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ヒトつの命で何をするか

「将来の夢は?」 「人生の目標は?」
こういう質問をされたとき、ここ数年の僕の返しはこうだ。

「生きた証を残したい」
もう少し詳しく答える余裕のあるときは、
「人類史の、1ページ……とまではいかないにしても、1行くらいのスペースに名を刻みたい」
と返事をする。

Memeを遺そう

刻み方は、どんな形でもいいのだ。
人類の知識の最先端へ辿り着き、そこから1歩といわず10歩でも100歩でも踏み出すような(あるいはたくさんの人が踏み出す契機となるような)素晴らしい論文を書いたっていい。
自分の中で迸る妄想を創作物という形で出力し、国立国会図書館などしかるべき機関で半永久的に保存してもらえるようがんばったっていい。
あるいはインターネット上で使われる「ことば」を発案(「どったんばったんおおさわぎ」みたいな)してもいい。
さすがに、兇悪犯罪を起こしたりするのは、なんか違う気がするけど。

以上の欲求を見てみると、僕はどうやら「ことば」や「思考」を遺すことにこだわっているらしい。
おとといのことだ。これらを一言で説明できる概念を再発掘した。語彙の中にはあったけれど、正確な定義に接したことがなかったことばだ。

ミーム(meme)
《gene(遺伝子)と〈ギリシャ〉mimeme(模倣)を組み合わせた造語》
模倣によって人から人へと伝達し、増殖していく文化情報。文化の遺伝子。英国の生物学者R=ドーキンスの用語。
                   『デジタル大辞泉』より

そう。これはどうやら「自分のMemeを遺したい」と言い換えることができるらしい。
自分の生きた証、考えた道筋。そういうものも、確かに昔の人が遺したものを受け継ぎ、それらが僕の中でまるで配偶子のように組み合わさって出力されてくるわけだから、文化情報も遺伝子のように考えることができるわけだ。ドーキンスさん、かしこいなあ。

Geneへのこだわり

逆に。
僕は、自分の遺伝子(Gene)を遺すことに、そこまで強いこだわりはなかった。
「子ども? つくれたら幸せかもね」くらいに思っていた。
遺伝子を遺すだけなら他の生物と変わらない。ホモ・セピエンスとして生を受けたからには、ヒトらしい生き方をしたいと思っていた。

……どうやら、それだけで済む話でもなかったみたいだけど。

このツイートを読んで、ハッとしてしまった。
「GeneとMemeの器としての子孫」である。

そう。「自分のMemeを最も色濃く受け継いでくれる存在」は、「自分のGene的な子孫」に他ならない。
完全にニュートラルな状態から、(ふたりの)親の思想の影響を受け、ひとつの人格へと成長していく。この点を、僕はすっかり見落としていた。

やっぱり、子ども欲しいわ。
「しっかり子育てにコミットできる」という前提が保たれるのなら、養子でもいい。

「子どもを親の思想に染める」と言ってしまうと、すごくいけないことをしているような感じがするけれども、「Memeを受け継いでもらう」と考えれば、いっそ自然なようにも思える。

「子孫」

子どもを作る前の、「家族を選ぶ」っていうのも、そういうことなのかもしれない。

僕はこの方の配偶者と比べて、より「Memeを受け継いでくれる存在ならそれを子孫判定する」度が強いと思う。
自分が編み出した特徴的な言葉を、他の人が使ってくれるだけで嬉しくなるし、願わくばその人から更に"伝染"し続けてくれればよいとすら思う。
自分がネットの片隅や図書館の一角に残した文章を、ひょんなことから読んでくれる人がいて、僕の考えが1ミリでも伝わるのだとしたら、こんなに嬉しいことはない。

そう。
せっかくヒトに生まれたのだから、ヒトの武器である「ことば」を、最大限に活かして、生きていたい。死んでいきたい。

そういうわけで。
このたび、僕の行動指針は、次のように変わりました。

「とにかく自分のMemeを残したい」

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