メンヘラとヤンデレの違い :自己肯定感のお話
こんにちは!
『可愛いとエリートは両立する!』エリートヤンデレかいじゅうちゃんです。
今回は、「違いがよく分からない!」と言われがちな、
【メンヘラとヤンデレの違い】
について、エリートヤンデレのかいじゅうちゃんとして、当事者目線で考察してみたいと思います!!(かなり主観的な部分もあります。)
突然ですが皆さんは、「あの子はメンヘラだな」とか「〇〇の彼女はヤンデレらしい」とか、身の回りの人間関係を見ていて思ったり、ご友人から聞いたりしたことはあるでしょうか?
そもそも「メンヘラ」「ヤンデレ」ってなんだよ、という方のために簡単に説明すると、一般的には
「メンヘラ」は広義にはネットスラングで「メンタルを病んでいる人」という意味で、
こと恋愛の場面においては、「自分は愛されている」という実感を求めるあまり、不特定多数の相手を誘惑したり、少しでも上手くいかない、辛いこと(彼氏がLINEを半日返してくれなかったとか)があると、自傷行為に走ったりしてしまう人を指して使うことが多い言葉です。
対して「ヤンデレ」は、「ツンデレ」と同じ原理でできた言葉で、「ツンデレ」が「ツンツンしている」+「デレている」という造語だとすれば、
「ヤンデレ」は「病んでいる」+「デレている」、つまり、「誰かが好きすぎて病んでいる状態」にある人を表す言葉とされています。
基本的にはその「誰か」はこの世にただ1人であることが多く、彼氏や彼女、片思いの相手、忘れられない元恋人などがよくあるパターンです。
誰しも夢中で恋をすることはありますし、相手への愛着はあるものですが、それらがすべて「ヤンデレ」というわけではありません。
それらと「ヤンデレ」を分けるものは、一言でいえば
ヤンデレにとってはその「誰か」が世界のすべて
です。端的に言えば「その人のためなら自分も他の人もどうでもいい」、「理想はその人と2人きりの世界」という感じです。
こう書くとすごく自分勝手で危険な人物のように思われてしまうかもしれませんが、ほとんどのヤンデレはちゃんと良心を持っています。2次元で描かれるヤンデレは時に猟奇的ですが、そのタイプは現実ではかなり珍しいんじゃないかな?と思います。
それよりも、常に自分の都合より相手の好みや気持ちが優先で、付き合った途端服装から人間関係までガラッと変わってしまうので周りの人からヤンデレ認定されることが多いのではないでしょうか。ヤンデレにとって1番怖いのは相手に見捨てられることなので、日々の生活では常に相手を嫌な気持ちにさせないように気を配っています。
それだけ普段相手に尽くしているからこそ、相手に近づく異性は許せませんし、相手が自分以外の誰かと仲良くしているのを見ると猛烈に拗ねます。拗ねると言っても「病んでいる」拗ね方なので、普通の嫉妬程度ではないのが特徴です。
「メンヘラ」「ヤンデレ」は上記のような特徴から、「恋愛の仕方が病んでいる」点で混同されがちで、その差は
「メンヘラ」は自分が一番大切
「ヤンデレ」は好きな相手が一番大切
であること、と説明されることが多いです。
しかし私は「メンヘラ」と「ヤンデレ」をまったく別の存在として捉えるのはちょっと違うかな、と感じています。
結論から言うと、
「メンヘラ」の一形態が「ヤンデレ」
というのが正しい説明ではないかと思うのです。
根拠は2つあります。
まず第一に、
「ヤンデレは自傷行為をしない」というのが違いとして一般的によく挙げられるのですが、ヤンデレも大切な人に裏切られた等、よほど辛いことがあって情緒不安定になれば自傷をすることはあります。ただしこの自傷は、辛い気持ちを紛らわせるため、または大切な人を自分の元に留めておくためであって、他の人の目線はまったく求めていません。むしろ見ないでほしい(byかいじゅうちゃん)。
でもこれって、結局メンヘラもヤンデレも行動自体は一緒で、病んでいることも一緒です。違うのは、自分のことを心配してほしい、大切にしてほしい、好きでいてほしい対象が複数の対象に分散しているか、一極集中しているかってことだけ。
