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ミルクティ@Tokyo

おしりが痛い。床が冷たくてかたい。呼吸は早く、息を吐く音が耳のところで聞こえる。ああ、どうしよう。手のひらで顔を覆った。こんな時ですら、涙が出ない。誰か、助けて。…とぽつりと声が出た。

最後の食事はミルクティになるはずだった。翌朝が来るのが嫌すぎて、何かを飲まないと不安だった。就寝前の処方薬とは別に、なんとなくバファリンを飲んだ。別に頭が痛いわけではない。ミルクティで飲み込むのがお決まりだった。スターバックスで母が買った、水色のマグカップ。取っ手の部分が重ねた雪だるまの形になっていて、大きく重い。出すぎて少し渋い味のミルクティで、錠剤を流し込み布団に入る。それがここ最近のことだった。9階の部屋から見える看板は、葬儀屋の看板だった。それを見る度、北海道から遺体を回収しに来る両親は大変だな、と考えたけれど、申し訳ないという気持ちはどうしても出て来なかった。

大学の時から使っている、三つ編みの革ベルト。就活のために買った、黒い合皮の細いベルトとライトブルーの化繊のストール。それらをより合わせて紐を作った。丸もつくる。これでもう会社に行かなくていい。もう怒られないし、今日から実践形式になるという研修に参加しなくていい。心が安らいでいく。

トイレと風呂が一緒なのが嫌だった。特に風呂は信じられないほど狭く、四角というより三角だった。その浴室兼トイレの扉を開け、内側のドアノブに紐を結び、天井側から外側へ渡した。備品の机はオフィスにあるような鉄製で、常に気が休まらなかった。置きっぱなしだった手帳から万年筆を引き抜く。父が就職祝いに、と贈ってくれたえんじ色の万年筆だ。それを贈るのが夢だったんだ、と照れて話した父の表情が思い浮かんで、ようやく、それで書くのが遺書なんて、という気持ちが出てきた。でもいい。もういいんだ。

100円均一の自由帳に青いインクのペン先が引っかかる。もう一度、誰かと思い切り恋がしたかった、もう一度、ブロードウェイでミュージカルをたくさん観たかった、……でもそれも、もう、無理なのでしょう。そう結んだ。所々が滲んで擦れてる。名前を書き、日付を書き、三つ折りにして、大学の時に無印で買った白封筒に入れた。机の上に置き、自分が吊るされるだろう足元あたりに新聞紙を敷いた。読みたくもない日経新聞を、出社前にコンビニで買っていたのだ。床に座り込むと、パジャマの生地が目に入る。本来ならもう、家を出ている時間だ。都内でも混雑が激しい路線なので、1時間以上前に出ていたのだ。それでも満員電車はキツかった。「上司」という人に今日は休む、とメールをした。受信ボックスに新着メールがあった。母だ。連休で帰った時に少し話したから、気にしているのだろう。そのまま画面を消して、裏返して床に置いた。もういい。もういいんだ。

腰から心臓にかけて、恐怖が上がってくる。体がカタカタと震える。体は生きたがっているのがわかる。でも、心は解放される瞬間を待ちわびている。シーソーのように、僅かな、薄い紙一枚の差で、恐怖と幸せが行き来する。このシーソーは瞬時に片方へ倒れるので、恐怖の方へしばらく傾いてくれないと、首を括るのが間に合わないのだ。息を詰めて、吐く。何度か、逡巡が続いてその時が来た。ほんの僅か、一瞬だけ、シーソーが傾く。今だ。立ち上がる。

もういい。もういいんだ。

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