魔法人形は、異世界で少女の夢を視る。/十

【人形と魔女 前編】 

 
 自分の顔を見ながら浴びせられる皮肉はいちいち癪に障る。
 せめて朝一番には聞きたくないのに、これだ。
 もう腹も立たないがイラッとはする。
 半分だけを満たした水差しを背負ってわたしは蓋を閉めた。
 水差し本体にも麻ひもを巻きつけてリュックサックのようなストラップが取り付けてある。
 満タンとなれば厳しいが、体幹を使えば人形の身でも荷物は運べる。

「ん、ごくろう」トコトコと魔女が腰かけた椅子に近づいた矢先に、水差しごと体を持ち上げられる。クレーンゲームの景品になった気分だ。
 魔女気にせず、そのまま口を付けた。
『直接飲むな! カップも置いてあるでしょうが!』
「面倒だろう。もう一杯だ」
 わたしの小言など聞く耳持たず。
 投げ捨てる勢いで床に放り出された。

「もう二、三日か。ずいぶんと慣れたもんだな人形」
『ええ、ええ、それはもうおかげさまで。なにが二、三日か? 二週間も御厄介にならせていただいておりますもの。そりゃあ慣れますでしょうよ!』
「もう、そんなにいたのか? 知らなかったな。ああ、どうりで家の中をなにかがちょろちょろしていると思っていたんだ。人形だったのか」
『目障りで悪うございましたね! お掃除のやりがいが有り過ぎて大変喜ばしく存じておりますの!』
「おあ。なるほどなるほど。そういえば部屋の空気がよくなった気がしていたな。咳が治まってきたんだ」
『でしょうね! これだけのほこりと変な薬品の匂いが籠っていたら喉のひとつやふたつおかしくなるでしょうよ!』
「ほほう。あたしは人形と違って喉がひとつしかないから、二重のせき込みを味わうことはできないな」
『この屁理屈女!』
「それに変な薬品ではないぞ。あれは由緒正しい恍惚薬だ。意中の相手に盛れば一気呵成に床まで行ける」
『それは媚薬だ! なんてもの作ってんだ!』
「作り手に罪はないし、責任は買い手にある。たとえ欲求不満の妙齢婦人が召使の若者の食事に混ぜようが、街一番のブ男が取引先の下働き小娘の茶に混入しようが知ったことではない。使い方の是非までを問われる謂れはない」
『んなもの作るな、犯罪でしょうが!』
「人形よ。この世界で魔女の権威は絶対だ。あたしの薬が原因で国が滅んだとしても、それは天災に等しく扱われる。魔女とはね、この世界で最も尊く偉大で畏怖されて然るべき者をいうのだよ」

 最悪だ。こいつは悪の魔女だ。
 わたしの姿をした悪い魔女だ。

「ほれ人形。わかったら食事だ人形。食事を用意しろ人形。今朝は三粒だ、いいな人形」
『はいはい、わかりました大家さん。あと、いつまでも裸でうろうろしないの。服着て服!』
「お前の裸だ。気にするな」
『気にするから言ってんだよこの露出狂! あと人形人形いうなー!』
「水お代わりだ、人形」

 水瓶までをさらに往復して魔女に水差しを渡してから、今度は木桶を背負いなおした。
 大きさや形状から見ると小さなカップ。感覚的には木製のお猪口を少し深くした器だ。
 この家の中にある大半に倣い、忘れられていたもののひとつのようだ。
 わたしはこのお猪口にも麻ひものストラップを付けて木桶として使用しているのだ。
 荷物を運ぶ時に重宝する。
 今度は水瓶の隣の棚に向かう。
 幸いにこの棚は一段一段が低いので、梯子がなくても上れるのだ。
 一番上まで上がり、ティーポットの蓋を開けて赤い実を三つ背中の木桶に放り込んだ。
 触るとぶにょぶにょしていて初めは気持ち悪かったが、グミだと思い直して平常心を保っている。
 本当はグミなんかより気持ち悪い手触りだと付け加えておく。
 こんな気持ち悪いものを朝食として食べる魔女の気が知れない。 

