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音楽業界を離れた僕が講師として復帰するまでの話

※精神疾患の話が出てきます。偏見をお持ちの方、この話題が苦手な方は、そっ閉じしてください。


みなさま、いかがお過ごしでしょうか。kaiでございます。


前回お話しした通りで、現在の収入の柱は講師業です。埼玉と都内で2ヶ所のスクールに勤務し、尚且つプライベートレッスンも行っています。今日はご希望のあった、ここに至るまでのお話です。


第一次ミュージシャン時代を終える

2015年くらいまでの第一次ミュージシャン時代は、演奏や制作が中心でした。しかしそこから仕事がどんどんなくなり、そもそもプロ志望でもなかったことも手伝って(当時は確実に今より職業意識が低かった)あっさり廃業して、会社勤め的なことをしたんです。


その仕事で、メンタルやられちゃって。
鬱と不安症とパニック障害のトリプルクラウンだったんです。んで、1つ仕事辞めて、元気になったらまた勤めるんだけど、また続かなくて、、、というのを繰り返していました。年齢にしたら37〜42歳くらいかな。


ある意味転職リミット的な年齢ですよね。
よっぽど実績がないと、ステータス向上の転職なんて無理無理、っていう年代。


それでも病院の営繕(一番長く続いたかな)なんかは、楽しかったな。掃除したり修理したり、備品の管理や購入を任されたり、ピアノ弾けるのバレて併設の老人ホームで月一くらいで演奏したりね。3年くらいは続いた。

でも続かなかったからしょーがない。
いろんなことにトライしましたがやっぱダメでした。

長い長い療養期間


んでいよいよメンタルの崩壊がシャレにならなくなって、覚悟して結構な期間を休みに充てることにしました。

期間が長ければ長いほどいいわけじゃないんですけどね。とりあえず、生産的なことは何もせず、生きるために生きてました。


だんだんと回復していく過程で「何かやった方がいいよ」という話を医師からされました。

何か。
何かって何だよ、ってなりますよね。


医師曰く、本当に何でもいいとのことだったんです。別に仕事しろとか、バイトから始めろとかでもなく、例えば資格を取る勉強をしてみるとか、毎日写真を撮るとか、そういうのでもいいと。何かをやる習慣を再開しましょうと言われました。


実はこの時始めたのはスペイン語の勉強。Duolingoっていう無料アプリで始めました。その後本とか買ったり、言語交流会に参加したりするようになりました。

まずはこれから始めました。
全然上達しませんが、今でもスペイン語はぼんやりと続けています。後日書くと思いますが、ラテン音楽の世界と関わるようになったので、スペイン語の知識はあって損しないなと。あの時手を出しといてよかったと思っています。

その少し後に、ウクレレも始めています。Amazonでちょー安いやつ買って始めました。


復活の兆しがあったものの…

スペイン語学習と、ウクレレ練習という習慣(その頃はほんと習慣だった)がついて、だんだん元気になってくるのですが、ここでまたミスります。


バイト選びに失敗。

療養中、家族に助けてもらってましたが、いよいよ身体も動くし朝も起きられるし、少しずつバイトしよう!と思って、うつ病であることを公表してバイト探しをしました。


意外とバイト先はすぐに見つかったのですが…ここがかなり問題ありで。まだ営業しているし、地元では地域に根ざしたサービス業として名が通っているようなので、詳しい内容は書きませんが、大失敗でした。


そこで再びメンタル下降。働けなくはないけど医師から「本当に無理はやめよう」と言われ、泣く泣く療養に。


採用されたのは1ヶ所だけ

んで、療養期間中にネットサーフィンしながら「音楽講師」の求人を眺めていました。


ある配信サイトでウクレレを弾いているのを聴いてくれた人から「カイさんのウクレレは絶対お金になる。講師をやったらいい」と言われ、探してみたんです。


講師か…

この時、苦しかった記憶が頭をよぎります。実は第一次ミュージシャン時代に、講師業でかなりイヤな思いをしたのです。正直今でも恨んでいるレベル(笑)


