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ジミー・コーリガン〜世界一賢いこども第2巻と休む

 第1巻や、本作品の基本的な解説はこちらから。

第1巻の最後は、散歩をしていたらトラックにぶつかって倒れているところに、父親が来たところで終わっていた。第2巻はうってかわって、昔の(南北?)戦争のシーンから始まる。第2巻においても大きくストリーは展開することなく、父親に娘がいること(主人公であるジミー・コーリガンの腹違いの妹)が発覚したこと、父親がとんでもない俗物であることが発覚したことくらいがハイライトか。

 他方で、漫画の表現自体は随所に斬新な手法が使われているように感じる。1つに下記のようなコマだ。これは、父親にガールフレンドの話を振られたときに、本当はコーリガンにガールフレンドはいないのでビクっとしている表現だ。このようにどこか広告っぽい表現をコマの中に入れてくるのがとても印象的だ。

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上記のコマは、左端のコマは現実のコマ、一番右端のコーリガンがガールフレンドと歩いている姿が見えるのは妄想のコマであろう。このように自然な時間の経過の中で急にコーリガンの妄想が時に現実に溶け込み、時に場面や時代を変えて登場してくるのが本作品を読み進める上で厄介なところでもあるし、興味深いところでもある。

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 さらに、上記のコマを見ていただくとわかるように、本作品では、現代においてはジミー・コーリガン及び父親以外の顔は出てこない。意図的に隠されているように見える。

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 さらに上記のように米国の強い消費社会のイメージアイコンも登場する。これは作者の米国消費社会へのリスペクトとみるべきか否か、考え方が別れるところかもしれない。

 第2巻のもうひとつの特徴は、ジミー・コーリガンの祖父および曽祖父の時代の話が20ページほど挿入されている。これが第3巻にどのようにつながるのか楽しみだ。

 第2巻まで読んだ感想は、ストーリーは息子が父親に会いにいくという単純な話だが、妄想シーンや凝った技法、時代や場面が突然転換するところが少し読みにくい。私は当初英語原書で読んだのだが、英語を追いつつ(しかも英語原書は筆記体で書かれているところが多々あり、十分にストーリーが楽しめず日本語版を購入した)このようなコマを追うのはなかなか苦労した。他方で日本語で読むと案外楽に読めると感じたので、是非日本語版が手に入るうちにチェックをしてもらいたい。

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