見出し画像

大都会東京で方言を使う意味

方言は恥ずかしい。

19歳で上京してきた時からずっと、無意識にそんなことを思っていた。

通っていた専門学校では、「出身は秋田」と伝えてはいたものの、方言は頑なに隠していた。東京で方言を扱うことに強烈な抵抗を感じていた。田舎くさい、ダサい、バカにされる。そんなことを思っていたと思う。

30歳を過ぎた今、すっかり共通語が板についた。都会人に「方言で喋ってみて」と振られることがあるが、咄嗟には出てこない。まるで、押入れの奥に閉まったまま、取り出すのがめんどくさくなってしまったかのようだ。今はむしろ逆で、方言を忘れてしまうことを怖いと感じている。方言にこそ、ぼくの血が通っていると自覚し始めたからである。

慣れ親しんだ方言にこそ、自分の血が通っている。そんなふうに感じるようになったのは、自分を“表現者”と自覚した一年ほど前からだ。まぁ、別にぼくだけでなく、誰しもが表現者であるのだが。きっとこの方言を通じた体験の中に、自分にしか描けない表現がたくさん詰まっている。今は、忘れかけた方言を思い出そうと、日々頭の中で覚えている限りの方言を反芻していたところの、先日の出来事だった。

押入れの奥から『山本の方言集』という冊子を発見した。今の「押入れ」は比喩ではなく、普通に家の押入れの意である。ぼくの地元、秋田県山本郡山本町で扱われている方言の一覧がまとまった冊子だった。何年か前、実家から持ってきていたことをすっかり忘れていた。

山本町(現三種町)には18年間住んでいた。山本の方言は、家族や親戚、友達や地域住民と日常的に交わしていた言語である。「んだんだ」と頷いたり、語尾に「だべ」がついたりする、まぁ、平に言えば秋田弁なのだが、同じ秋田県内でも、少し地域を移動するだけで微妙に発音のニュアンスが違ったりするのだ。

早速『山本の方言集』を読んでいると、懐かしい言葉がたくさん載っていた。その懐かしい言葉たちが、家族や親戚、友達らの声となって脳内を駆け巡る。地元の風景が面白いように浮かんできた。記憶の奥底にあった風景、地元地域の人たちの顔や声、表情、仕草、匂い、色、あのときぼくが思っていたこと、感じていたこと。忘れかけていた方言の一言一言が、まるでタイムマシンのようにぼくを記憶の旅へと連れ回す。引き出しが開く。昔の記憶が詰まっている方言たちを、ぼくはやっぱり忘れてはいけないのだ。

方言の練習がてら、都会の方と喋っている時に不意に方言を出したりする。しかしまぁ、「何いってるかわからない」と足蹴にされてしまうのがほとんどだ。それは、まぁ、そうだ。しかし、こうして都会の方に使うことで、ぼくが触れてきた秋田弁という言語は、同じ日本人が理解に苦しむほど共通語と似て非なる言語ということがよくわかる。それは、日常的に使おうという氣にならないのも無理はないだろう。

方言を扱うことは自分が自分であることの証明だと、今となっては思う。自分が育ってきた道に自然とあったもので、それらの経験の上に自分という存在があるのであって、その自分でこれからも生きていくのだから。例え「何いってるかわからない」と足蹴にされても、自分が自分であるために、これからもちょこちょこ使っていく所存である(無論、程度は弁える)。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?