再生の「美」。古代ギリシャの美#1
発見されて、今年でちょうど200年!
「ミロのヴィーナス」です!
古代ギリシャの美を現代に伝えてくれる名作です。
1820年にギリシャ人の農民が発見しました。
その農民は、最初ミロのヴィーナスを隠そうとしたそうです。
でも、無事にオスマン帝国のお役人に見つかりました。
隠したかった地元民の気持ちもわかる気がします。
ヨーロッパじゃない
特に有名なのはヘレニズム文化です。
かの有名なアレクサンドロス大王から始まり、クレオパトラの頃まで続いたギリシャ文化です。
ミロのヴィーナス、ポリス(都市)、アリストテレスとか聞くと、ヨーロッパの文化…と思うところですが、
アレクサンドロス大王が東へ東へ進んだため、ほとんどアジアを中心とした文化でした。
かつてはいくつもの帝国が築いた文化圏です。(若干32歳でここまで支配するって…どういう人生でしょう…)
アレクサンドロスは色々な国の文化を破壊するのではなく、吸収してこの文化の礎を築きました。
眠るギリシャ文化
その後ギリシャ帝国は、ローマ帝国に滅ぼされます。
そして、ローマ帝国にかつてのギリシャ帝国領の西半分を持っていかれ、ペルシャが東半分を持っていきました。
さて、戦乱の世に文化は根付きにくいものです。
ギリシャはその後、ローマ帝国の分裂、東ローマ帝国時代、オスマン帝国時代と紆余曲折があり、ギリシャ文化は衰退の一途をたどります。
その間、どうやってギリシャ文化は保存されていったのでしょうか。
意外にもイスラム文化によって保存されたのです。
遠回りしたギリシャ文化
アッバース朝 (A.D.750〜A.D.1258)はイスラム帝国です。
ギリシャ文化なんて、完璧に異文化です。
一時期、イスラム圏で人種文題が起こり、アッバース朝ではギリシャとか中国とかの、他の文化も大事にしますよという体制が生まれました。
結果的に、ギリシャ文化は中東→アフリカ→スペインの方向からヨーロッパに伝わることになりました。
ヨーロッパがずっとゴチャゴチャしていたので、かなりの遠回りです。
1500年の時を経てついに
誰もが、一度は聞いたことがあるでしょう。
ルネッサンス!
「再び生まれる」という意味です。
大きなものは、14世紀にイタリアで生じた芸術活動です。
ギリシャ文化はルネッサンスによって、再びヨーロッパで注目されました。
それまでも小さなルネッサンスはあったのですが、オスマン帝国(イスラム文化)が東ローマ帝国を滅ぼしたことが大きな切っ掛けともなりました。
ギリシャの学者などがヨーロッパに逃げたんです。(ここでもイスラム文化が関わるのは興味深いですね。)
古代ギリシャ・古代ローマをテーマにしようという運動です。
この時代にダビデ像やヴィーナスの絵画が作られます。
おかげで、ダビデもイエスもギリシャ人も金髪になったりもしましたが、(本来は中東の人なので、基本は黒髪です。)ギリシャ文化は日の目を見ていきます。
今日まで生き残るギリシャ
今でも英語の中に、ギリシャ語は生きていますね。
デーモクラティア→民主主義(Democracy)
パラディソス→楽園(Paradise)
ポリス→警察(Police)
テトラ→4、ペンタ→5
もともとの意味とは少し違いますが、古代ギリシャが大きな影響力を持っていた証拠の一つだと思います。
少なくともルネッサンス期の天才画家たちは大いに魅了されました。
さて、具体的にどんな「美」が存在したのか。
花の文化は、どんなものだったのか。
別の記事で取り上げたいと思います。
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