魔法人形は、異世界で少女の夢を視る。/十四

【契約】

「契約は成った。お前はこれで自由だ。どこへ行くも、何をするのも自由。自身の選択に責任を負う限り、お前を妨げるものはない」 

 厳しくて恐れを喚起させる魔女の箴言は、どこか慈愛を帯びていた。 

【サヨナラ】

 夜。
 昼は悪戯風が駆け回る空に比べると、夜風は遥かに落ち着きを備えた風の領域だ。
 天上とも謳われる魔女の住処にあるバルコニーに柵はない。
 その理由を魔女は端的に「落ちても死ぬような馬鹿は、ここに住んでいない」からだ。

 魔女は空を飛べる。落ちたとしても支障はない。できないことは何もないと豪語するが、敬語だけはできないのだとイオは隣で胡座を組む魔女を横目で盗み見ていた。
 魔女は上下で柄違いの下着の上からマントを羽織って、珍しく帽子を被っていた。如何にも魔女が被っていそうなトンガリ帽子だ。
 眼鏡の位置を直すでもなく、キセルを弄ぶでもなく、書物を読みながらでもない。

 イオのすぐ隣に座したまま、黙って月を見上げていた。

 夜は更けていく。
 マリーと侍女のメイは家屋にある魔女のベッドで休んでいた。
 マリーは慣れない旅の疲れや儀式による魔力(マナ)消耗。侍女は披露よりも、少女と魔女のやり取りを前に精神的に消耗したようだ。

 イオも契約の儀式の折に、吹き荒れる魔力(マナ)に充てられて、一度は眠りに堕ちていた。
 箱のベッドで目覚めると魔女がいて、それから二人で特に会話らしい会話もなくバルコニーへ出た。

 夕暮れから月昇を眺めて、星の輝きを傍観していた。
 魔女の吹く口笛はミシキスミレが好んだ楽曲で、彼女はそれに聞き入っていた。
 一緒に口ずさんでいた。 

 自分自身とカラオケをする貴重な体験だ。
 その内に魔女も歌を謡う。

 スミレの世界で覚えている曲。
 失恋ソング。おはようソング。
 通勤中に聞いていた古い歌。
 
 何時間も休みなしで継続する魔女の歌に安らぎとまどろみを覚える。 

 やがて卒業式の定番曲が選ばれたのか、魔女は喉を震わせた。
 小学校、中学校、高校。
 それぞれの時代の記憶が呼び起される。

 人形に涙は流せない。
 でも、人形にも感情はある。感動することはできたし、それを伝える術もある。

 魔女のマントを引いて、促す。
 意を汲んだ魔女は、人形を肩に乗せた。

 
 歌詞は第一番から第三番まである。短い歌詞だ。
 だから二人で何度も歌うことにした。

 月の位置が変わるまで。
 山の稜線が明るむまで。
 夜空が、夜空でなくなるまで。

『私、嫌じゃなかったよ、あなたのこと』 
「ああ」
『最初はね、横柄で偉そうで傲慢なあなたのこと好きじゃなかったの』
「知ってるさ」
『でも違ってたの。私が嫌いなのは、私の顔。私は自分のこと好きじゃなかったから。あなたに八つ当たりしてたの』
「全部知っている。お前は自己嫌悪の塊だ」
『自分勝手に、気ままに振る舞うあなたのこと。ううん、私を見て羨ましかったの。私もあなたみたいに振る舞えたなら、違う人生があったのかなって』
「これから、そうすればいいさ。時間はいくらでもある」
『ん。そうね』

 魔女の首筋に軽い体をもたれかからせて、薄くなった切り傷を撫でた。
 
『あのさ。マリーとの契約って……』
「教えるわけにはいかないな。あの娘も望まないだろう。だが対価は頂いた。あの娘が支払えるもの総て。その中の一部をな」
『……そっか。うん。だったら信じるよ。あなたは物臭でデリカシーもTPO概念の欠片もないけど、いい人だから』
「間違えるな。いい魔女だ」
『ありがとう。今まで』
「おあ。あたしも、な。家が少しは片付いたよ。これからは散らかり放題だ。片付けは魔女の領分(ジャンル)ではないからな」

 イオは首筋を軽く抱きしめてから、肩から飛び降りた。

『私、行くから』
「イオ」

 魔女は姿勢を変えず、昇る太陽の方を向いていた。

「お前を縛るものはない。覚えておけ。この世界に来れた理由は偶然ではないのだと。だから、ちゃんと生きてやれ」
『―――はい』

【ひとり】

 少女は目覚めて、侍女と共に魔女の住処を後にした。
 家屋内には静寂と、誰かが目まぐるしく動き回っていた痕跡だけが残っている。

 魔女はバルコニーから立ち上がった。
 羽織ったマントをはためかせれば、清潔なブラウスとタイトスカート。黒いストッキングが身を包む。
 履きなれないヒール。
 毎朝ごとに髪を整えて、化粧を施す。目元、眉、頬、最後に唇。
 マントとトンガリ帽子を脱ぎ捨てて、キセルに口を付けた。

「お前の世界は面倒が過ぎるな。せっかくの贈り物だ。楽しめよ。スミレ」

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