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第58話 都市伝説『幽霊』(BJ・お題 『幽霊』)


霊感の強い人というのはいますね。BJが友人から聞いた話では、毎晩霊につき合わされているという女の人がいました。それは何人もの子供達の霊であり、取り憑くというのとはまた違い、目をつけられていて毎晩やってきては彼女の体を触るというのです。友人はその霊たちを痴情霊と呼んでいました。

ある日その女性は、知り合いから聞いた付け焼き刃の知識に従い、霊たちに向かって「やめなさい!」と一喝したらしいのですが、子供達の霊の動きが止まったのは一瞬で、そのあと殴る蹴るの暴力を受けたというのです。

本人も当然いい気分ではなく苦しいのでしょうが、霊の存在もうそれが日常的になっていて怖いというのはないようです。


ただあえて野暮なことを言いますと、霊感の強い人というのは幻覚や錯覚を体験している可能性も考えられます。単なる気のせいというのではなくて、幻覚を体験する病気というものはあります。見えるなら幻視、声が聞こえるなら幻聴。他にも気配を感じるなどということもあるでしょう。先ほどの女性は体を触られていますが、これも体感幻覚というよくある症状です。

幻覚は脳になんらかの原因がある病気によっても起こりますが、ストレスによって幻覚が出てくることもあります。


また、想像力がたくましいというか、イマジネーションの世界に没頭してしまう人が、自らの体験を心霊体験として語っていることもあるかもしれません。半分嘘と言えなくもありませんが、現実を見失ってしまっていると言ったほうが正しく、嘘と呼ぶのは酷でしょう。

そういう想像上の実態については、イマジナリーフレンドという名前がついています。幼い子供にはよく見られる現象です。

かく言う私も小学生の頃、自分の守護霊さまに朝晩挨拶をするとお話ができて願い事を叶えてくれる、という話を聞き、友人たちといっしょに試してみたことがあります。あれは今考えると、イマジナリーフレンドでした。他にもガンダムの登場人物と会話ができる友人もいました。


あるいは薬を使うことにより、病気で起きるような幻覚とほとんど同じものが出ることもあります。

たとえばアルコール使用障害の人には、お酒が切れたときに見える小動物幻視というものが知られています。小人や小さな虫などといったものがたくさんいるのがかなりはっきりと見えるのです。これは平安時代の病草子という絵巻物にも描かれている有名な現象です。


ただ、修行の末に霊感を身につける人々がいます。これは病気ではない健康な人にも霊が見えるということだから、霊がいるという証拠だと言えるかもしれません。

キリストもブッダも修行中に悪魔と会話をしています。ですが宗教体験でも幻覚が起こることは精神医学的に知られている事実です。苦しい状況に身を追い込んだとき、人はそのような特殊な体験をします。

例えばサードマン現象というものが知られています。

登山家などが遭難した際に、自分を正しい場所に導く人物が現れるのです。これも過酷な環境にさらされたときに脳が生み出す幻覚だと考えられます。

そこまで過酷な状況でなくても、人は感覚遮断をされるだけで簡単に幻覚を体験します。感覚遮断とは、光を遮断し、耳にはザーっというホワイトノイズを聞かせ、体温と同じ温度の水に漬け込むことによって、あらゆる刺激を断つものですが、人にとって刺激がないストレスは激しいもので、15分程度で幻覚を見たり邪悪な存在を感じたりするなど、ないはずのものを知覚するようになってしまいます。やがて精神異常をきたします。


ここまで、心霊体験は精神医学で説明される現象であるとして語ってきました。ですが反論も考えられます。本当にどれも霊が関わっていないのでしょうか?精神医学は、「心霊体験が脳によって起こされたものとして説明できる」と言っているだけで、霊を否定できたわけではないのです。

たとえば複数の人が申し合わせもせずに同じ霊を見る現象についてはどう説明すればよいのでしょうか?まあ、インチキということもあるかもしれません。

では統合失調症の幻聴のほとんどに悪意があるのはどういうことでしょう?おだやかないいことを言ってくれる幻聴を聞く人というのはまず聞いたことがありません。恐ろしい脅しや悪口に限られているのです。ただ、アフリカ人の患者は陽気な幻聴を聞くという話を聞いたことがあります。いずれにせよこうした偏りがどうしてあるのか、説明できる人はいません。

実は病気の人は邪悪な霊の声を聞いていて、でもアフリカの霊は陽気でフレンドリーなんだ、と説明することだってできるわけです。


アルコールで脳が侵されると幻視を見る、そこまではなんとなく解ります。ではどうして小人や小動物が行列になって現れる幻視限定なのでしょう?それはまだ医学的に解明されていません。ミゲル・ネリという人の本には、そういった小さな霊はアルコールの匂いを好むので依存症者に寄ってくるのだ、と説明されていました。その説はその説なりに、納得できるものがあります。


宗教者は「霊との交信が可能な脳」に覚醒したのではないでしょうか?サードマン現象は過酷な状況の中で守護霊を察知できるようになったのではないでしょうか?

最後に感覚遮断について。


なぜ感覚遮断で、声が聞こえたり邪悪な存在を感じたりするのでしょう?


実は私たちは普段から、耳では聞こえないものの声にさらされ、そこに見えぬものの姿にさらされているのではないでしょうか?ただ、目や耳からの普通の刺激が強すぎて、それらを無視できているのだとしたら?それでもそれらを感じられる人たちが「霊感が強い」ということなのだとしたら?

目が見えない人って、聴覚がものすごく発達しますよね。それと同じで、視覚も聴覚も触覚も遮断すると、あたかも夜になるとろうそくの明かりに気づくかのように、この世のものならぬ存在に気づき始めるのではないでしょうか?


幽かなる霊と書いて幽霊と読みます。幽かなる者たちはそこら中に蠢いていて、たった今この瞬間も、あなたに囁きつづけているのではないでしょうか?

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