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貞夫さん

利用者:80代男性
施設形態:有料老人ホーム
施設母体:株式会社

婚姻歴なし、子なし、親戚なしで生活保護受給者の貞夫さん。
口数が極端に少なく職員から話しかけてもあまり反応してくれないものだから、食堂やリハビリルームなどに居てもポツンと座ったまま放置されている。

返事が返って来なくたっていいし、たまに見せてくれる笑顔が可愛らしくて好きだったから、姿を見つけては話しかけていたが「ムダムダ!貞夫は無口とかそういうんじゃないから放っといていいよ!」職員のSだ。

Sは介護歴が浅く夜勤をやりたくないという理由で日勤のみのパート勤務。
夜勤をせず日勤だけのくせに(夜間の様子を知らないくせに)「俺は誰よりも利用者の事を見てるし全てを把握してるんだから俺の言う事聞いてたら間違いない!」というのが口癖。

認知のある利用者さんを小馬鹿にしたような言い方をしたり、我が強いため全て自分の思い通りにしたがるので、職員にも利用者さんにも嫌われていた。(私も苦手なタイプだった)

貞夫さんに話しかけるかどうかは私の勝手だし、一日中誰にも話しかけてもらえず放置されている姿は本当に気の毒で仕方なかった。

ある日の夕食後、片付けをする私に貞夫さんが近寄りポツリと言った。
「ご飯…」
「今食べ終わったところよ~」
「……もらってない」
聞きつけたSがやって来た
「貞夫くん!食べた事忘れちゃったの?これやるよ!自分の席に座って食べな」

Sは他の利用者さんが残したご飯、筑前煮、味噌汁などを貞夫さんにお盆ごと渡した。
嗜好や体調の関係で食事をしない方は珍しくないが、基本的に他利用者さんにそれをあげてはいけない事になっている。

しかも、Sが貞夫さんに食べさせている食事はほとんど残されてはいるが手付かずではない。
ご飯も味噌汁も少しだけ箸を付けただけだが、いわゆる残飯だった。

「Sさん!それ〇〇さん手付けてますよ!付けてないとしてもあげちゃダメでしょ…」
と思わず叫んだ私に「大丈夫だって、〇〇さん別に感染症とかある訳じゃないし死にはしねぇ」
そう言ってSは高笑いした。

Sに言われた通り自分の食席で冷えた残飯を食べている貞夫さん、そして残飯を食べさせるSを見て見ぬふりの職員たち。
後片付けでバタバタしている時に貞夫さんがウロウロして困らせる事があるから「そういう時は残飯を食べさせておけば静かにしててくれるし別にいいよ」だそうだ。

貞夫さんは食事した事を忘れて空腹を訴える事が度々あり、Sだけでなく他の職員もこれまで残飯を食べさせていたと聞いて愕然とした。

私は見逃せなかったし、見て見ぬふりは出来なかった。食べ残した利用者さんに感染症があるとか無いとか関係なく、他人の残飯を食べさせておけば静かだからという自分勝手な理由で与えるなどあってはならない!

現場の責任者であるリーダーはSが残飯を食べさせている事を知っている。
つまりリーダーすら貞夫さんが静かにしててくれるならと黙認している状況なのだ。
現場の人間ではダメだ…
私は課長に言ってみる事にした。

課長は私が話し終わると「それって俺じゃなくリーダーに話してみたら?俺は正直な話し現場の事って何も分からないじゃん?現場の事は現場で…何かさ、こう生命に関わるような重大な事だったりしたら俺も内容によっては本社に報告とかしないといけないんだけどさ…そこまででもないかなぁーって思うよ」

リーダーも知っていて知らんぷりだと言うと
「それがリーダーの判断なら特に問題じゃないんじゃない?」

もう私はそれ以上何も言う気にならず事務所を後にしたが、それから10日程して私は課長から責められる事になる。

施設や病院の食事には人それぞれ形態がある。
通常の一般食、主食が粥、おかずを小さく食べ易くした刻み食、全てトロトロにしたペースト食など、その人に合わせた食事形態がある。

それからアレルギー、体質に合わない、本人が嫌いで食べれないなどで「禁食」がある。

その日も食後にSが手渡した残飯を食べ尽くして満足した貞夫さんだったが、就寝前のケアをするため居室のドアを開けると目の前に横たわっていた。

おそらく助けを呼ぼうとしたのだろう、右手をドアの方へ伸ばした状態だった。
心臓か脳か…色々な憶測が飛び交った。
指先や唇にはチアノーゼが見られ、血の気のない顔色、声かけにも反応はないし脈も触れない。

死因は心臓でも脳でもなく、アナフィラキシーショックによる呼吸困難での窒息死。

その日Sが貞夫さんに食べさせた残飯の中には、貞夫さんにとって禁食だった海老が入っていた。それが原因でアナフィラキシーを引き起こし、気道が塞がった為の窒息死だと判明したのだが、これは殺人事件である。

窒息死…貞夫さん、どんなに苦しかっただろう。
きっと貞夫さんはか細い声で必死に助けを呼んだに違いない。

本社から調査が入り、全職員が一人づつ聞き取り面談となった。
私は課長に訴えた事を言ったが、同席していた課長から「禁食まで食わせてるなんて聞いてないぞ!聞いてたら放置するはずがないだろ!なぜ言わなかった!」と怒鳴られた。

現場経験がない課長には、その時に残されている残飯を適当に食べさせている=禁食だって食べる可能性があるという思考には至らなかったのだ。
正職員の誰もが見て見ぬふりをする中、派遣の私が訴えていたにも関わらず責任転嫁をしたのだ。

貞夫さんを死なせたSはグループ内の違う施設に異動となった。
解雇でもなく、指導や研修などがあってお叱りを受けた訳もなく、単に異動させられただけである。そして課長に至っては何もなし。

私は翌月からも延長をお願いされていたが、キッパリと断った。


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