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友人が自殺して4年が経った

「兄貴」
兄貴は間違いなく善良な人になっていただろうな。
俺ほど父さんを憎んだりしなかっただろうし
俺より母さんをいたわってあげただろうな。
当然家のなかで一番最後に布団に入ってたはずだね。
戸を全部閉めて。
明かりを全部消して。
兄貴にはなんでも全部告白しただろうな。
何がなんだか分からないと。
生きることはあまりにも怖いと。
死んでしまいたいと。
実は兄貴が俺たちのなかで一番悲しかったはずなのに。
でも兄貴は詩人にはなれなかっただろうな。
二番目に悲しい人が
一番目に悲しい人を思いながら書くのが詩だからね。
シム•ボソン 詩「兄貴」より

2018年の11月29日未明、友人のたけるっちが亡くなった。
彼は亡くなる直前にPCに遺書を残していて、その遺書に僕の名前があった。
「俺の人生、俺がどんな人間で、どう考えていたか、どんなツールでもいいから発表してほしい」
という旨が書かれていた。
たけるっちが死んで4年が経つが、未だに僕はたけるっちのことをしっかりと表現できていない。
たけるっちが死んだ翌年に僕は入籍し、その翌年に子を授かった。僕の身の回りの環境は変わった。世の中も変わった。たけるっちはコロナを知らない。たけるっちは「ジョーカー」も知らない。この4年で、世の中はそこそこ変わった。僕も変わった。

冒頭の詩を知ったのは今年の夏頃だったか。この詩が載っている詩集がたまたまラジオで紹介されて、気になって買った。
その中にこの詩があった。僕はこの詩の最後にある、

二番目に悲しい人が
一番目に悲しい人を思いながら書くのが詩だからね。

という言葉にハッとさせられる。
たけるっちのことを書くことができるのは、
たけるっちではなく、たけるっちのことを思いながらかける人なんだよな。
たけるっちは自殺した。彼は自分のことを音楽で表現していたが、
彼のことを表現できるのは、二番目に悲しい人、僕なんだな。
二番目に悲しい人として、僕はいつか、たけるっちのこと、というより、たけるっちと僕のことをきちんと書きたい。

たけるっちと僕はそこまで長い関係でもない。
出会ってから別れるまで、2〜3年ぐらいだったはずだ。
でもあの2〜3年は僕にとってとても重要で、本当に大切な記憶になっている。それは、たけるっちが死んだからじゃない。
あの頃の僕と、あの頃の僕の周りの環境は、それまでの僕の集大成のようなものであり、それからの僕のスタートのようなものだったからだ。うまくいえないのが悔しい。

何か特別なことが起こったわけではない。
20歳そこらの、夢やぶれた青年が、タバコと香水の匂いが強烈に混じった6畳ワンルームの部屋に住んでいて、その部屋に同じような人間たちが入り浸たっていただけの期間だ。
でも僕はその期間を強烈な覚えていて、だからどこかでしっかりと残しておきたいと思っている。
「思い出」なんて綺麗なものじゃない。「社会的にやらやきゃいけないこと」をやらず、「社会的にやってはいけないこと」をやっていたような生活。そこに、たけるっちがいて、僕もいた。
だからちゃんと残したい。
たけるっちと、僕のことを。

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