 グミをくちゃくちゃ咀嚼しながらも、魔女が水差しを渡す気配がなさそうなので、わたしは床掃除に戻った。
 だらりとしたワンピースの裾を結びなおす。
 慣れたとはいえ、人形が人間の家の掃除をするとなると徹底的に効率的かつ戦略的な視野が必要だ。
 スケールエフェクト。相対的大きさの違いに加えて、悪の魔女はすぐに部屋を汚す。
 よほど酷いものを除いては、長年積り積もった不精を先に片づけつつ、わたしの部屋も片付けつつといった現状になる。
 毎日が戦後の焼け野原かと錯覚する惨状だ。
 もともと着ていた白いワンピースはあちこちが解れて、黒ずんでいる。
 おまけに、人形だからといって下着の一枚もない!
 胸はぺたんこで垂れる不安もトップが透ける心配もないが、さすがにショーツは要るでしょう!
 物置部屋にあるものは自由にしていい裁量権はある。
 必要なものは麻ひもで用意できるものが多い。
 でも麻ひものショーツは断固拒否する!
 ふんどしみたいなイメージしか浮かばないが、絶対に嫌だ。
 布の端切れをパレオのように巻くのが精いっぱい。
 針と糸でもあれば自作する予定。

 頭の中で色々な洋服を妄想しながら、モップ掛けを終える。 
 次はわたしの番だ。

『お水もらうからね。手桶も借りる』 
「おあ」
 魔女の生返事だけ確認して、わたしは入浴と洗濯をする。

 
 ※

 陽は高く昇り始めていた。眼下の森林は青々と生い茂る。
 高台にある魔女の家。
 正確には大森林地帯のほぼ中心の丘陵。そこに大岩が奇妙な形で立ったままで突き刺さっている。
 大岩とは人形視点ではなく、人間視点で観賞してもだ。
 高さは五階建てマンションに匹敵する。
 なんでこの岩が倒れないのかと戦々恐々とするが、もっと恐ろしいのが魔女の家が岩をくり貫いて作られていることだ。
 くり貫いた部分に平屋建ての家をまるごと一軒、突っ込んだとしか考えられない仕様の、馬鹿馬鹿しい構造。
 大家の人格模様が伺える、色々な意味で恐ろしい異世界風高層バルコニー付き一戸建てだ。
 高低差の所為か風は結構強い。
 悪の魔女にとっては欠伸半分寝ぼけ眼の下着姿で流しで歩けるのかもしれないが、わたしには脅威だ。
 体重およそ人参一本分以下。

 家に一つの出入り口扉はどうやっても開けられないので魔女に頭を下げる。
 頭を下げたついでに水の入った桶も運んでもらう。

 服を脱いで、そのままちゃぽんと浸かる。
 ……なんてことができれば良いが、人形の体に金属が使われていたら大変なことになる。
 だから諦めて、濡らした布きれで汚れを拭くだけだ。
 熱い湯に頭から浸かりたい時もあるがその必要もないのだろう。
 人間のような新陳代謝による汚れがないのは快適だった。
 サラサラの髪も、水で汚れを浮かすだけでも充分のように日を照り返す。
 
 体を拭き終えたら次は服を洗う。
 桶の水につけて洗剤もなしに手でごしごし。 
 ワンピース自体も古いため黄ばみが目立つ。水にくぐらせたくらいではどうにもならないが、洗ったという事実認知は大事だ。
 物置整理や床掃除の汚れも落として、絞ってからバルコニーの柵に干した。
 
「綺麗好きの人形か。好事家の連中が知れば高く買い取ってくれるかもな」
『うっ』
 空にした桶を転がしながら家に戻ったわたしを出迎えてくれる奴隷商人のような台詞を吐く魔女の悪い視線にたじろいでしまう。
『わたしのこと、売る気なの?』
「どうしても欲しがるようならな。安心しろ。なるべくいい値を付けてやる」
『なんの慰めにもなってないわ!』
 布の端切れで胸と下腹部を隠すだけの格好は、奇しくもわたしの顔をした下着姿の魔女とお揃いなことも気に障る。
 でも、この魔女が本気でわたしを手放そうと考えているのなら、止める手立てはない。
 口では思わず強めの言葉で反論することばかりだが、コミュニケーションはとれているのだと思っていた。
 手を借りることは多いし、部屋や道具も与えられている身だ。
 せめて捨てられないように、できることをやっておこうと掃除や給仕にも手を尽くしている。