つまり,ヤンデレは10人に100%の愛情を向けられるより,自分の好きな人ただ1人に普通の人の1000%分の愛情をもらう方が幸せや安心感を得られるタイプのメンヘラとも言えます。
第二に,これが今回一番書きたかったことなのですが,
そもそもメンタルが超健康だったらヤンデレにはなりません!!←これ重要
ヤンデレって,傍から見たら自分勝手で「束縛されてる相手方がかわいそ~」っていうイメージがあるかもしれませんが,普通の人の感覚だったらヤンデレでいるのってたぶんすっごく大変です。
例えば,「自分が着たい服を着たい!自分が行きたいところに行きたいし,自分が会いたい人に好きな時に会いたい!恋人にプライベートを縛られたくない!」
これってごく普通の欲求なんだと思います。でもかいじゅうちゃんには,あんまりこういう気持ちがないんです。「自分がこうしたい!」って自分で決められるのは,本当にすごいことだと思います。そしてそういう自分の意思がある人は,自分をちゃんと自然に大切にできる方なんだろうな,と感じます。
ヤンデレは好きな相手に尽くすのが得意ですが,それは裏を返せば「”自分”がない」ということなのです。それが絶対に悪いことだとは言いませんが,往々にして,自己肯定感の低さと直結しやすいウィークポイントではあります。
ヤンデレは好きな人に自分の存在を肯定してもらうことで初めて自己肯定感を保てるので,逆にその好きな人による肯定が失われそうになると,自分自身の心が保てないくらいの衝撃を受けて激しく病んでしまうのです。
普段は従順でなんでも言うことを聞いてくれる彼女が,彼氏の周りに他の女の影がチラついた途端,発狂したように暴走するというヤンデレの情緒不安定っぷりはここから来ているものだと考えることができます。
以上の根拠から,
元々自己肯定感が低く,メンタルが丈夫じゃない人(≒メンヘラ)が,大好きな人に出会ってその人からの評価に自分のすべてを委ねて依存している時,それがヤンデレになる
というのが私の考察のまとめになります。
もちろん色々な考え方があると思いますし,私の主観が入ってしまっていることは否めませんが,重すぎる愛情と依存心で生きづらさを抱えて生きてきた一人のヤンデレの見解としてご覧になっていただけたら幸いです。
「メンヘラ」も「ヤンデレ」もまだまだ偏見を持たれがちですが,根本にあるのは自己肯定感の低さや自信のなさで,そんな生きづらさを自分のできる方法で和らげながら一生懸命に生きているだけなのです。
過去の経験や育った環境,または元々の性質としてメンタルを保つのが苦手なだけで,「子どもの頃から運動が苦手」みたいに,誰にだってある向き不向きの一つです。無理に深く関わる必要はないですが,「怖い」「やばそう」といった一括りの先入観を持たずに社会で受け入れてくださる方が少しでも増えたら嬉しいです。
そして今,自己肯定感を持つことが苦手だったり,自分を好きになれないと感じたりしている方も,自分を大切に扱ってくれて,自分もその人のことを大切だと思える,そんな素敵な相手を見つけて一緒に時間を過ごすことができれば,必ずだんだん自分や自分の人生を大切にすることができるようになっていきます。
それは恋人だけに限らず,親友や家族,仲間としてもう出会っている人かもしれないし,これから出会う人かもしれません。今いる場所では出会えないと思ったら,場所を変えるのもひとつの手です。私だって,高校3年生のあの時東京の大学に行こうと決断しなかったら,人生で一番尊敬できる最愛の人に出会うことも,結ばれることもきっとなかったのですから。
人生の岐路は意外とすぐ近くに転がっているようです。
この記事を読んでくださったあなたに,人生をより素敵にする大切な出会いが訪れますように,微力ながらお祈りしつつ今回の文章を締めさせていただきます。
最後までお読みいただき,本当にありがとうございました。もしこの記事が「良かったな」「面白かったな」と思っていただけたら,「スキ」や「フォロー」で応援していただけたら嬉しいです!
それではまた次回お会いしましょう!
かいじゅうちゃん
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