無自覚な虐待で殺された親友と親から絶縁した私


昨日親友が死んだらしい。

夕刻スマホを確認したらLINEが来ていた。友人Aからだ。そこには淡々とこう書かれていた。「先日〇〇さんがお亡くなりになられました」と。
私は一瞬何を言っているのか分からなかった。分かってはいたが解りたくなかった。
急いでAに電話をかけた。事実を確かめたかったからだ。何度もコールするが繋がらない。いや、実際は数コールで繋がったのだが、そのたった数回が異様に長く感じられた。電話に出たAは淡々と事実である事を告げた。彼は親友の同僚でもある。だから会社経由で事態を知らされたらしい。
私は死因を尋ねた。親友はバイクが好きだったので大方事故ったのだろうと予想していた。それなら笑ってやろうと思っていた。笑っても許し合えるくらいには「俺達」は仲が良かった。

「いいえ、自殺です」

再び脳がフリーズした。一瞬事態を飲み込めなかった。
自殺? 自殺? 自殺?
「なんでだよ!!」
私は珍しく声を荒げてしまった。出先だったが取り乱してしまった。意味が全くわからない。
A曰く家族絡みらしい。確かに親友からよく家族の愚痴を聞かされていた。というか、会って序盤の話題はだいたい家族の愚痴だった。その事は後述しよう。
 親友はAにもその事を話していたらしく、だいぶ思い詰めていたらしい。そのせいで自死したのだと、Aは語った。
 私は泣いた。もう頭の中がごちゃごちゃで泣くしかなかった。何故、どうして、なんで。家を出るなら相談に乗ったし、私が家出をした時の話も何度かしていた。家族と縁を切っても生きていける事を私は伝えていた。
 なのに家族関係で死ぬだなんて意味がわからなかった。死ななくたって、逃げたって生きていけるという事は知っていたはずなのに。
「俺に頼ってくれればよかったのに」
 私は電話越しに泣くしかなかった。誰かに頼れよと。相談しろよと。
 とても冷静ではいられなかった。Aにはかけ直すと言い電話を切った。私はただ泣き崩れるしかなかった。何がなんだかさっぱりわからない。
 あいつは良い奴だった。2年前に勤めていた所で知り合い、供に多くの仕事をこなしてきた。仕事もできる。気配りもできる。気さくでいい奴だった。よくツーリングに行くとお土産を買ってきてくれた。使わない物を譲ってくれた。料理も振舞ってくれた。ゲームも一緒に遊んだ。アニメや漫画の話もよくした。一緒に海に行こうと長距離のドライブなどもした。まだ22歳だ。今年、いや、あと数日で大学を卒業して、社会人になる予定だった。裕福な家庭だったし、あいつ自身の稼ぎも良かった。大学生なのにかなり稼いでる努力家だった。良い奴だった。すごく良い奴だった。
 初めてだ、こんなにも現実を認めたくないのは。嘘とかドッキリであって欲しい。そして顔面一発殴って笑い合いたい。現実であって欲しくない。
 現実として受け止めるには人の死は余りにも重すぎる。

 事実か確かめたかった。嘘だと思いたかった。私は急いで親友の家に走った。家の前に着くと、家の中から何やら慌ただしい声が聞こえた。たぶん親父さんがどこかへ電話しているのだろう。写真がどうだの、何やら怒鳴り声が聞こえる。葬儀の手配か何かだろうか。そのただならぬ気配から、私は親友が本当にいないのだと、なんとなく感じた。いや本心では認めたくなかったが、呼び鈴を鳴らして確かめるのが怖かった。現実を知るのが怖くなり、私は家に引き返した。

