スピードライティングより大切なこと。
以下の記事を読んで「スピードライティング」という言葉を知りました。
日本語に訳すなら「速筆」ということになるでしょうか。ハイスピードで文章を書くことを意味しているのだと思います。
で、これは自慢ですが、ぼくは書くのが速い。いや、自分ではとくに速いほうだとも思っていなかったのだけれど、人の話を聞いているとどうやら速いほうだということがわかってきました。
どうもふつうのスピードだと1時間1000文字から2000文字くらい書ければ良いほうらしいですね。作家とかライターみたいな文章のプロでも1時間で3000文字書ける人は少ないよう。
あの速筆の代名詞みたいな西尾維新さんがだいたい1時間3000文字くらいだといいます。まあ、西尾さんの場合はたぶん、そのスピードで毎日数時間書いているからあれだけのアウトプットができるのだと思うけれど、それにしても意外にそれほどの速度でもないんだな、という気はしてしまいますね。
じゃあおまえはどうなんだと思われるかもしれませんが、ぼくももっとシリアスな文章、あるいは仕事で書く文章だともう少し手間取ることがありますが、この文章のようなラフな内容であれば1時間に4000文字から5000文字くらいは書いていると思います。
1時間あれば1500文字の記事が3本くらい書ける計算ですね。じっさいにはnoteにアップロードするのにも手間がかかっているのでもう少し時間がかかってしまいますが、まあ、それでも1時間で2本は書ける。
あるいは、そんな言葉があるのかどうか知らないものの、「スピードライター」といっても良いかもしれません。
それではどうしてそんなスピードで書けるかというと――なぜだろうな、べつに特訓によって速くなったというわけでもなく、昔からこのくらいのスピードで書いていたと思います。
というか、頭のなかにあるものをそのまま文字に落としているだけだから、そんな時間がかかるはずもないんですよね。書くのに時間がかかるという人はどこで手間取っているのか不思議。
いやまあ、面白い小説や精緻な論文とかを書くのに手間取ることは理解できますが、ただ書くだけならだらだらっと書けてしまうのでわ?と思うのですね。きっとそういうわけにはいかないんでしょうけれど。
ちなみに、こういう電子書籍があります。
ようはきちんと構想してから書けば1時間で5000文字は書けるようになるよ、という内容らしい。
まあ、それはそうかもしれない。そもそも1時間で5000文字のタイピングがムリ、という人もいるだろうけれど、事前に精緻なプロットを用意すれば書くのが速くなる傾向があるのは事実でしょう。地図を持って歩くのと手探りしながら歩くのと、どちらが速くなるのかは自明です。
でもね、単純に考えて、それじゃ速く書けても意味がないんじゃないの、と思うんですよね。
あたりまえだけれど、構想の時間も執筆時間に入れて計算するべきでしょう。3時間かけて内容を練って1時間で5000文字の文章を書き上げたとすれば、それは時速5000文字じゃなく時速1250文字ですよね。
書くことそのものがいくら速くても、そのまえに時間がかかっていたら意味がない。
ぼくは2万文字以下の文章では構想を練るということがほとんどありません。アイディア出しからすべて含めて時速4000~5000文字くらいになります。
内容は書きながら考えるか、いくらか長い文章だと事前に頭のなかでばーっと思い浮かべてしまう。文体はすでに完成させたものを流用しているので悩みません。意図して変化を加える場合はべつですけれどね。
これ、ぼくの長所だと思うので自慢しておきましょう。まあ、いくら速くても中身がともなわなければしかたないんですけれど、でも、とりあえず「スピードライティング」はできるといえると思う。
しかし、いままで書いてきたことを裏切るようですが、そもそも文章なんて速く書けてもたいした意味はありません。手間が省ける程度のことです。スピードライティングより何よりていねいに書くことを心得たほうが良いでしょう。少なくとも、良い文章を書きたいなら。
ぼくはそう考えますけれど、いかがでしょう? 良い文章とは何かということは、また、いずれ。
BGM:薬師丸ひろ子『古今集』
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