ある教室で講師デビューを飾るべく研修を受けていたのですが、家族経営で、経営者がまあ感じ悪い。研修途中だったのですが「シンセサイザーの音作りがわかる人がいないから」との理由で、キーボードの生徒さんを任されることになりました。よくわからないけど、生徒さんが音を作れるように一生懸命指導したつもりです。


しかしそのレッスン内容が、ビデオで撮られていて、その映像を題材に、毎回人格否定レベルのパワハラを受けていました。生徒さん、楽しそうだったんだけどな。


その後、「学園祭ライブが終わった」ということで生徒さんは退会。と同時に、僕も声がかからなくなりました。その何回かのレッスンのお給料は未だに払われていません。インスタの広告でそのスクールが出てくるんですけど、心がざわつきます。


だけど。
40も過ぎた今、前とは違う心持ちで臨めるんじゃないかと思い、求人広告の端っこから応募しました。10校くらい受けました。書類もちゃんと作って、演奏資料も渡せるように作りました。

しかし書類で落ちまくり。面接まで行ったのもほんのいくつかで、受かったのは1ヶ所だけ。片道90分近くかかる西東京市というところ。面接受けて演奏して(アルフィーのメリーアンを弾き語りしました)、じゃあ、生徒さん決まったら連絡しますね、で終わり。


そこから1ヶ月くらいで新しい生徒さんが決まり、通うことになりました。


最初は週に1日だけ。
だんだん増やして、最後はそこには週2〜3回行ってました。

生徒さんにも恵まれ、まずまず収入にもなりました。


(他の仕事もいろいろと入るようになるのですが、今回は講師の話だけにします)


充実した西東京での日々ではありましたが…

そこから1年弱くらい経ったころ、いよいよレッスンが増え、遠くに通うのが辛くなってきました。21時にレッスンが終わり、翌朝9時半に出勤、というパターンが多く、寝不足がひどかったんです。


いよいよ近所で探すか、と思い、再び募集記事を片っ端から当たりました。するとどうでしょう。「現役講師」という肩書きはめちゃくちゃ強い。現役講師というだけで、過去のプロフィールに説得力が出てくるようでした。何件も採用面接のお話をいただきました。


逆に選べる立場になったんで、面接でお話を聞いて、今の2つのスクールにお世話になることにしました。勤める音楽教室を変える時って結構大変で、一旦生徒数がリセットされるから、収入がゼロになるんですね。だから少し怖さもあったんです。でも、何故か「そのうち何とかなるだろう」と思えたんです。

この頃には一切メンタルの薬を飲まなくなっていました。


そして現在は、たくさんのレッスンを持たせていただいています。


そして今、講師として音楽家として。

まだ大躍進もブレイクもしてないけど、とりあえず「アマチュアから疎んじられる存在」にはなれたので、一つ壁は越えたかななんて思っています(こういうの書くから嫌われるw)


講師として業界に復帰してから、演奏や制作のお仕事も少しずつまたいただけるようになりました。


講師は、正直言って楽しいです。仕事だから辛いこともある。敢えて言うけど、感じ悪い生徒さんも来ます。それでも尚、音楽講師という仕事はすごく楽しいと思います。生徒さんが出来なかったことを出来るようになる、その瞬間を共有できることは幸せです。


もちろんプロになりたい生徒さんが、願いを叶えてメジャーとか行ってくれたら嬉しいですよ。でも、そういう結果よりも、その人が変わっていく様を見られること、その役割の一部を担わせてもらえることに、すごく喜びを感じています。

たくさんの人のパワーをもらっています。そしてたくさんの学びをさせてもらっています。


これからも、たくさんの生徒さんに出会って行きたいです。ちょっと年齢的に遅かったから、あと何人と出会えるかホントわかんないけどね。


今度は、仕事そのものの話でもしてみようかな。


長文になりました。
最後まで読んでくださった方とは、たぶん一緒にご飯が食べられると思います。ありがとうございました!

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