 帰り道、Aに電話を掛けた。先ほど怒鳴った事の謝罪と、親友の近況を聞きたかったからだ。というのも最近親友と連絡を取っていなかった。私は仕事を辞めて一人で仕事をしていたのだが何かと忙しく連絡を取る暇がなかった。最後に話したのは半年ほど前に食事の約束をしたのが最後だった。そういえば新年の挨拶すらしていなかった。もうそんなに時間が経っていたのかという事に今気がついた。
 話が前後してしまったが、この時に親友の仕事の状態や卒業までの日数、愚痴を零していた話を聞いた。この一週間は卒業前という事もあってか親友は仕事の休みを取っていたらしい。この期間で思い詰めてしまったのか。事実はわからない。
 結局の所、人づてではわかることは少ない。ここで話しても意味がないという結論に至り、葬儀の日程が決まったら教えて欲しいとAに伝え、私は電話を切った。
 その後の事はあまり覚えていない。茫然自失というか、何故、どうして、なんで、何かできなかったのか、何かしてやれなかったのか、何かできる事はあったんじゃないか、もっと相談に乗ってやれれば、あの時ああしていればと、ただただ答えの出ない自問自答を繰り返すだけだった。
 気を紛らわせようとしたが、上手くいかなかった。何をするにもやる気が出ないというか、親友の死という事実が脳に焼き付いて他の事が上手く考えられなかった。ただ、家族との不和が原因という事実にだけは、思うところがあった。
 
 翌日。Aから連絡があった。葬儀は身内だけで行い、告別式は明日一時から執り行うらしい。しかし場所は知らないそうだ。会社経由の連絡だった為、詳しくは聞かされていないらしい。
 私は迷った。場所などがわかれば赴くことも出来たが時間以外何もわからないのだ。それに葬儀や告別式に参列する作法や礼服も持っていない。借りようにも近場に礼服のレンタル店などもない。無いことわからないことだらけだった。
 しばらくどうするか悩んだが、友人の最後だ。別れを告げないのは心苦しいと思い、式へ行くことにした。
 忙しい所で迷惑かもしれないが、友人の家に行き式の場所などを伺う事にした。正直最後まで悩んだ。なんといえばいいのかわからないし、迷惑かもしれない。それに家族からしたら息子が急逝したばかりで大変な心境だろうし、私からしたら彼が自殺する原因を作ったような人物たちだ。正直憎い相手でもある。
 だが、ここで争ったところでなんにもならない。今は友人の最期を静かに見送ろうと思い、彼の家に向かった。

 玄関前でどうするか三度迷っていた。ここまで来たがどう声を掛けたらいいのかわからない。だがそうこうしてるうちに彼の母が家から出て来た。どこかへ出かけるようだ。
 私はそこで彼の母に挨拶をし、式の日取りなどを伺った。どうやら親戚に渡す用のプリントがあるらしく、それを頂いた。学校で貰うようなプリントだ。その後かれの母が聞いてもいないのに彼の近況などを話し始めた。私は忙しいところ長居するのも迷惑かと思い、すぐに帰るつもりだったのだが、彼の母は色々話してくれた。
 
 学校の事や最近の様子。そして葬儀屋や近所の人の話ではこの時期は自殺が多いという事。
 私にはなんだかその話の数々が言い訳に聞こえてならなかった。特にこの時期は自殺が多い、彼の年代でも自殺する人が多いという話をしてる時、まるで仕方がないと言いたげな口ぶりで、息子の死を悼む様子を感じられなかった。
 すごく違和感を感じた。息子が死んだというのにこの言い方はなんなのだろう。親族が亡くなると忙しくて悲しんでる暇もないなどと聞くが、この姿はそういったものとも違うように感じる。自分に責任はなく、世間でもそういうことはありふれてる、よくある事だと言いたげな雰囲気がとても不愉快だった。
 その顔を全力で殴ってやりたい衝動を抑えて、私はお悔やみの言葉だけを残してその場を後にした。

 自然と涙が零れていた。悔しい気持ちだった。
 辛かったろうに。悲しかったろうに。あいつもいつもこんな気分だったのだろうか。友人はいつも家族の愚痴を言っていたが、その内容と言うものは基本的に家族が自分を自由にさせてくれない、コントロールしようとすると言っていた。よくある、将来こうしろだとか、こうやって過ごせとか、そういう感じだ。そのくせその発言は自分の事を深く考えてくれている訳ではなく、いい加減なものだったという。上っ面だけの言葉。常識だとか世間の決まり事だとか、そういう誰かが考えた実体のないもので子供の将来を縛っていたのだ。そしてそれが感じられる子供は、彼はそれを嫌っていた。誰だって自分の人生は自分で決めたいものだ。だがそれを訴えても聞き入れられず、自分が正しいと言って無視される。議論にもならない。そういった経験を繰り返していたのだろう。
 そして子供が死んでも、世間でよくある事、自分に責はない。そういうものだと流される。死んだあいつが可哀想でならなかった。

