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普通でいることの意味


普通でいることが美学であった。

普通でないとされるであろう行動や言動は基本的に働かなかった。

嫌われるのが怖かったからである。



今こうして、毎日自分の内情を綴った記事を書いていることが不思議である。

自ら嫌われにいっているようなものだからだ。



感情を出せる場面というのは、これまでにいくつもいくつもあった。

しかし、それらのどの瞬間も、感情を抑えてきた。

面倒だったのである。

感情を出すのが。

周りからは変に思われるし、自分自身も疲れるし、至極面倒であったから、

基本的にニコニコしていた。そうしているのがいちばん、周りにも自分にも当たり障りないからだ。

しかし、それが故に、自分はつまらない人間だったなと思うのである。



最近はそういった、感情を出さなかった瞬間のことをよく思い出す。



片山さゆ里のせいである。

いや、片山さゆ里のおかげである。

富山県出身のシンガーソングライター。

彼女は非常に面白い曲を書く。

自分の内情を思い切りぶつけた曲を書く。

ぼくにとってそれは、とても興味深いことであった。



彼女の作品を知って劇的に変わったことは、もっと自分を曝け出していいと思えるようになったこと。

自分の内情、思っていること、氣を遣って言ってこなかったことを、

もっと吐き出してもいいのだということ。

彼女は曲の中で全てを曝け出しているように思う。

ライブで感情の全てをぶつけているように思う。

そして、ぼくはそれを興味深いと思う。




ぼくにはまだ、開けてない心の扉がある。

感情を出すのが面倒で、只管ニコニコしていた時の記憶である。

片山さゆ里の作品がそのことを教えてくれる。



当時、感情を閉ざしていたから、ぼくはつまらない人間だったのである。

どこまでも普通を目指していたから、

だから描けなかったし、だからつまらなかった。

普通の感覚なんて人それぞれ違うのに、ぼくはいったいどこを目指していたのだろう。

普通なんてない。人間がいるだけ。人間に感じる人間がいるだけ。



この扉を開けたら、ぼくの創作はもう一段面白くなる。

そんな自負がある。

片山さゆ里がそのことを教えてくれる。



心の底から感情を掘り出し、とことん自分を描くことが人生なのである。

どんな失態も全部取り返せる。人間には創作があるのだから。

如何様にも生きれてしまうのが人生なのである。


世の中に普通などなく、人間の興味はどこまでも人間なのである。



親の宗教から逃げたい feat.センチメンタル岡田- 片山さゆ里(2023.6.4@日暮里 工房ムジカ)



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3月22日
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