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玄人の死角――『カメラを止めるな!』レビュー【ネタバレあり】

諸事情で予定がぶっ飛んでしまったので何しようかなーと映画館のスケジュールを見たら、ちょうどいい時間帯に上映があった。

そういうわけで、時期を逸した感じはあるけど、『カメラを止めるな!』、観てきました。

色々言いたいことはあるけれど、まず最初に。
まだ観てないくせにこんな場末のnoteまで来ちゃうようなそこのキミは、上映してるうちに映画館に行ってくれ。何の情報も入れないうちに。
なんなら公式サイトのあらすじすら読まない方がいいレベル。
映画館に行って、「『カメラを止めるな!』1枚ください!」というだけの簡単な作業です。あ。ちゃんと上映やってるかどうかは調べてから行こう。

【以下、映画本編のネタバレおよび、別作品のネタバレを含みます】
ネタバレを気にしないよ、という方のみどうぞ。



率直な感想を言わせてもらうと、期待通りだった。

そう、期待通りだった。口コミが盛り上がって、映画館で観て、わー面白い。最高!って。そうなるくらいの作品ではあった。現にこうしてnoteに長文を書いてるくらいには盛り上がってる。
でも。
逆に言うと、期待を上回ってきたわけではなかったかな、と。

頭に入っていた事前情報は、Twitterがだいぶ盛り上がったこと、冒頭になんか長いノンカットシーンがある、あとキャッチコピーが「この映画は二度はじまる」である、くらい。上映情報を確認するときにあらすじを流し読みした気もする。

とある自主映画の撮影隊が山奥の廃墟でゾンビ映画を撮影していた。​本物を求める監督は中々OKを出さずテイクは42テイクに達する。そんな中、撮影隊に 本物のゾンビが襲いかかる!​大喜びで撮影を続ける監督、次々とゾンビ化していく撮影隊の面々。
”37分ワンシーン・ワンカットで描くノンストップ・ゾンビサバイバル!”……を撮ったヤツらの話。

というか、”……撮ったヤツらの話”まであらすじに書いてあったんだね。今気付いたよ。

"ONE CUT OF THE DEAD"

冒頭、メイン役者役2人(神谷、松本)が階段を上るくらいのところから、僕は”カメラマン”の存在を意識し始めた。本物の監督役がカメラを持っているとはいえ、明らかに"カメラマン"の視点が入っている映像だと思った。カメラマンの影が画面に入ってないか探したくらいだ。

そこ、気にするには早すぎるポイントなんじゃないの?とは自分でも思う。
ちょっと後の、日暮監督がカメラに向かって「撮影は続ける! カメラは止めない!」と叫ぶシーンがこの映画最初の見せ場だし、このタイミングで"カメラマンの存在および視点”に気付く人が多いんじゃないかな。

そんな、早いタイミングで気付いたのにはわけがあって。個人的に、すっごい苦々しい過去なんだけど。

皆さんは、米澤穂信の『愚者のエンドロール』という作品をご存知でしょうか。小説です。ちなみに本noteのタイトル『玄人の死角』も、この作品の章題『万人の死角』から取らせていただいています。
以下、この作品の核心に触れますので、ネタバレが嫌な方はご注意ください。


はじめて僕が読んだのは、中学生の時だったかな。
人生経験と読書量が薄いなりに、読みながら頑張って考えて考えて、「カメラマンが7人目」という、奉太郎(主人公の探偵役)と同じ結論を、彼より早く導き出せた時は、それはもう嬉しかった。

それが作者の仕掛けた罠でなければ、ね。

いやー。じたばたしたのをよく覚えてる。
だから、この映画がメタフィクションっぽい作りだと感じた時点で、”カメラマン”の視点・存在を考えてみようという発想は自然と出てきた。
監督が「撮影は続ける! カメラは止めない!」と言い放つシーンでは「やっぱりなー」と安心したし、レンズの血糊を拭くあたりもうんうん頷きながら観ていた。

