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随筆14

東京は風が冷たい。もうすぐ今年がおわる。
今年は社会人になった。
フリーターになろうと決意した矢先転がり込むように入社して9か月がたってしまった。
ギャル営業のイケPR会社に入社するつもりだったが、ちょうど1年前の12月に内定辞退をして、バイトでもしてふらふらする心づもりをしていたらなんとゴリゴリのベンチャーに入社した。
まいにちのように酒を飲んで仕事をしていた学生時代と違って、いまは昼に働いて夜はベッドで眠っている。
ただ日光を浴びずに生活するスタイルだけが、変わらない。

夏に引っ越した。古本屋もあればその隣の通りに洒落たセレクト本の店もあるような街で、夜中に帰るとどでかいセレブいぬが散歩している。一見さんで入るにはあまりにも入りにくい酒屋と、外にドラム缶が転がっているようなやっすいチェーン店が隣並んでいる。
そういうまちで、大家と隣の部屋の塩顔アラサー男性、それと私の、三世帯しかいない小柄なアパートにすんでいる。
相変わらずの木造は、隣の塩顔の生活音をたまに届ける。
底冷えする1階の部屋は冷蔵庫の中みたいに寒い。それと湿気がすさまじくカビやすい。
ものが多い私は様々なものにカビをはやしてしまい強制的に断捨離させられた。オーライ。

今年の撮影は30件を超えた。
こんなに被写体や写真としての表現にはまってしまうとは思わなかった。
飲みの席でよく、”言葉では伝えられない、写真や雰囲気・オーラでしか伝えられないものがあると思うの”なんてことを酔っぱらって口走っている。
ものを作る人の持つ雰囲気はいつも私を奮い立たせていて、「私も何か作らなきゃ」という焦りと、私が生きているのは会社員の世界だけではなかったのだという安堵をくれる。
写真に写るうえで、写りたい姿と実際に受け取られるものに大きな乖離がある気がして葛藤したけど今は少し落ち着いている。
人が裸を見るときの気持ちはその時々、人によってさまざまだと思う。
”私が見せているのは裸じゃない”とかまた酔狂なことを口走りそうになる。
ヌード写真を見た人の多くが、「良い体だから、ヤリたい。」「完璧なケツ」「乳輪見えそうで見えない」
そういう言葉に落ち着いてしまうことも、よく知っている。
それを飲み込んでもなお、私がなりたい被写体が何か、未だにうまく言語化できない。そのままでも生かしてくれるカメラマンを尊敬する。

映画を全然見られなくなった。
年間100本近く見ていたのに月3本くらいのペースでしか見れていない。
それだけキャパが減っているということだった。自由に動けるのは土日しかないのに今年はほとんど撮影していた。家に帰っても2時間集中することができなくて途中で眠ってしまう。
監督のオナニーみたいなB級映画を見られずに、いいなあと思いながらフライヤーだけ持って帰る生活が続いている。部屋に飾りたいなと思いながらフライヤーをためているファイルに眠らせる。
その代わりアニメをよく見るようになった。スポーツ根性もののジャンプ系アニメに毎回泣かされている。某バレーアニメは5周目に突入。疲れている時ならOPだけで泣ける。
ジャンクにアニメで涙活。優しい自然派みたいな言葉や映像をしっかり味わえるような時間が欲しい。切実に思っている。思ってはいる。

年末、ずっと会いたかった友達や家族に会ったら泣いてしまう気がする。
慢性的な寝不足のせいか、涙腺がどんどんがばがばになっていてだめだ。

2021、根を詰めた1年だったように思う。
来年は意識してくだらない時間が過ごしたい。
くだらなさや、生産性のないこと、仕事やお金に繋がらないことを大切だと胸を張れる大人でありたい。
ベンチャー特有の、無駄に横文字を使うような大人にはなりたくないし、脱サラする好機を虎視眈々と狙って過ごしたい。
そんな感じです。

来年も好きなことができますように。
良いお年を。

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