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恩人の危機くらいサッと救ってやれよ自分

恩人の危機を救えなかった。

恩人が経営していたお店の危機を救おうと、自作漫画内での宣伝を試みたのだが、作品を届け切る前にお店が閉店してしまった。去年の12月のことだった。

ようやく、その作品を宣伝するタイミングまで漕ぎ着けた。閉店から9ヶ月経っている。なんとも無力感溢れる話である。

その恩人は、自由が丘で蕎麦屋を経営していて、ぼくを何度も助けてくれた。

ちょっと変わった蕎麦屋で、よく貸切の飲み会が催されていた。主催は常連さんだったり、店主である恩人ご自身だったり。ぼくもよく声をかけてもらっていて、その度に参加していた。

「山久(さんきゅう)」という蕎麦屋だ。

山久に通い出した時期は、自分にとって大事な時期だった。人生初の個展を控えていて、個展を開催するためのクラウドファンディングに挑戦中だった。一人でも多くの人にそのことを知ってもらい、応援していただきたい、と、そんな願望があったので、店主に飲み会に誘われる度にお店に足を運んでいた。

ぼくは極度の人見知りで、大勢の前では一言も発せないような性格だ。通い出したばかりの山久でも、どうしていいか分からず、黙々と飲み食いしていた。せっかく顔を売ろうと出てきたのに動けない自分が情けなかった。

そんな様子を見かねた店主は、わざわざ厨房から顔を出して、皆さんにぼくの話題を振り撒いてくれた。

ぼくは自分からは話せないが、訊かれたらいくらでも応えられる。

店主の一声で皆さんがぼくに注目してくれて、たくさん質問してくれた。応えるぼくの話を皆さんしっかり聴いてくれた。ご縁が繋がる、繋がる、繋がる。店主のそれはぼくにとって心底ありがたいことだった。

お店に足を運ぶたびに、店主は同様の振る舞いをしてくれた。

おかげでクラウドファンディングは無事に目標金額を達成し、個展も200人を超える大盛況で幕を閉じた。


そんなご恩があり、すっかり山久に通うようになっていたのだが、

去年の6月、お店の経営が危ないことを知った。

一人電車に揺られながらスマホを見ていたら、店主のそんな投稿が目に飛び込んできた。胸が苦しくなった。このままでは恩人のお店が、たくさんのあたたかい方と過ごしたお店が潰れてしまう。けど、自分にできることは限られすぎている。自分の非力さを恨んだら、涙が溢れてきた。そこそこ人がいた電車だった。


山久を自作の漫画で描くことを決めた。

漫画を読んでくれた人が十人でも二十人でも、山久に足を運んでくれたらと思ったのだ。ちょうど、制作中の漫画内で同窓会のシーンがあり、どこかしらのお店を描く必要があったので、そのお店に山久を当てがうことに決めた。

早速店主に打診すると、快く引き受けてくれた。


とにかく早くと思い、昨年9月にはお店のシーンを含んだ話を公開した。しかしその時点ではまだ、その作品が評価されるような内容のところまでは描けていなかった。いくら漫画内でお店を宣伝しても、読んでもらえなければ意味がない。

12月にはなんとか、作品の続きが氣になってもらえそうなところまでを公開できた。ようやくここから、この漫画が注目を浴びれると思った矢先の出来事だった。

山久の閉店が正式に決まった。

お店に行ったときに、店主から直接告げられた。

6月からなんの弱音も聴いていなかったし、常連さんたちがいつも以上にお店に通っているのも知ってたし、てっきりうまく回っているものだと思ってたから、その日足を運んだのも、売り上げ貢献のつもりではあったけど、いたって普通に飲み食いしに行っただけだったのに、あの店主はサラッとそんなことを言うものだから、そのときばかりは頭が真っ白になった。

あの日ほど、自分の無力さを恨んだことはない。漫画の反響は、作中に登場するお店に足を運んでくれる人がいるほどでもなかった。それはそうだ。たかが無名の一作家の、エンタメ性など微塵も意識していない叙情漫画なのだから。あれほどお世話になった恩人の危機に、ぼくは少しも力になれなかった。

その年の12月31日に、山久は閉店した。




漫画は3月に完結した。微々たる程度の反響はあったと思っている。現在の閲覧数は一万回近く。山久が自由が丘にまだあったら、そのうちの一人でもお店に足を運んでくれてるかと言われたら、わからないが。

先日ようやく、山久の宣伝漫画を本編のお尻で公開した。山久のことは本編の後に少しだけ描こうと、前々から企んでいたのだが、お店が閉店した事もあり、すっかり山久を描く気が抜け、こんな時期になってしまった。

書籍化が決まり、今はその準備中だ。

ここからようやく、もっと外にいる人に作品を届ける時期に入る。

山久のチカラになれると思っていたタイミングだ。

この作品には力があるし、たくさんの方に届けば、お店に足を運んでくれる人も何人かいるだろうと、昨年6月のぼくは考えていたのだが、もう自由が丘に山久はない。



自分のために描いているのはもちろんそうだし、自分のために日々腕を磨いているのももちろんそうだが、なぜだろうか、心底強くなりたいと思うときは必ず、自分以外の人のためを想っている氣がする。

もう、こんな気持ちになるのは御免だ。

近い将来、恩人の危機くらいサッと救える自分になるために、



ここから作品を精一杯届けていく所存である。

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