 俺は親友の無念をただの無駄に終わらせる訳にはいかない。
 1人でも多く、辛い人を、あいつと同じ境遇の人を救ってやらねばあいつの無念が無駄になってしまう。あいつの生には意味があったんだと、あいつは立派に生きたと称えてやる為にも、あいつのことを伝えねばならないと思った。

 子供は親の道具でも玩具でも人形でもなく、自分の意志と夢があり、そして親に感謝している。
 自分の夢を、生き方を、親からの圧力と親への感謝で板挟みにされては、子供はどうしようもなくなってしまうのではないだろうか。私は親への拒絶を選んだ。もとより良い親ではなかったから。
 親友は、自死を選んでしまった。私は彼ではない。私は彼の全てを知らない。故にこれは想像でしかない。予想でしかないのだが、たぶん彼は親に感謝していたのだろう。そう言った話も聞いていた。だから私のように親との拒絶を選べなかった。好きだったから。感謝していたから。育てて貰えてうれしかったから。だからこそ、その自分の好きな人に、「家族」に分かって貰えなかったのが、信じて貰えなかったのが、自由にさせて貰ええなかったのが辛かったのではないのだろうか。
 はっきり言うが親が嫌いなら私のように親を捨てるはずだ。いや、誤解の無いよう言っておくが私も育ててくれたことには感謝している。それが例え家畜のように虐げられ、愛情の欠片がなかったとしても。虐待の末殺されなかっただけマシだ。殺さずに、捨てずに一応育てて貰えたことには感謝している。それ以外には憎悪しかないが。
 逃げる事は出来たはずだ。私自身その話は何度かしている。だが彼がそうしなかったのはたぶん、彼は私のように家族を憎んではいなかったのだろう。優しい奴だから、いい奴だったからこそ親との軋轢が辛かったのだと思う。
 
 私が言えたことではないかも知れないが、年頃の子を持つ親の方には覚えておいて欲しい。親に信じて貰えない事、自由にさせて貰えない事が子供にとっては何よりも苦痛なのだ。親が好きなら好きなほど、自分の気持ちと親の気持ちで板挟みになってしまう。子供が心配なのはわかる。大切な事もわかる。だからこそ子供を信じて送り出してあげて欲しい。

 自分の思い通りにさせたいだけの親は論外だ。私の親のように子供に捨てられる覚悟をしておいた方がいい。どんなに会いたくても、どんなに話したくても、一切連絡が取れず、老後になろうが体が動かなくなろうが死の際になろうが誰にも助けて貰えず孤独に寂しく死ぬ覚悟をしておいた方がいい。私は……俺は自分の親にその苦しみを味わって死んで貰いたい。そうしないと俺の中で採算が合わない。

 以上が今回の件で俺が思った話だ。端的に言うと子供は親なんて気にせず自由に生きろ。大丈夫だ家族がいなくて孤独でも生きていける。書類上の事でいくつか苦労するけど。
 親は子供を信じて自由にさせろ。でないと子供に捨てられるか子供が死ぬかのどっちかだ。後者に関しては取り返しがつかない。自分のせいで子供が死んだという事実を背負って生きていく覚悟があるなら止めないが。
 ただ、彼の親はなんだか気にしていないように感じた。先述の通り言い訳ばかりだった。そういった親はきっと何があっても変わらないのかもしれない。だとしたら……。
  
 冷たくなった友人に会いに行くと言う事実がただただ私の心を抉る。
 死という絶望に対して心の強度は何の意味もなさないのだろう。
 告別式の会場で棺に収まった友人の姿を目にして、私はそんなことを思っていた。

 書けることはこれで終わり。有料設定したけど全編公開してあります。この記事の売り上げであいつの墓に沿える花でも買わせて貰います。

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