安心した一方で、『愚者のエンドロール』を思い出して、騙されねえぞ、と思った。もう一段階、世界がひっくり返るんじゃないかと思った。
エンドロールでは確かに世界が一段外に拡張されているのだが、そういう方向ではなく、別のベクトルへ。

例えば。
作中作のクライマックスシーンで、女優が実は男優をほんとに殺しちゃってて、その事後処理に追われる撮影班、とか。

例えば。
作中作を撮り終わって、血糊を落として、さあみんなで帰ろうというところで本当にゾンビが出てきて、キャスト・スタッフが総出になって奮闘。
ラストには監督が「いいか、カメラを止めるな!」と言い残して、浄水槽の中に親指を立てて沈んでいく、とか。

そういう方向への超展開・どんでん返しを、期待してしまった。だってみんな大絶賛するんだもん。

どこからが「ネタバレ」か

本編観た後で特報を見たけど、これ、制作側は”ゾンビパニックものを撮ったヤツらの話”であることを隠す意図はなかったのね。

特報のコメントとか、Twitterとかを眺める限り、”ゾンビパニックものを撮ったヤツらの話”であることが「ネタバレ」にあたる(=そこが面白い)、と思っている層が結構いるように思えるが……

これは、制作サイドの当初想定していた観客層(以後「玄人」という)と、現在『カメラを止めるな!』を観ている観客層(以後「一般人」という)との乖離なんじゃないかな。

『カメラを止めるな!』は元々、インディーズの映画だったという。《シネマプロジェクト》というワークショップで作られたとか。当然、そういうものをわざわざ観るような物好きの層は、映画にもだいぶ詳しいだろう。
でも、こうやって口コミの輪が広がって全国ロードショーをした時、主に観る層は、そこまで映画やフィクション全般に詳しくないライトな層である。

「玄人」の皆さんは、冒頭37分から漂うあまりのB級感に、すぐにこれが「作り物」であると気がつく。
ところが「一般人」はなかなか気付かない。ん?ん?と多少違和感を覚えつつも、作中作の存在に気付かずに37分の「はーい、カット!」の声に驚く……んだろうか?
さすがにこの仮説は「一般人」をなめすぎじゃないかとも思うんだけど。実際どうなんだろう。

僕が鑑賞中に期待していたこと

まあそんな感じで、僕は、作中作なんだろうなー、とは早い段階で考えていて。

「撮影は続ける! カメラは止めない!」を聞いて、「あ、もうタイトル回収するの?」と、意外に思ったのを覚えている。ここで使っちゃったら、最後の引きはどうするんだろうって。
それこそ、もう一度監督に「カメラを止めるな!」と言わせるくらいしか僕には思いつかなかった。

写真と組体操が伏線になって、家族のドラマの方とつながるラストシーンは、”作中作キャスト・スタッフの一体感”みたいなものまで出ていてすごいと思ったけど、予想を超えてくるものではなかったな、と。どうやら僕は、もっと強い衝撃を期待してしまっていたようだ。

