割 あきらかに敵意を向けてくる人 1割 利用しようとする

      • 1999年4月 給与2倍

        そんなこんなでやや追い出される感じでdinksを後にした私は兼ねてより大好きだったゲームの世界にもう一度挑戦することにした。 今度こそ 株式会社oce は ちょうどenjoystation2の発売直前で盛り上がっていた。 この時一緒に転職する予定だった後輩の喜楽は落ちてしまって単身転職することとなった。 提示された給与は40万円! 2倍だ! Dinks 月給20万ボーナス2回 正社員 年収300万 Oce 月給40万 契約社員 年収480万 2倍とは行かないまでも1、6

        • 1999年3月ノストラダムスの大予言

          辞めました、ええ、辞めましたよ。 大変申し訳ないが、今回はこの会社骨を埋めるつもりでした。 給料は良くない。 仕事過酷。 でも、夢があった、楽しかった。 作っている自分に誇りが持てた。 そんな青臭い会社でした、好きでした。 事の発端はプロデューサーkがまず飛ばされました。 そこに入ってきたのは知らない会社の一陣。 上層部はごそっと入れ替え、チーフもルームも解体。 苦労して身を犠牲にして築いた私の席は気がついたら窓際。 私は自負がありました、この会社は私が支えているんだ。毎

        1999年10月 チーム解散

          1997年7月 勝ち登るために

          出世という意味ではないけれど、働く環境では1番でありたい、また、男ならトップを狙えは私世代には共感できる人も多い思想だろう。 まず勝ち登るために社内で抑えるべきポイントは人事や総務などのポジションの人間と深く仲良くなること。 これは会社全体の人間関係や仕事の入り方、取引の動きを把握するのに最も効果的な方法である。 これは偶然ながら前職で学んだ処世術である。 この会社でも最初に落とすべきは、 事務関連を把握している30前後のベテラン、できれば話好きな女性。 そして最も会社の金

          1997年7月 勝ち登るために

          1997年4月 社員か契約か?

          当時はまだ20歳もそこそこで社会人経験も無かったので契約の仕組みについてほとんど何も考えていなかった。 そこで初めて分かったのは会社で働くのも色々な形態あるということ。 社員 契約社員 業務委託 派遣 パート、アルバイト などなど 私は最初の会社を半年で辞めての転職だったので第二新卒に近い感じだった。 転職当初契約社員として在籍したが、恩師の勧めもあってこの4月正社員雇用なる。 ここで会社によって扱いが違うものだと思った。以前の会社のone ではほとんどが契約社員でスペシャ

          1997年4月 社員か契約か?

          1996年12月 2つ目の会社

          当時の転職は今のような転職サイトとかもなかったので、非常に大変だった。世の中的には終身雇用がまだ浸透していて、入った会社に一生を尽くすことがあたりまえだった。 そんな時代に転職できたのは、大学時代の恩師の会社だったからだろう。今考えれば入社して半年も経たずに辞めた人間などまずまともな会社なら採用対象にならない。 およそ会社を変えると言うことは人生を変えるに等しい。生活のリズム、行動範囲、習慣、人間関係がごっそり入れ替わる。 この会社は恩師の元村がデザイナーのトップにいる

          1996年12月 2つ目の会社

          1996年9月 辞めようと思ったのは

          今思えば、のんびりそのまま転職しなければ部長くらいにはなっていたのか?それとも窓際?営業? 少なくとも私が退職してから数年後、部署が無くなったのは確かな事。 入社して半年も経たずに誰に相談するでもなく辞めることにした。 理由は色々あるが大きくは 1 毎日毎日コピー取りと資料探し、およそクリエイティブではない生活に焦りを感じた。 2 部署内の人間関係は最悪だった。上司や先輩には馬鹿にされるし、転居先の部屋割りに私の名前が無いなどのイジメもあった。 3 そもそも間違えて入社した。

          1996年9月 辞めようと思ったのは

          1996年4月 社会人になる

          まさに社会人の第一歩。 後から思ったことだが、およそ人生のターニングポイントで1番大きなものがこの社会人デビューだろう。それまで、親や学校守られお金を支払って勉学していたのが、お金をもらって生活するという180度違うものになる。 学生生活は魅力的だが全てはここからの準備だったのだと気付く。 私が入社したのはOME 大手音楽会社だ。 実は間違って就職したことを知る人は少ない。 当時、ゲーム機のenjoystation が発売されoceとゆう会社が設立された。ここはony とo

          1996年4月 社会人になる