『ノマドランド』がアカデミー賞有力と言われるワケ。〜アメリカの10年代を総括。そして20年代へ〜
『ノマドランド』ようやく観てきました。噂に違わぬパワーを受け取ったので、観た勢いそのままに長文レビュー投稿します!(このレビューは映画コミュニティSHAKEにて4/10に投稿した内容を整えたものです)
⚠︎ややネタバレ含みます⚠︎
称賛されている、実際にノマドの人たちをキャスティングすることによるリアリティはさすが、すごかったです。俳優と非俳優がこんなにも高いレベルで共存できることにも驚かされましたが、やっぱり中心はフランシス・マクドーマンド。彼女の芝居を通して本当にたくさんのことを考えられました。
観てる途中でそういえばと気づいたのですが、この映画は2011〜2012年あたりを舞台にしてるので、現代劇のようで実は少し古い時代に物語をセットしてるんですよね。この10年で世界の価値観は大きく変容したので、現代劇とは言えないかなと感じました。時代劇を読み解く時には「なぜその時代を選んだのか」を考えます。
ノマドの人たちがFacebookとかSNSを駆使してるシーンがありましたが、2011年くらいにスマホ片手にバンに乗ってハウスレスで暮らしてるって、古さと新しさがブレンドされたすごくスタイリッシュな生活様式に感じただろうなと思います。日本でいえば坂口恭平さんが登場したころのセンセーショナルな感じを思い出しました。彼のキャラクターも相まって、当時大学生の僕はすごくかっこいいと思ったことを覚えています。坂口恭平さんについては『モバイルハウスのつくりかた』(2012)というドキュメンタリーがAmazonプライムビデオとU-NEXTで観られるので、興味のある人は是非ご覧ください。
余談でした。
さて、『ノマドランド』のテーマについてはいろんな解釈があるんだろうなと思いますが、僕は「開拓者/先駆者であり続けるというアメリカ人の物理的/精神的な所在がどこにあるのか」を10年代を総括しながら問う映画だと思いました。
Amazonが印象的に出てきましたね。「配送業」でサービスを受けるには「住所」が必要です。だから配送業を扱うことは物語上意図的なはずです。Amazonは住所を持たない彼らの働き口としては開かれていて、現代では「住所」がなくても配達を受けられるようなサービスも展開しています。(日本ではコンビニ受け取りなどがそれです)
マクドーマンド演じるファーンが、Amazonは給料が良いと言ってたようにGAFAのような巨大企業がノマドの拠り所になっているという描写は、アメリカがまさに移り変わる途中であることを感じます。(原作では批判的にAmazonを描いているそうですが、映画ではやや皮肉としては機能しているものの、批判の対象というよりアメリカを理解するためのフィルターのような機能を果たしているんだと思います)
時代設定にはいくつかの意味付けをしていますが、まずとても大事なのはサブプライムローン崩壊後数年経っているというところです。ファーンが姉の家で過ごした時にいた人たちは「場所」を扱う不動産業界の人たちで、サブプライムローンは崩壊したけど、不動産価値はまた上がってる、不動産は絶対に儲かる、と言います。ファーンはその価値観に異議を唱えていましたが、彼らにとってはファーンの方こそが激ヤバ価値観の人に見えています。ここでも、場所に対しての意識を観客にリマインドしていました。
そういえばファーンが街を歩くシーンで映画館の前を通りますが、そこで上映中の作品が『アベンジャーズ 』でしたね。この世界中を席巻したアメコミ原作の映画が公開されたのは2012年。細かいですがめちゃくちゃ批評性のあるセレクトをしています。ちなみにディズニーがマーベルを買収したのも2010年頃のことです。(アメリカをこのテーマで語る上でこの時代設定は完璧すぎる)
ファーンがなぜノマドとして生きることになったのか。その真相は徐々に明らかになります。
どこか所在なさげで、喪失感を携えた表情を見せるファーン。車中で写真を眺めて昔の生活を振り返っているシーンもありましたね。話が進んでいきわかるのは、亡くなった夫は天涯孤独だったため、ふたりで暮らしたエンパイアを離れると夫が生きていた証がなくなってしまうと思っていたということです。つまり、ノマド生活は場所に縛られないというのは勝手な決めつけに過ぎず、実際はファーンはこの土地に物理的にも精神的にも呪いのように強く縛られていたのです。このあたりはハッとしました。
「死者はどこにいるのか問題」「人が生きた証をどう語り継ぐか問題」といったテーマは、亡くなったノマドをコミュニティ内で囲い見送るシーンからも感じたところです。
最後に演出的な見どころを補足します。演出面では、音楽の使い方が特徴的な映画です。
みなさん、最初BGMが流れたとき「最近の映画にしてはやたらメロディアスなピアノで変だな」と思いませんでしたか。
2回目に音楽が流れるシーンでも同じように若干の違和感を感じました。
ただ3回目に音楽流れるシーンで「お」と気づました。これまでの2回と明らかに質の違うBGMが流れたのです。(一度観ただけなので回数間違ってたらスイマセン)
この映画では展開にではなく、ファーンに対して音楽をつけていますが、内的なものを強調したいシーンと、外的なものを強調したいシーンで明確に音楽の使い方を分けているんだと思います。つまり「感情」に対してと、「状況」対してでそれぞれ方向性の違う音楽を乗せています。
少し違和感のあるピアノ(いい曲ではあるんですが、古いメロディーライン)、あの正体はファーンの感情の高ぶりに対して当てられた音だったのです。だから、後半のあるシーンで「連弾」が出てきますが、これまでの音楽の使い方がフリとして効いているため、ピアノの音を聞くだけで観客は「彼女の感情が動いている」と一瞬でわかるようになっています。クロエ・ジャオ監督、すごい演出!と感心しました。
崖際で、荒れる波を見るシーンなど自然の力が彼女に影響を及さんとするシーンでは別の種類の音楽が流れていたはずです。
やや語弊があるかもしれませんが、所在なさげな女性彷徨う姿を描き、ひとところに留まることと漂流することを対比させながら一人称で語るような映画として『ロスト・イン・トランスレーション』とも比較して語ることができるんじゃないかと思いました。
私たちは物理的には、いま立っているここにいます。
しかし、魂や、思い出はどうか。
亡くなった大切な人はどこにいるのでしょうか。
じゃあ日本人はどこに住んでいる人のことなのか。
アメリカ人とイギリス人の違いは?
こういうところに世界中の人が思いを巡らすことのできる映画ではないでしょうか。
そして中国系のクロエ・ジャオ監督がこれを描くというのも、ヴェネチアが賞を与えるのも、すごく意味を考えるのが面白いと思います。
アカデミー賞の発表、今月(26日)ですね。
アメリカの00年代〜10年代を総括し、20年代へのテーマを投げかけるような『ノマドランド』をどう扱うか。めちゃくちゃ楽しみです。
アカデミー賞はアメリカ(ハリウッド)が、世界に自分たちのポジションとアングルを発信する場所でもあるので「アジア系監督によるノマドの話」を推すことには強いメッセージ性が含まれます。ファッションの流行の源流がヨーロッパのショーに遡れるのと同じように、「映画のトレンド」を決めるメインストリームのひとつがオスカーの行方だと言えるでしょう。
長くなりましたがお読みいただきありがとうございました。
今後、観た映画の感想をSHAKEのコミュニティ内で積極的に投稿していきますので、こちらもぜひチェックしてみてください。映画の感想を言い合える場所があるのはいいですね。いま、面白い映画が目白押しなので、新作情報に目が離せません。それでは。
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