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自分の仕事はAIにとって変わられるのか

仙台で公認会計士・税理士をしています。
徒然なるままに日々の記録を投稿します

AIが普及すると仕事がなくなる。一度は聞いたことがある言葉だ。かくいう私の職業である公認会計士や税理士もなくなる職業の筆頭に上がっている。

一般の人には知られていないことだが、公認会計士や税理士などは職業団体があり資格を持った人が会費を出し合い、支え合っている。そのような会合や研修などで時たま、「AIが普及したら我々の職業はどうなるのか」なることが話されることがある。
この言葉を聴くたびに私はドキドキするのだが、その後一気に落胆する。

この「AIが普及したら」なるお題に対する回答のほとんどは、「我々の職業はAIに代替されることはない」というものだ。その理由はそれぞれいろんなものがあるが結論は同じだ。きっと公認会計士や税理士の団体でなくとも同じようなものだと思う。例えば弁護士や銀行員などもきっと我々のやっていることはAIではできないのだという結論を導き出しているだろう。

なぜ落胆するかというと、私が聞きたいのは自己の職業の専門性や気高さを自己正当化するような話ではなく、むしろどうやったら我々の仕事がAIにより無くすことができるかということを聞きたいからだ。

専門性がある領域は社会的なコストだ。
一般会社であれば、専門的な知識がなければできないような業務設計になっていることは悪とされる。どんな人でもできるような仕組み、業務設計を構築し、人が出入りしても会社が継続できる体制を作るのが大事だ(これが内部統制と言える)。
一般会社では当たり前に行われていることだが、国単位となるとその発想がなくなってします。

専門的知識があることが美化され、賞賛されたりもする。しかし、専門性は既得権益につながる。日本の幸福の最大化を考えるのであれば専門的知識がなければならない仕事は排除し、民主化すべきだ。

資格なんかがなくても正しく決算書が作成され、納税などができる世の中になれば良いと思う。たとえ今の自分の職業がなくなったとしても、世の中が進み生産性が上がるのであればその方が良いし、全てがデータでつながり自動で物事が流れ起票や税金計算をしなくても進む世の中のようがワクワクする。

もしかしたら自分の食に成るのかもしれないが、それはその時に考えればいい。
自分の仕事はすごいからAIなんかに代替されないとムキになっている大人よりよっぽどいい。

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