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アメリカで初の就職①私がリモートワークの仕事を掴むまで

子供がいると一般的なフルタイム、正社員で働くのはとても大変です。

特にシングルマザーの場合、アメリカだと学校の送迎や習い事、お友達とお
出かけするにもある程度の年齢になるまでは親がしなければいけないので、親の負担がすごく大きいのです。

私は最初はフルタイムで会社に出勤していました。

私が仕事を始めた時は、コロナが始まってすぐだったので解雇されるかリモートワークになるかの会社が多い時期でした。

最初の会社

  • 6:00  起床

  • 7:00   シェルターを出る

  • 7:30   チャイルドケア到着、子供ドロップ

  • 8:40     会社到着

  • 9:00     仕事開始

  • 20:00  仕事終了

  • 20:40  チャイルドケア到着、子供ピックアップ

  • 21:30 シェルター到着

  • 22:00 子供就寝、子供のランチボックス準備

  • 23:00    シャワー

  • 24:00    就寝

このスケジュールが半年続きました。
お昼休みはありますが、週一のカウンセリング、家のインスペクションの予約を取る、生活のサポート団体への問い合わせ、子供の学校関係の電話、病院のオンライン診察などでランチを食べられる日の方が少なかったです。

ランチタイムに上記の電話をかけまくるのですが、内容が内容なので誰にも聞かれないようにいつも車で電話をしていました。
でも会社周辺のスマホの電波がすごく弱く、、いつも少しドライブしてその辺りに路駐するのですが、会社周辺の治安が悪過ぎて(会社はゲート付きで安全)結構遠くまで行かなくてはいけないのが時間の無駄でした。。

その頃はまだ英語での電話は聞き取りにくかったので、はっきり聞こえないとと理解できないレベルだったので場所を移動する必要があったのです。

ランチが食べられないので午前午後の15分休憩にに、会社の人がくれるおやつやビタミン剤などで済ませていました。

自分のランチを時々作っても白米だけをランチボックスに入れただけだったので、誰かに見られるのが恥ずかしくて誰かとランチを一緒に食べることは避けていました。

その会社は従業員数がすごく多い会社だったので、ランチタイムにお弁当屋さんやフードトラックが会社にきていて、上司が時々そこでランチを買ってくれました。
日本人の人が作っている日本のランチで、ものすごく美味しくて、、あの頃はそれが唯一の私のまともな食事でした。

その後シェルターを出て自分でアパートを借り、引越し業車を呼ぶほど荷物はなかったけど一度に自分の車で運んで終わる量でもなかったので、引越しの1週間前からは仕事が終わってからシェルターに戻り、新しいアパートに荷物を運んでいました。

アメリカは子供が小さいと一人で留守番はさせられないので、シェルターといえどもそのルールは同じなので車で寝てしまっている子供を起こして常に一緒に連れて行っていました。

引越し


そして新しいアパートに引っ越した後は子供の学校の学期途中だったので、子供はそのままの学校とチャイルドケアに通ったままにしていました。

新しいアパートとチャイルドケアはかなり距離があったため通勤時間が行きも帰りもプラス40分ほど増えたので、あの時が一番きつかったです。。

その後新しい学年スタートと共に子供を近所の学校に転校させたことにより、チャイルドケアのクローズの時間に合わせると残業ができなくなりました。

私は始めた当初から2部署を掛け持ちしていて、最初は覚えることが2倍なので大変したが本当にいい上司や同僚に恵まれたので、大変な事より楽しかったです。
上司に以前からそのことは相談していたのですが、このことで一つの部署だけに所属するように変更してもらいました。

それから家と学校の送り迎えは10分に短縮された上に勤務が最低でも5:30には終わることが許されていたので、体は楽になりましたが業務を時間内に終わらせるため息つく暇もないほど忙しくて、オフィスを走り回っていました。

お金

残業代がちゃんと出ていたので、残業代のおかげで生活は随分と楽になりましたが、それでも子供と外食をしたことは一度もありませんでした。

子供のお友達と一緒に出かけるときだけジュースやアイスを買うだけで、パンすらコストコでしかかいませんでした。

DV夫と暮らしていた時の1ヶ月の食費は$2500でしたが、私と子供二人だと月$200に抑えていました。



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