魔法人形は、異世界で少女の夢を視る。/十九

【最後から二つ目の試練】

「この大馬鹿ものが」
『痛っ!?』

 こつん! キセル先端の金属部分が頭を打った。
 イオは思わず頭を押さえたままで床に蹲る。埃まみれの床と部屋に塵が舞う。
 嗅ぎ慣れた薬草の匂い。乾燥させた薬草の紫煙。
 目の前にある裸足。黒いマントを肩から羽織っただけの、肌を惜しげもなく晒したまま脚から肢体。
 下着だけが辛うじて女の部分を覆っているが、色柄は上下ちぐはぐ。
 黒いボサボサの髪に薄手の眼鏡。

『魔女、、、なの? だってここは』

 場所は依然と村はずれに伸びる木々の茂み。
 しかし同時に住み慣れた魔女の住処が重なっていた。

「この程度で驚くな。お前の元の世界にも3Dなり4KなりCGなりがあるだろう。同じと認識しろ。そんなことよりもだ」

 こつん、こつんこつん、こつん!

「この大馬鹿大間抜け。学習能力皆無か? 皆無の円環か? お前なりの被虐趣味か? それとも自慰行為のつもりか?」

 イオの言葉を待つつもりなどない魔女は「実にくだらん」と言い切ってから、キセルで人形の頭を小突き続けた。

『いたぃ、痛いってば!』
「あの娘は、もっと痛かったんじゃないのか? この辺が」

 じゅっ。
 高熱を宿したキセルがイオの胸に押し当てられた。 
 熱さと暑さが人形の小さな全身を一瞬で支配し、吐き気を催すほどの苦痛を生じさせた。

 魔女は平時の如く。思考の読めない表情のままでキセルに口をつけて、煙を吐き出した。

「全く仕様のない人形だ。お前は……」
『わかってるよ』
「おあ?」

 無表情だった紫水晶に光が宿って、イオは立ち上がった。

『自分がどれだけバカで、恩知らずなことしているのかくらい知ってる。私だって。私だって苦しいんだから!』
「なにが苦しいことがある? 好きな女と同じ屋敷で暮らしていて、どんな不満がある? 過労死するほどの労働も、空腹で死ぬこともない。欲しいものだって望めば何でも手に入る。お前の第二生はこの上なく恵まれているんだぞ?」
『無理だよ。欲しいものがあっても、全然手に入らないよ! 私は人形で、マリーは人間。全然違う。同じ場所に居ても、私とマリーは同じじゃない』
「はっ! やっぱりお前は大馬鹿だよ。そんなこととっくの昔から知っていることだろうに。腐りきった表情(カオ)で何を言うかと思えば、使い古しても尚しがみ付く言い訳か。可笑しすぎて反吐が出るよ」

 魔女は鼻で笑い、こき下ろし、嘲ろうとも人形は黙って聞いていただけだった。
「どうした。言い返さないのか? あたしに蹴りでも入れたらどうだ?」魔女が反応を窺うが人形は立ち尽くしたままだった。

『わかってたよ。どれだけ想っても人間と人形は違う。同じじゃない。人形は気持ちを表現できないから、人と物との友情は成り立つ』
「よりによってお前が人形の情を否定するのか? あれはただのモノだと」
『人形は容器よ。可愛がってくれる持ち主がいなければ空っぽ。だからユリーシャちゃんは違う。持ち主が可愛がってくれる限りあの子はあの子。人形(ドール)だけどそれ以上の存在。だって人形(ドール)は持ち主の想いを全部受け入れてくれる為にいてくれるんだもの!』

 ―――私は、人形(ドール)としては不完全だ!―――
 
 
『ただの人形でよかったのに! 意思が、感情が、想いがあるから受け入れられない! マリーの気持ちを、私はもう受け止められないくらいに溢れているの!』
「それは知っている。お前の哲学では、人形が記録装置だということも。お前が嘘つきだということもな」
『嘘つき。そうかもね。自分を守るために嘘ばっかりついてきた。もう歪みまくってどうにもならない』

 スミレにとっての他者とは、自分に要求や感情を押し付けるだけの不快感の塊。
 彼女には我慢できていただけで、受け入れがたいものばかり。
 
(人形(ドール)たちは、なにも求めない。受け入れてくれる。全部)

 言葉を離せない。
 感情があったとしても顕せない。
 求めないならば、永遠に受け止め続けてくれる。

(私はそうなろうとした。マリーと一緒に居られるだけで充分だ。話せなくたって構わない。一緒にいるだけでいい)