ところで、ネットで大絶賛されていたといえば、2016年のアニメ映画『君の名は。』がある。
以下、この作品の核心に触れますので、ネタバレが嫌な方はご注意ください。


この作品も、「ネタバレ厳禁」とされていた。が。
こちらは、作品がひっくり返るポイントが、2つあったと思うのだ。

ひとつは、瀧と三葉の時間が3年ずれていた、と判明したところ。
もうひとつは、瀧が努力の末、その運命を変えられる可能性を掴んだところ。

僕、実は、『君の名は。』を最初に見る前にネタバレを食らってるんですよ。
三葉と瀧の時間がずれてて、三葉は実はもう死んでるぜ、って。

あちゃー、と思いつつ劇場に見に行って、更なるどんでん返しを受けた時の衝撃ときたら、それはもう。

伏線の緻密さでは『カメ止め』に分があると思うけれど、インパクトという点で、『君の名は。』を上回ることはできていないと思う。

『カメラを止めるな!』はミステリーである

それじゃあ。
この映画をの「面白い」ところ、「すごい」ところというのはどこなのか。

決して、「ゾンビパニック映画だと思ってたらそうじゃなかった」ってところではない。

前半の「ゾンビパニックっぽいけど要所要所で感じる違和感」が、どうやって生み出されているのか。それらが一個一個解き明かされていく、ミステリーの部分、ハウダニットの部分が面白いところだと、僕は思う。
(※ハウダニット(How done it?)とは、「どのようになされたか」の解明を重視するミステリーのこと。)

冷静に考えて、建物の外に出た監督がうまいことゾンビを羽交い絞めにして捕まえて建物の中に連れてくるなんて、おかしいじゃないですか。
そういうひとつひとつ、冒頭37分の些細な違和感全てにちゃんとした理由ががあって、それがスクリーンの中で説明されていく、「ああ! こうなってたんだ!」という快感。

撮影自体がなんとかなった、というのは、観客全員がわかっていて。
どうやったら「なんとかなった」のか、その裏側を知るところが面白い。そういう作品だと思います。

……それと、僕としては、エンドロールをもっと見ていたかったな、とも思った。最後、画面が暗転してほしくなかった。
『ONE CUT OF THE DEAD』ではなく、『カメラを止めるな!』がどのようにして撮られたのか、メイキングofメイキングof『ONE CUT OF THE DEAD』みたいなところが、もっと見たかった。

妥協と足掻きと

加えて。
「映像作品を作る上で必要な妥協」みたいなものも、この作品ではテーマのひとつだろう。実際、この映画自体も、製作費は300万円ほどとかなりの低予算だったそうだ。

そこを描いた上で、限定された中でも精いっぱい動いて、精いっぱい良いものを作ろうとする、登場人物の演技から滲み出るパワー。これも、素晴らしいと思った。
パズルピースのようにきれいに、欠点なく組み合わさるのではなく。
それこそ最後の人間ピラミッドのように、そこにいる人と物を全て結集して、一定のラインに、「完成品」というポイントまで届かせるキャスト・スタッフの姿が、本当に素晴らしい。

『カメ止め』はなぜ成功したのか

長々と書いてきたけれど、どうしてこの作品がこれだけ成功できたのか、まとめを書いて終わりたい。

まずは、「一般人」ウケも「玄人」ウケも狙えるような構造だったというのがあげられるだろう。
「ゾンビパニックものだと思ったらそうじゃなかった」で驚ける人はそれで驚くし、作中作の違和感に気がついた人は、その後の時間で笑いながら答え合わせをすることができる。
「刺さりどころ」が複数ある作品というのは、爆発すれば強い。

でも、それよりも大事なのは、関わった人たちがこの映画にぶつけた熱量じゃないだろうか。
作中のキャスト・スタッフ役の演技からも滲み出ていたように、「いい作品にするんだ」という気持ちが随所に出ていたように思う。ネットでのマーケティングなども、可能な限り試みた痕が見える。

もちろん、同じだけの熱量をぶつけてなお、成功できていない作品も世の中にはあるのだろう。埋もれているだけで。
それでも。これだけの熱量の作品が出てきて、きちんと脚光を浴びるというのは、素晴らしいと思う。

僕もこんな熱量の作品に関わってみたい。
素直に、そう思った。


最後に――蛇足

カメラマン助手の松浦早希役の浅森咲希奈さんにぞっこんです。

あれだけ「私に撮らせてくださいよ~」って言っといて本番いざカメラマンが腰壊して倒れてカメラ取り落としたらあわあわしちゃうあたりとか、その後いざ腹を決めて撮り始めたら途端に自分の好きなぐわんぐわんを混ぜていくあたりとか。大好き。

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