 なのに、魔女はわたしを捨てようとしているのか。

『あのさ。わたしがいたら邪魔? 鬱陶しいかな?』
「ちょろちょろしているから目障りだし、口煩いのには食傷気味だ」
『……そっか。ごめんなさい』
「おあ? どうした人形? 殊勝な態度の振りなんぞして?」
『目障りなら気を付けます。態度や言葉遣いにも細心の注意をします。お願いだからわたしをここに居させて下さい』
 お願いします。わたしは頭を下げて懇願した。
『現実のわたしは死んで人形になったわたしがこの世界で生きていくためには、あなたの助けが必要なんです。あなたに見捨てられると多分わたしは生きていけない、と思う』
「人形のくせに人間じみたことをする。そんなこと試してみればいいだろう? 案外ここよりも快適に生きていけるかもしれないぞ?」
『それは、わからない。万に一つくらいの可能性はあるのかもしれない。でもきっと、あったとしてもわたしには掴めるものじゃないわ。わたしにできることなんて地道に積み重ねることだけ。奇跡が起こるなんてもうないわ』
「死んだ後に人形転生するなんて、滅多にない奇跡だと思うが、違うのか?」
『違うわ。これはきっと罰なんじゃないかしら。生前のわたしが自分勝手に集めた人形(ドール)ちゃんたちへの罪。神様がいるとかはよくわからない。もしもいるなら、お前も人形に成って苦悩を知れって言っているのよ』
「自己の卑下に他者本位。言い換えれば他力本願だな。そんな風に生きてて楽しいなんて、とんだ被虐趣味だ。いっその事、空っぽの胸にナイフでも刺してやろうか?」
『あなたがしたいなら、わたしには止められない』
 魔女はそれきり。不機嫌な顔をして黙り込んでしまった。

 ※

 まずは簡単な掃除から。棚や机、床を掃き掃除。道具は麻紐とガラクタから組み上げた箒を使う。上に上って、落ちる。相変わらず痛みは感じなかった。食べ物も水も要らない体。睡眠さえも必要ない。
夜通し作業をこなしても床を綺麗にするが疲労の欠片もない。

 ブラック企業の経営陣が社員に標準装備させたい機能だと彼女は生前の記憶を垣間見る。
 間借りしている物置を整理する。分厚い本は全力で抱えれば動かせる。下敷きになっても抜け出せるし、痛みはない。棚の上から不意に落下するも乾いた衝撃、軽い音だけのこと。

 突如として訪れる眠り。
 何度も繰り返した。酷使による強制的な眠りで過去の記憶に触れる。
 生前の、ミシキスミレだった頃の記憶。
 ミシキスミレとして体験した記録。
 彼女自身でさえ覚えていない三十余年の人生を、眠りの間に振り返らされる。

 見たくもないことは多い。
 目を背けることは叶わないが、再生の速度を調整は出来た。
 自宅でDVDソフトを鑑賞するように。見たい記憶を巻き戻したり、一時停止したり。嫌な記録を早送りにしたり。
 ただし。好きな記憶だけを編集したり、要らない物を消去することは出来なかった。

 夢の中でだけ、彼女は人形と触れ合える。最後には彼女の意識が失われる。
 人形たちがどうなったのかは想像で計る以外ない。
 彼女自身は、燃えてしまったのだと悔やんでいた。

 眠りの中でのみ、彼女は愛する人形たちに会うことが叶った。

 ゆえに。
 夢に救いを求めていた。

 人形の体に人間のような維持は要らない。魔力(マナ)を取り込んで動いている。
 肉体の酷使で魔力(マナ)を消耗することで、直ぐに眠りに堕ちることができた。

「そんな体の使い方は寿命を縮める。人形は死ぬことはなくとも壊れることはある」
 また死にたくないなら一考すること。
 魔女は窘めたつもりだったが、人形は声の表情を明るく保ちながら、
『別にいいよ。死ぬくらいなんでもない。痛みを感じないんだから死ぬことなんてちっとも怖くないし』
 それが魔女の癇に障ったのだ。

「傷(いた)みを感知したいとでもいうのか? 面倒だがあたしに不可能はないぞ」
『どっちでもいいよ。私はもう死んでいるんだから。ここは死後の世界なんでしょ? さっさと成仏して、消えちゃいたいから』
「気に入らない物言いだ。お前は人形に成りたいと言ったんだろう。それが叶ってどうして自棄を起している?」
『あんなの冗談に決まってるじゃない。人形に慣れたってだから何って感じ。絶対叶わないことがわかってたからおもて見ただけ』
「人間の体が恋しいか。それとも現世に帰りたいのか」
『どちらも要らない。あなた魔女、不可能はないって言ったね。だったら私を消してよ。もう未練とかないからさ』

