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変な小説を読んだ

※2021年10月14日に配信したメールマガジンに掲載したテキストです

変な小説を読んだ。

乗代雄介の『旅する練習』と、芥川賞候補作にもなった作品だ。

コロナ禍で学校も部活も休み。けど緊急事態宣言はまだ経験してない、2020年の3月が舞台。

作家の「」と姪のサッカー少女「亜美」は、他方は風景描写の、他方はリフティングの技術を磨くため、千葉から(茨城県)鹿島まで歩きながら“練習の旅”に出る。

練習である以上、それは本来、表に出されない習作であるはずだ。

だから案の定、道中で度々挟まれる「」の練習としての風景描写はやっぱり読者にとっても少しだけ退屈で、目の前の事柄を描写しようとする彼の練習に“付き合う”ことになる。

けどそれだけじゃなくて「」の練習とセットで、闊達なスポーツ少女「亜美」の躍動があり、静と動のコントラストが小説として巧みでもある。

文豪ゆかりの地や、民俗学者である柳田國男の著述などをふんだんに引用しながら、旅は進む。これが縦糸だ。

途中、世間慣れしない女子大生との思わぬ出会いを果たし、この現実でも著名なある人物のエピソードがその旅の予期しない横糸となって、物語が輪郭を結び始める。

織り込まれているモチーフ同士には飛距離があって、それが小説を心地よく駆動させている。

サッカーが題材になっているとは言え、比較的静かに淡々と進行しているように読める。

ただ突然、これはなにか、とんでもない小説を読んでいるんじゃないか?という予感に打たれる。

「そして、本当に永らく自分を救い続けるのは、このような、迂闊な感動を内から律するような忍耐だと私は知りつつある。この忍耐は何だろう。その不思議を私はもっと思い知りたいし、その果てに心のふるえない人間が待望されているとしても、そうなることを今は望む。この旅の記憶に浮わついて手を止めようとする心の震えを静め、忍耐し、書かなければならない。後には文字が成果ではなく、灰のように残るだろう。」

『旅する練習』乗代雄介著

なぜ、記録を残さねばならないのか。なぜ、目の前の出来事を書きつけておかなければならないのか。そしてなぜ、「私」はそのことに使命感さえ滲ませているのか。なにかとても奇妙な手触りがある。

足を止めて考える。描写することで記憶を風景に残留させる。それらは心もとない行為だけど、なぜしなければならないことなのか。最後まで読むと、この『旅する練習』には、確かにその理由が生々しく刻まれている。

それは、「なぜ小説は書かれるのか」という問いにも手をかけているように思える。

純文学にはへんてこで読みづらい(けど面白い)小説も多い。『旅する練習』はそれらほど読みにくいわけじゃないのに、人になんと伝えるのがふさわしいのかわからん。こんなに紹介が難しい小説もなかなかない。けど、じわじわと口コミで広まっているという話も聞いた(みんなどうやってオススメしてるんだ?)。

個人的には、小っ恥ずかしい場面や「さすがにそうはならなくね?」と思って躓く場面もあるにはあるんだけど、とても変な、素晴らしい小説だった。

読み終わってしばらくはずっと考えさせられて、つーかこれで芥川賞を逃すんか! と驚いてたらその時の受賞作は、いまやベストセラーとなっている宇佐見りん『推し、燃ゆ』だった。なるほど!!


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