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サンダル@Tokyo

サンダルを買った。
高めのヒールのサンダルが、ずっと欲しかった。普段ほぼヒールの靴を履かないので、デザインは豊富でも「フツー」のは無理だから、ブランド買いで、値は張るがソールがしっかりしているものを買った。
そう、値が張るのだ。

欲しいと思った期間はそこそこあったものの、買おう、と思い至ってからはほぼ即断即決だったのに、フレンドリーな定員さんに見送られ店を出た瞬間、胸のあたりにじわじわ染み出す感覚があった。夏の積乱雲のような形で、重く濃い灰色をしている思い。

ふと、働いてもいないのに。という言葉がポコっと浮かんだ。愕然とする。こめかみが、じんじんしだす。目まで霞んできて焦った。

期待に応えられなくて、ごめんなさい。
求められてることが、スキじゃなくてごめんなさい。
"正解"とされてることができなくて、ごめんなさい。
"特別"でなくて、ごめんなさい。

怯えてる、小さな自分が必死に謝ってる。
小さかった頃、言外から伝わる周囲の"期待"に応えることで自分の身を守った。成長とともに、どうやら私はその"期待"の中にいることがきつくなってきたけれど、私は"外"に出ようとはしなかった。
"期待"に応えようとするほど私の本当の感覚は痺れていって、いつしか閉じて、死んだようになっていた。危険な"外"に出ないよう、私は罪悪感で自分を守った。できなきゃ、認められなきゃ自分に価値はないと心の底から思っていたから、「価値がない」私を見なくてすむように、罪悪感をもつことで罰をうけて、帳尻を合わせてきた。本当のことから逃げてきた。

そうか、そんなに大変だったのか。
自分で自分に指を向け、本当のことに向き合ったら文字通り「死んでしまう」と信じるくらい、心が砕けないよう必死だったのか。

これは全て私の内側で起こっていることで、両親を含め、直接言葉で言われたことはない。私が勝手に理解して、採用したことだ。それが悔しくもあり、自分に申し訳なさや怒りを感じることでもあるけれど、いま、選べる。

ずっと「本当のことを言いたい」と思っていた。抽象的で、それってどういうことなの?と自分で考えても分からなかった。でも、つまりそういうことだ、指を自分に向けること。劣等感をもたないために罪悪感の壁で自分を守るのではなく、私と相対すること。

世界が創り変わっているのは幸いだ。
カオスの中から、選べる。本当に大切なことを。

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