 彼女は、立ちはだかるような魔女に向き合った。床から椅子に座っている魔女の―――自分の―――顔を見上げてから、膝をついた。
『転生も要らない。輪廻から外して、地獄にでも送ってよ』
「断る。お前の望みをかなえるいわれはない。死にたいなら勝手に死ね。地獄でもどこでも行けばいい」
『どうやってよ?』怒り。魔女の着いた椅子の脚を蹴りつけて殴るつける。軽い音。木のささくれを剥がして、掌に突き立てる。
『なにも感じない。これでどうやって死ぬのよ。例えばばらばらに刻まれたとしても、私はそのまま生きているんでしょ!』
 鋭い木片を首筋に当てて滑らす。傷はなく、薄い筋が走っただけだ。
『もう、そんなの耐えられない!』
「だったら箱に戻って眠っていればいい。人形にとっては意味はないが意識を閉じていれば、世界の終焉まであっという間にいけるぞ」
『眠りたくない。そんな必要ない。ねえ、早く死なせてよ』
「嫌だね。自分に利益のないことに首を突っ込む理由はないな」
「お前の身はお前の自由にしろ。あたしの術技もあたしの自由だ」
『あの商人さんたちには、力を貸したじゃない!』
「ああ。あたしに必要なものだからな」
『お金』
「そんなもの不要だ。あたしの体も食事や水を必要としない。大気の魔力(マナ)さえ取り込んでおけば足りる。ルビーの実でさえただの刺激物だ。辛味、渋み、酸味、苦味。腹の足しにはならない」
『そんなの食べてどうするのよ。お水だって毎朝飲んでるじゃない!』
「忘れないためだよ。あたしが一体なんなのかを自覚するために摂っているだけだ。思索行為だ」
『あなたも人間じゃ・・・』
「魔女だ」
『あなたは、何のために生きてるのよ』
「なんのためか。答える価値のないくだらない質問だな。理由などない、あたしはここにある事実を許容しているだけだ」
「馬鹿には判らないか」ため息「生きるのに理由など要らないよ」
『なんでよ・・・』
「あたしは自分の裁量と意思でどうとでもできる体がある。それができる内は生きていても良いんだ。お前の哲学は違うようだな」
「面倒だがついでに問うてやる。人形、お前のいう生きるとはなんだ?」

 過去の記憶。夢で再生される記録を反芻した。

『誰かに必要とされること。必要としてもらえること』
「そんな考えだったのか」
『依存とでも言いたいの? そうよ。私は自分ではなにもできない。なにも決められない。ずっとそうだった。ずっと誰かに言われるままだった』
『高校も仲のいい友達と同じ場所を決めた。大学も親が決めたところに進んだ。最初の男も断り切れなかったからダラダラとセフレのままだった』
『就職も親が心配するから、さっさと決めた。ずいぶんと喜んでくれてた』
「お前自身が依存して満足できるほど強ければ問題はなかったのだろうがな」
「その生き方をするには、お前は弱すぎる」に
『さすがは魔女ってところね。必要とされるのって期待に応え続けられないとダメなんだって気付いた。特に仕事ともなればなおさらよ。等身大の自分を背伸びさせて、ようやく届いているだけだったのに。次はもっと高く、さらに高くを求められる』

『意外でしょうけど、これでも私は職場では優秀な方だったのよ』
 やれって言われたらなんでもやった』
 先輩の社員を差し置いて現場のリーダーに選ばれた。
 お給料上がって、領収書の優遇されて、食事に連れていかれることも少なくない。
『接客業だったし、お客さんもほとんど常連さん。ある意味家族みたいな雰囲気だったし、悪くないと思ってた』
 月末月初の作業はきつかったけど達成感はあった。
『うまくいってるって思ってた。でも違ってた。体がきつくなって、無理矢理同じ作業量をこなしてたら、気持ちがついてこなかった。毎日が同じように見えて、作業なんだと思ってた。違うなって感じ始めた』
 くたくたでボロボロ。
『私が生きていられたのは、あの子たちがいたおかげ』
「ユリーシャとか言ったな。お前の世界の人形たちか」
『毎日朝6時に起きて、電車で1時間かけて出勤。一番に店に入って準備と事務作業。交替で昼休憩。私は取れないことも多かった。昼食か夕食かわからないご飯食べて、終業後も当日の事務作業と電車の時間まで自主残業。家に帰ったら夜の11時前。シャワー浴びてお酒飲んで。残りの時間は全部、あの子たちと過ごしてた』

 いつも秘密部屋で眠ってても朝の4時には自然と目が覚めて、ベッドで寝なおした。
 首も腰も痛くて、腕も上がりにくい。しんどいけど楽しかった。
『……だから、もういいの。私は充分に満足できたから、もう終わりでいい』

 頭を下げた。
 深くて、偽りのない本心から人形は紡ぐ。 

『魔女様、私にもう悔いはありません。お願いします。私を終わらせてください』

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