『だって私は人形なんだ。人間の真似をして応えることは出来ても、想いを叶えることはできない』
「その結果、捨てられたのなら仕様がないな」
『そうね。人間は、いつかは人形(ドール)と決別しないといけないのかもしれない。人形(ドール)はなくなっても、詰まった思い出は残る。マリーにはユリーシャちゃんがいる。すぐに私のことなんか忘れて、元気になるはず。
新しい土地で、新しいお友達や、、、婚約者とも、きっと』
「お前があの娘の傍を離れるというのなら、あの娘の命の残り火はさらに小さくなる。お前とあの娘は既に魔力(マナ)の循環による繋がりで結ばれている。お前からの魔力(マナ)があの娘の体を維持している」
『嘘、、、なんで、いつ!?』
「お前との別れを交わした日だ。頭をかき回して記憶を読んでみろ。言ったはずだ、あの娘の残りの人生を以て対価にすると。それがお前だ」
『どういうことよ』
「察しが悪すぎる。よく考えても見ろ。あんな小さな、体の悪い娘がわざわざ天上にあるあたしの住処まで足を運んだ理由などひとつしかない。業腹なことに、あたしへの挨拶や感謝など次いでのことだ。あの娘はお前をあたしから奪うために来たんだ。命がけでな」

 キセルがイオの頭を撫でた。
 魔女は続ける。少女の体のこと。

「あの娘は体の魔力(マナ)容量が他よりもかなり大きい。それが体を循環して排出できればなにも問題はないが、あの娘は自発的な魔力(マナ)排出ができない。体内の魔力(マナ)の圧力が強まると体に負担がかかる。無理に押し出すために命を費やす。
病気でも何でもない。人間の医者ではどうにもできない。だからお前に迂回路を繋いだんだ。最初は魔力(マナ)が強すぎて昏倒もあったようだが、今は以前よりも人形としての機能は高まっているはずだ。
そうか。だが無駄だったみたいだな。折角の魔女の術式がこの有様だ。あの娘の決死の覚悟も努力も、全部」

 帰るぞ? 揺らいで重なった空間から現れた魔女が手にした箒に跨り、イオを急かす。

「早く乗れ。あたしは忙しいんだ」
『私が帰ったら、マリーはどうなるの?』
「どうにもならない。元に戻るだけだ。術式の解除は自然には行われない。そんなに玩具(ちゃち)じゃない。だが距離が離れるほど効果も薄まる。物理的な距離じゃないぞ、心の距離だ」
『私には、マリーの気持ちを叶えることなんてできないよ! 人形が、人間から向けられる想いに何ができるっていうのよ!』
「……別に何かをしてほしくて、生前のお前は人形たちを愛でていたのか? 人形の本分は傍にいて受け止めてやることだ、お前の哲学ではな。そうすればいい。お前はただの人形よりも少しだけ選択肢が多いだけの小煩(こうるさ)い人形だ。忘れるな。人形には人形の愛し方がある。人間には人間の。
肩の力を抜いて、お前なりにやっていけばいいさ。時間はいくらでもある」
『なんで、そんなに優しいのよ。いつもいつも嫌味しか言わないくせに……』
「激しい誤解だな。あたしは元より優しいんだよ」

 箒を一瞬で消した魔女が、キセルではなく指の腹をイオの頭に乗せた。

「面倒だがもう一度だけ言ってやる。感謝しろ。お前を縛るものはない。お前がこの世界に来たのは偶然じゃない。純粋な願いがお前をここに導いたんだ。誇れ。そして足掻け、、、」
 魔女の顔が別人のように穏やかになって「スミレちゃん、今度こそちゃんと生きてね。今度は楽しんで」人形に別れの言葉を告げる。
「……ということだ」

 重なる世界が離れていく。
 遠くで村祭りの喧騒がして、隣にはバスケット。目の前にはちぎれたネックレス。

『ゆ、め?』

 イオはちょこんと座したままで、意識の蓋を外していた。
 虚空ではなく。首を振って周囲を見渡すが魔女はいない。
 僅かな薬煙が鼻孔に残る。
 夢でも何でもいい。

 落ちたネックレスを拾い、腕に巻きつけ少女を追って駆け出した。
 考えることはひとつ。
 思い浮かぶ顔はひとり。

 魔女の施した儀式のことは眼中にない。

(マリーに会いたい!)

 固い関節は、滑らかに可動した。
 まるで人間が駆けるように足は動く。走る。

 色々なことを話さないといけない。
 色々なことを聞きたい。

 何故。少女と距離を置こうなどと考えたのか。
 
 人形である自身の身を、一体誰の、何と比べていたのかもわからないほどに、混乱していても足は止まらない。

 転んでも、転んでも立ち上がる。
 人間の足とは遥かな差があれど、この先にきっと少女が居て、泣いて、怒っている。

 嫌われてことが、今更ながらに悔やまれる。

(許してはもらえないかもしれない、、、)

 弱気が首をもたげて走りを鈍らせる。
 足がもつれて、転んだ。

 腕からネックレスが外れ落ちる。
 折角のドレスが土汚れで見る影もない。

 肺呼吸なんて不要なはずの薄い胸が上下動を繰り返す。脈打つように鼓動が燃える熱さを放ち続ける。

『マリー……』

 ネックレスを腕に巻きなおして、立ち上がる。ドレスの土を払ってイオはまた路を行き始めた。

「やっぱり。イオは意地悪なんだから」

 ※

『マリー。ごめん!ごめん、ごめん、ごめん。私、マリーのこと―――』
「うん。わかっているわ。いっぱい避けて、いっぱい無視して、いっぱい傷つけてくれたものね。わたしすごく悲しかったのよ。悲しくて苦しかった」

