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JIDAの関西ブロック長に就任した話。

JIDAって知っていますか?

日本インダストリアルデザイナー協会(Japan Industrial Designers Association)の略です。2021年に協会名が変わり日本インダストリアルデザイン協会になり、新しい船出を迎えました。

JIDAってそもそもなんなの?

「インダストリアルデザインに関する普及啓発及び調査研究等を行うことにより、インダストリアルデザインの向上を図り、もって生活文化の向上及び産業の健全な発展に寄与する」ことを目的としているデザイン団体であり、1952年に発足しています。

発足時のメンバーは、明石一男、淡島雅吉、大泉博一郎、金子徳次郎、金子至、黒瀬英雄、剣持勇、小杉二郎、佐々木達三、島田重義、白石浩二、新庄晃、鈴木富久治、鈴木道次、鈴木太郎、知久篤、寺島祥五郎、中井太一郎、中曽根一夫、服部茂夫、柳宗理、山口勇次郎、芳武茂介、渡辺力(敬称略)。

全員はわかりませんが、柳宗理さんや渡辺力さん、剣持勇さんなどはデザインに詳しい方なら知っているかも知れません。また1964年の東京オリンピックのロゴデザインをした亀倉雄策さんなども詳しい方ならご存じだと思いますが、一時在籍されていたことがある由緒正しいデザイン団体です。現在は公益社団法人なので、社会のために様々なことをするデザイン団体だと思っていただければ。

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柳宗理さんといえばやはりバタフライスツールでしょうか。

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剣持勇さんといえば、家具も有名ですが私はこの容器を思い浮かべます。

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渡辺力さんといえば時計でしょうか。僕は渡辺力さんがデザインした小さな時計というものを子供の腕時計にリサイズしたものを愛用しています。※四本持ってる!

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亀倉雄策さんがデザインしたTOKYO 1964オリンピックのロゴ。今見てもかっこいい。

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ちなみにこれはJIDAのマークですが、ロゴマークは亀倉さんがデザインし、右側のロゴタイプは今回の協会名変更に伴い佐藤卓さんがデザインされました。

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そんな由緒正しい、歴史と伝統のプロダクトデザインの団体がJIDA(日本インダストリアルデザイン協会)です。

そんなJIDAの関西ブロック長に就任しました。

本日6/26に、関西ブロックの総会がありこの度関西ブロック98名のブロック長に就任しました。超責任重大です。僕で大丈夫かなぁと思う部分がいまだに強いですが、光栄なことですよね。

受け取ろうとしている宙に浮いたバトンは一体何なのだろう。

JIDAの関西ブロック長を引き受けるにあたり、JIDAが変わろうとしていることはもちろんわかっていました。僕自身もこの15年ほどでずいぶんデザインの世界が変わったように思います。主戦場は大企業から中小企業になり、海外勢の台頭と躍進、デジタル領域の誕生と拡張、枚挙に暇がないですが自分が下積みをしていた2000年代と今では全く違う世界のようです。

そのなかで協会名が変更され、デザイナーではなくてもデザインに関係する方なら入会可能になるということはどういうことなのか。また、自分が受け取ったものは何なのだろう。

バトンとは実際には手渡しをするもので、宙に浮くものではないですが、この世代交代はそうした部分もなくもないですが、受け取ろうとしている宙に浮いたバトンは何なのだろうという困惑や不安から、JIDAそのものを学ぼうと思い、そうした中である記事にたどり着きました。

JIDAの13年。

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東北にある国立研究開発法人 産業技術総合研究所 東北センターのウェブサイトに[JIDAの13年]という記事がアップされています。実際にはアップされているものがまだかろうじて残っていたという貴重な文献になります。

これが書かれたのは1966年。JIDAが1953年に発足したので、発足前の兆しから第一回日本インダストリアルデザインカンファレンスが行われるまでの13年間に何があったかを書き記したものでした。

それを見ると戦後の日本が混乱の中で力強く復興を果たす役割の中で工業デザインは注目され、発足メンバーが高い志で立ち上げたことが書かれています。またデザイン学校では教科書などで学ぶと思いますが口紅から機関車まででおなじみのレイモンドローウィが、職能としての工業デザインを様々レクチャーしたとも書かれています。

そうした歴史の延長上にいると思うとありがたいと思うとともに、未来に向けて何かを少しずつでもやっていかなければと思う部分が強くあり、宙に投げられたバトンを受け取る気持ちになったという話です。

更地にして考える。

単純に世代が交代するだけで中身が同じでは、何事も長くは続かないと思います。世代が交代するということは、変化するということであり、そうしたときにいかにして前例を「更地にして考える」ことができるか。が肝要です。

デザイン作業と同じく、前例を疑い、改めて俯瞰し、咀嚼し、それでも残すべきは残す。ただし基本的には変える。これが順応だと思います。そうした変化や革新を続けることがおそらく伝統を作るのだと思います。

僕らは歴史の1ページを描くことはできるだろうか。

僕がブロック長に就任し、正式な総会準備をしていくのと時を同じくしてJIDAの理事会ではnosignerの太刀川英輔さんが最年少理事長という宙に浮いたバトンを受け取ろうとしていました。同じ年代のスターデザイナー太刀川さんが理事長をするということは、少なくとも僕にとってはとても心強く、一緒に次を作っていける気がしています。

僕らはまだ若く、経験も未熟な部分はありますがこれはJIDAのビッグディールであり、日本の工業デザインの大きな局面だということを自覚させられるようなものです。僕らは歴史の1ページを描くことができるだろうか。

社会は個では回らない。個人だけが良いというのは社会ではない。そうした気概からJIDAは発足し、そうしたところが忘れかかった頃にそれを思い出すために協会名が変わったり、変革のタイミングが訪れたような気がしてなりません。

JIDAのダイナミズムは1950年代~1970年代くらいがピークで、そこからや緩やかに落ちてきたのではないかと勝手に推測しています。一度失速しかかったものをもう一度加速させるのは簡単ではないような気もしますが、前任者や一緒に泥をかぶってくれる関西ブロックメンバーの協力により、新しい何かが始まろうとしています。同じダイナミズムにならなくてもいいし、前例は気にしなくていいとの条件付きの浮いたバトンでしたので、面白い形で皆様のために、ひいては国や国際社会の未来のためにまず任期の二年、色々仕掛けをやっていきたいと思います。

つきましては、もしJIDAの活動に興味がある方。デザイナーでなくても関わりがあれば大丈夫です。ぜひ一度問い合わせてください。

info@kairi-eguchi.com
https://www.jida.or.jp

私宛でも構いませんし、JIDAの事務局に、また近くのJIDA会員にお尋ね頂いてもいいと思います。学生組織もあります。企業として参加することもできます。宜しくお願いします。一緒に未来に向けて何かやりましょう。


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