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ドーナツ@Hokkaido

廊下を浴衣で小走り。物理教室の扉は重い。両手を添えてぐっと引っ張ると、遮光カーテンの薄くなったとこから、光が漏れている。ホコリがキラキラしている。空の水槽や段ボールにつっこまれた紙類が無造作に散らかる黒い作業台の上に腰かけて背を向けているのは彼だ。男子は制服、女子は浴衣。呼びかけようとしたが、声が詰まった。右足の小指をガッツリ椅子にぶつけた。草履をはいているからむき出しなのだ。よりによって、物理教室の椅子は重い、木が組み合わさったタイプの作業用みたいなやつだ。めっちゃ痛い。じん、じん、鈍い拍動がする。

彼がこちらを振り返る。にっこり。顔が熱い気がする。そっちはどう、と言われて、だいぶ落ち着いた、と答えた。彼と私は学校祭の実行委員だ。1年生は出店。調理は禁止なので、私たちはチェーン店からドーナツを下ろしてもらって売ることにした。チョコやクリームが溶けないように、遮光カーテンがある物理教室にドーナツを置き、店舗となる自分たちの教室で注文が入ったら走って取りに行く、というオペレーションだったのだが、思ったより盛況で取りに行く暇が惜しくなり、ほとんどが教室へ運ばれた。彼は物理教室、私は教室に待機している役だった。午後になれば、皆慣れて余裕ができた。

中学時代、彼は生徒会長。私は書記長。どちらも「仕切る」ことが好きだった。彼はテニス部で、日に焼けていて、背が高く、声は大きく、進学校らしく真面目な、漫画に1人は出てきそうなタイプの男の子だった。クラスの中でも目立つ、輪の中心にいるような人だった。机をくっつけて話し合いをするときは、気を付けても目線が彼を向いてしまう。大きな手が格好いいなぁと思ってぽろっとそう言ったら、目を見開いてびっくりしていた。休み時間や放課後、行きと帰りの電車の中、背中や顔の横側がそわそわした。どこに彼がいるかを、体のいろんな部分が探しているみたいだった。彼の声がすると振り向きたくなる。ドキドキしながら我慢した。

まだ小指はじんじんしている。一歩一歩、近づく。彼は机を下り、床に腰を下ろした。机というより作業台のような物理教室の机と、ごちゃごちゃと置かれた荷物で秘密基地みたい。床は冷たくてかたい。私は机に腰かける。彼が振り返るようにこちらを見上げる。草履をはいた足をぷらぷら揺らす。

どうしよう、言っちゃいそうだ。

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