 汚れを厭わずに少女は人形を抱きしめる。
 人形も抱擁の強さなど気にならないほどに、負けじとドレスにしがみついた。

「イオ。どうしてなの?」
『私は―――』

 少女への返答としてイオが語ったのは長い話だった。
 彼女がまだイオでも人形でもなかった頃からの、長い話。

 魔女の姿こそが生前の、ミシキスミレであること。
 同じ名前の人形を持っていたこと。
 火事で命を失って、この異世界に転生したこと。
 人形の姿であったこと。
 
 呪いなのだと自暴自棄になって、魔女に諭されたこと。
 魔女の住処を訪れる客たちとの交流。

 侍女メイとの出会い。
 お屋敷への出張。

 そこで初めて少女と会った時のこと。

『マリーのこと初めて見た時から、人形みたいに綺麗でかわいい子だって思ってた』
「お人形さんに言われるのも照れくさいわね。あ、でもイオ、、、はお人形さんではなくて、人間の魔女様だから別にいいのよね?」

 スカートのことは気にしないでマリーは地面に腰を下ろして、耳を傾けた。

『本当に目を奪われた。初めてユリーシャちゃんと会った時よりもドキドキしたの』
「わたしもよ。メイがイオのことを紹介してくれて、すごく動揺したの。だって、わたしにもユリーが一番だったから。一緒だね」
『うん。マリーが困って苦しんでいるのが自分のことみたいに思えて。最後に助けられなかった私のユリーシャちゃんへの罪滅ぼしみたいな気になって、メイさんに手伝ってもらって』
「嬉しかった。本当に。直してくれたことは当然だけど、わたしとユリーの思い出を守ってくれたこと。改めてお礼を言うわね。ありがとう。イオもなんだか魔女様みたいね」
『生きてた頃にすこし齧ってただけ。家では人形(ドール)たちを直したりもしてたし。細かい作業なんかは人形の躰の方がやり易かった』
「器用なのね」
『メイさんには敵わないわ。それにマリーだって絵が上手じゃない』
「あ、、、見たの?」
『ん。ごめん。怒った?』
「恥ずかしい。わたしの、秘密の雑記帳だから」
『私も小さい頃は描いてた。親とかに見られたら死んじゃうやつ。私は小さい頃に人形(ドール)を買ってもらえなくて、友達の人形(ドール)で遊ばせてもらってたんだ。楽しかった。お友達は人形(ドール)が壊れたからって、もう遊ばなくなって。
でも私はなんとか下手なりに直してあげて。そうしたら友達の妹と仲良くなってね。十七~十八歳くらいまでは遊んでいた。大人って呼ばれる年になって仕事もし始めたけど、なんか物足りなくて。あんまり他の人と仲良くなるのが得意じゃなかったから。
そんなときにユリーシャちゃんと出会ったの。あとは人形(ドール)ちゃんたちと少しでも長く暮らせるようにだけで生きてた』
「いいな~。イオの、、、スミレのお人形さんたちは幸せだったのね」

 少女の言葉に即答はできない。
 スミレは人形(イオ)になってから、人形の視点で存在してきた。動ける話せることは例外にしても、本当に人形たちがスミレの元で幸せであったのかはスミレには計り知れない。

『どうかな。正直自信はない』
「そうなの! だってわたしがこの世から居なくなって。もしもお人形さんに生まれ変われたら、スミレのお家(うち)で暮らしたいわ。わたしことを置いて下さるかしら?」

 マリーの悪戯交じりの笑顔はまぶしいものだった。
 思わずイオの涙腺が緩むが、彼女は気にしていなかった。ただの人形が涙を流すはずがないのだから。

『いいわよ。でも他の人形(ドール)ちゃんたちと同じ部屋だからね。一番後輩だから、いっぱい雑用とかしてもらうわよ?』
「うん! お掃除もお洗濯もお料理も、お人形さんたちのお着替えだってさせて頂くわ」
『それはダメ。だってそれは私の役割!』
「スミレは、わたしのことを着飾ってくれれば充分ではないかしら?」
『……あの魔女が舌を巻くはずだ。マリーには敵う気がしない』
「では。わたしの勝ちね、イオ。もう逃げたり無視したりしないで傍にいて。最後の最後まで。わたしのことを見守っていてね。だってわたしは―――、

 あなたのことが大好きなんですもの!―――」

 告白。
 照れることも恥じらうことも越えた、想いを伝えるための行為。

 イオの返す言葉はもう決まっている。
 
 その前に、背伸びをしてから柔らかい頬を撫でる。
 少女も意味を解して目を閉じる。

 小さな唇が下唇と重なって、抱かれる力強さを身に感じる。

『マルガリーテス。私はこれから、あなたに一生ともにあることを誓います』
「イオ、わたしも誓います。あなたはとても大事な――――――よ」
『マリー。愛しているわ』
「イオ。お願いがあるの。わたしを連れて逃げてくれる?」
『いいの? だってマリーは……』
「お願い。一度だけ、少しだけでいいから」
『うん。マリー。行こう!』

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