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母、家族

私は母が怖かった。
突然、ぶわわと吹き上がる感情。一度沸騰すると、冷えるまで口を聞いてくれない。たとえその怒りが誤解に基づくものであっても、正すこともできない。

恐怖だった。
いつ母の感情が吹き出すか。私のどの言葉が、どの行動が引き金になるかわからなかったから、指先までぴりぴりさせて、生活した。中身を確認されるゴミ箱。閉めさせてもらえない部屋のドア。

買ったばかりのクマのノートがどこかへ行った時。週末の、遠出の帰り道。結局、車の後部座席のシートの隙間から出てきた。
冬のブーツを探しに、悪天候の中、無理を押して出かけたが、気に入ったものがなく、何も買わずに、結局凍った道を帰る途中。ノロノロ運転でなかなか家につかないとき。

レモン色の、グミみたいな芳香剤。
家族は誰も吸わないけれど、車についていた灰皿に入っていた。あの匂い。硬いヘッドレスト。黒いシートベルト。
ヒリヒリした空気で皮膚が切れて、血が出ているんじゃないかと思った。

「大人なんだから」自分で自分の機嫌をとって欲しかった。
心配なの、という言葉が大嫌いだった。心配って何?信じてないだけじゃん。なぜこちらがあなたの心配をケアしなければいけないの?怒りをぶちまけているときはこちらの言葉を聞かないくせに、心配だけはこちらの言葉を求めてくるのだ。…まったく。フェアじゃない。

私は「ああ」なるまい、と思った。
感情は外に出さない。
出さなさすぎて、どう伝えたらいいのかを練習しなかった。出さないことが単なる我慢に変わってしまい、そのうち痺れてなにを感じているのかわからなくなった。なにをどう選べばいいのか、わからなくなった。

私は、ひたすら母の期待に沿う選択だけを残してきた。母の心配を受けないために、母の言う「安全」の中から出ようとしなかった。
つまらなかった。ただただ、痺れて行くばかりだった。
母の前で自分の口から出る言葉が、嘘なのか本当なのか、それすらわからなくなっていった。

月日が経ち、私は歳を重ね、一時は日本も出、家を出てようやく、少しずつ、少しずつ玉ねぎの皮を剥いて行くように、「私」が外へ出てきている。母の枠が居心地悪かった私。母が怖かった私。母を嫌いだった、私。

でも、でもね。
この地球では、人の気持ちなんてその人にしかほんとうにはわからないんだよ。
私が勝手に思った期待。
私が勝手に従った枠。
私が勝手に選んだ選択肢。
すべては私が選んだこと。母のせいではない。何一つ。

ただ、私は母が怖くて、気が合わなかった。本当はそこで、自分の選択肢をとればよかった。
でもできなかった。だから、すべては私の選択だ。

母を怖いと思う自分を、嫌いだと思う私を責めたのは私だ。
よかったのだ、本当は、それで。

ごめんよ、私。

…………

そうして私はある人と出会う。今は別れた彼。
彼は、接客が天才的にうまい。他人が喜んだり驚いたりすることが好きなのだと言う。それだけでも真似できんと思うが、もっとびっくりしたのは、他人のためではなく自分が好きだからやっているんだ、という姿勢だった。だから押し付けがましさがない。やっている本人が楽しいのがよくわかる、気持ちのいい接客なのだった。

彼の働く店の常連である私は、自宅の最寄駅が同じだったことで仲良くなり、すぐに付き合うことになった。3年くらい一緒にいた。1年くらいは一緒に暮らした。

別れた理由は「人生の方向性の違い」だったので、今も仲がいい。付き合っている時からなんとなく思っていたが、私にとって彼は、「家族」なのだった。

彼と私には、共通の趣味とか、友人や恋人が仲良くなるきっかけになりそうなものが全くない。それでも一緒にいたのは、彼の与えたいものと、私が欲しいものがぴったり一致していたからだと思う。

彼は基本、なんでも聞く。こちらが求めない限りは全くジャッジしない。
私は彼といる時、自分が保育園に通っているような子供に戻っているような気分になった。いま思っていること、不安なこと、それをそのまま話す。彼はふんふん、と聞く。
夜の帰り道にスキップする。料理をしながら替え歌する。突然、変なダンスをする。ぬいぐるみに名前つけて、お絵描きする。そんな風に一緒に「遊んで」くれる人だったのだ。

本当は、小さなころ思う存分やるはずだったことが圧倒的に足りていなくて、私は必死に取り返していたのだと思う。彼は遊びと接客の天才だから、私が「遊んで遊んで」と子どものようにねだろうが、自分が楽しんでやっていたのだと思う。

恋人にはなりきれなかったけれど、彼のことは心の底の底から感謝しているし、尊敬している。

家族って。血の繋がりじゃない。
生物学上の家族は、(いろんな考え方があると思うので、あくまで私が思うに)くじ引きとかルーレットとか、そんな感じで偶然たまたま、一時期を共に過ごす。気が合うこともあるし、合わないこともあるし、どっちでもないこともある。そこだけをシリアスに考えなくていいと思う。母や、両親から得られなかったと思うものを、恋人や友人や、もしかしたら一期一会の人からもらうことになるかもしれない。

私はいますごく感謝してる、私の「家族」に。

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