人生の教科書 その1。
私のお気に入りの本についてここに残しておこうと思う。
江國香織さんの『落下する夕方』
物語をわかりやすく簡単に述べるなら、『私(梨果)と、別れた恋人(健吾)と、別れた恋人が好きな女性 (華子)との三角関係』で終わってしまう。けれどそれだけ終わらない奇妙さがある。しかし、梨果はそんな奇妙な存在 華子と同棲することになり(奇妙!)、そして梨果は徐々に華子の自由さ、存在感、その人柄に惹かれはじめていく。そんなお話です。
で す が、
私がこの本のお気に入りな点は、梨果が健吾のことを思い喜怒哀楽するその感性や、綴る言葉の一つ一つです。
『雨のなか、大通りをまっすぐ歩き、ガラスごしに健吾の姿がみえたとき、私は足がすくんだ。よそのひとのような顔をした健吾。別れてからいちばん胸が痛かった。絶望的だった。』p.20
つい先日、まだ完全に未練を捨てきれない元恋人と遊びに出かけました。会うのは実に2年振り。ずっとずっと会うのが楽しみで、足早に待ち合わせ場所まで行った私。でも、相手の姿を見つけた瞬間逃げ出したくなった。久しぶりに会うその人は、2年前とは全く違う雰囲気を持っていて、知らない人みたいだった。きっと私以外の人には分からないほど些細な変化。その時の感情を上手くまとめるとするなら、まさに江國香織さんの上記の言葉。これに一致する。
梨果が健吾との思い出を振り返る度に 私も自分の過去へと意識が飛んでしまう。学校の帰り道、少し遠回りをして一駅分歩いたあの時間。コンビニで買った肉まんを半分にして2人で食べたこと、旅行先で乗った観覧車、知らない土地で閉店間際のスーパーまで歩いたこと、彼を待つ夜の長さが好きだった。
『それをあたりまえに思えることの、ずぶ濡れになるような贅沢。華子にはわからない。求めて得られるようなものじゃないのだ。』
この言葉に尽きる。あの時間は贅沢な時間だった。限られた、切なく愛しい、大切な時間。求めて得られるようなものでは無い。
落下する夕方は私にとって人生の教科書のような本です。梨果に私は通ずるものを感じます。
人生の教科書といえば私にとってあともう1冊あります。それはまた今度。
長い長いこのお話を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。
また今度。