シンプルに考えると矛盾だらけの世の中です。

平和は家庭から研究家の ちーさんです。

今日のタイトル、うんうん。と頷く人もいるのではないでしょうか?

人間の社会は実に矛盾だらけの世の中です。いや、大人の社会は、、、かもしれません。生まれたてのピュアな魂を持った子どもたちを、社会という波に載せて、矛盾だらけの旅をさせるのが、今の実際なのかもしれません。その第一歩が幼児教育や学校です。


かくいう私も、仕事には矛盾を感じながらそれでも前に進んでいます。


現在私は不登校支援の仕事をしています。その傍で、我が子の学校選びをしています。私の住む街は都会ではないので、私のように移住を考えてまで学校選びをする人は本当に少ないです。

なぜ、学校選びをするのか?それについては別途投稿します(長くなるから)

とりあえず、そのまま住んでいる地域の学校に行けば、学費も年間100万弱もかけずに給食と必要な諸々の金額で事足ります。移住の2拠点となればもっとです。そもそも公立に通えば中学までの9年間、日本は税金で学校に通わせていただけるありがたい国です。(塾や習い事は置いといて)

それでも、学校選びをするの理由は一つ、公立小学校に思う事があるから。なのです。


仕事の話に戻します、私は不登校支援をしています。日本の小中学校に通う子どもたちが何かしらの理由を抱えて学校に行かない事を選んでいる状態です。

でも、「学校に行かない事を選んでいる」って表現最近使われるようになってきました。私もこの仕事につくまでは「行かない権利だってある」そう強く権利を主張しました。けれど、子どもたちと関わってみると、とっても違和感を感じるようになりました。


子どもたちの現実は「学校に行かない」のではなく「学校に行けない」でした。


何故だか行けなくなってしまった学校、純真な心に大きな傷をおったりした子もいるでしょう、自分を受け入れてくれる場所がなかった子もいるでしょう、そんな苦い思い出のある場所に、彼らはそれでもなお


行きたい。


と、思っているのです。。。。社会の一員でありたい。と思っているのです。

冒頭でも書きました。


「生まれたてのピュアな魂を持った子どもたちを、社会という波に載せて、矛盾だらけの旅をさせるのが、今の実際なのかもしれません。」


私の所属する不登校支援施設の目的は「学校に子どもたちを戻す」事ではありません。「子どもたち自身が本来の元気を取り戻す事」です。


でも、ほとんどのご家庭では少し元気を取り戻してくると、学校に時々いくようになり、学校に復帰する事を促すことで一生懸命に見えます。


え?何がダメなの?


全く問題はありません、本人も望んでいる事なのです。(私も実は身内が中学時代3年間不登校でした、そのことは本人のプライバシーもあるので別途書ける部分だけ書こうと思います。壮絶な3年間でした。なので学校に戻れることのありがたさ、喜びも安堵も実感しています。両親の言葉が今でも心に残っています。そして貴重で深い学びのある10代を過ごせました。)

でも、この仕事を続けていて思いました。不登校支援とはいえ、彼らが元気になれた場所に居続けてもいい社会になってほしい、それをさらりとえらべる社会であってほしい。


さらにいうと、早く、1年でも1日でも早く。不登校のなくなる学校になって欲しい。(海外では不登校という概念はありません。日本独自って嬉しくはないですが)また、簡単にどこに転校したとしても、全て公立の小学校のように学費負担なしで通える社会になって欲しい。

昨年2019年10月「幼児教育保育の無償化」の流れとなり、認可無認可問わず、認定された施設は国から上限付きで保育費が補助されることになりました。私立の幼稚園であってもです。


こうなってくると見えてくるのはなんでしょう?その保育費の高さに関係なく選びやすくなった、つまり質の悪い園は淘汰されることにもつながります。(特に3歳以上)


学校ももし私立も含めた一条校が学費上限ありの無償化対象になったと想定してみてください。日本中にいる不登校、不登校予備軍と言われる60万人の子どもの親は何を考えるでしょう?「他の我が子にあった学校へ」もしくは入学前から、我が子にあった学校選びが当たり前になります。そして、質の悪い学校は淘汰されます。


でも、現実はそうではありません。


今の学校のシステムによって苦しんだ子どもは、お家で英気を養って元気になればまたその戦場(ちょっと過剰な表現ですが)に送り込まれるのです。


子どもたちをよかったねと見送りつつ、この矛盾感は毎回拭えません。


学校に戻ることになった子ども達がいると、喜びとともに、心から願う気持ちが湧き上がります。どうかどうか、彼らをあたたかく迎え入れてあげて欲しい。どうかどうか、彼ら自身を認めて生きる力を伸ばす学校であって欲しいと。


学校の先生は志高い方もたくさんいらっしゃいます。引退された先生でも不登校の子ども達に真摯に向き合って活動をされている人たちもたくさん出会ってきました。でも、このシステムが何か変わっていかないと、自動的に小学校に上がっていく子どもたちは毎年山のようにいるのです。


そして、大人の都合で10年後なんて悠長なことは言ってられないのです。来年小学校に入る子どもたちは10年後には中学校にさえもう居ません。


不登校支援を生業としている以上、未来の学校にビジョンを持って行動していかなければ私の人生は大人の嘘で固められてしまいそうで、心が痛みます。


私にとって、自分のためにも、我が子の学校選びがあるのかもしれません。


社会の矛盾、それは結局私の足元からつながっているのです。


平和は家庭から研究家の切ないつぶやきでした。

今後のテーマ:「 #平和は家庭から 」「 #シンプルな子育て論 」「 #子どもは師匠 」「 #じっくり自分に繋がる 」「 #軸の会の話 」「 #パートナーシップ 」「 #いじめについて 」「 #公教育 」「 #不登校 」「 #せかままcafe 」などについても書いて行きたいと思います。多くは家族がテーマですね♪

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