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「知ってくれている」という祝福。

募集中の企画一覧を見て、「#おすすめギフト」の文字を見た時にどうしても書きたいと思ったのがこの事だった。

まず私が人に「頑張って」と言う事を辞めた話をさせて欲しい。

私は18歳から29歳まで東京に住んでいて、上京する前も、した後も、普通に人に対して「頑張って」の単語を使っていた。

それは祈りだと思っていたから。

でも地元に帰ってからはその言葉を使うのを辞めた。

「頑張れ」「頑張って」の単語だけでは、金輪際使うつもりも無い。

だってもうすでに頑張っているのだ。

言われる人達は、もうこれ以上ないくらい頑張っているのだ。

末期癌で下半身不随になったお母さんも、大腿骨骨折とドミノ式連鎖圧迫骨折と形質細胞白血病になった父方のおばあちゃんも、私が言葉にするまでもなくもうすでに頑張っていたのだ。

遠方に住む親戚が電話で、あるいは直接母と祖母に「頑張って」という言葉を発する度に、私は激しい違和感を感じた。

難癖でもある。その方達は確かに祈りの意味でその言葉を使っていたのだろう。それはわかる。

でも、もう頑張っている人達に対してのそれは呪いになってないか?と私は感じた。

「頑張れ」と「頑張って」は、ただ投げつけるだけの言葉ではないか?と。「応援する自分」の方に主軸が移ってないか?と。

「一緒に頑張ろうね」はまだわかる。側に寄り添おうとしてくれている。

思うにこれは、距離の問題なのだ。

その相手を見て、共に過ごし、何をしているか。

その過程で、相手が頑張っていればいるほど、それを知るほど、その言葉は迂闊に言えなくなるはずなのだ。

知らないから応援の意味で使える。そんなイメージになった。私の場合だが。

もちろん色々な考えがある事はわかっている。

言葉狩りをした所で意味など無い事も。

「頑張って」に込められた気持ちも願いも人によって違うだろう。

だから、もし。

この私の主張に共感してもらえて、それでも頑張っている相手を応援していると伝えたいと思った時には。

ただ、知ってるよと伝えてあげて欲しい。

「あなたが頑張っていることを、私は知ってるよ」

「もう頑張っている事を、ちゃんと知ってるからね」

この言葉を伝えた時の2人の表情を私は忘れない。

絶対に忘れない。

ここで終わろうと思っていたのだが、せっかくなので葬儀の時などに言いがちだけど絶対に言わない方がいいことも記しておく。

もうほんと、決まりでもあるの?ってくらい言いがち。 親戚含む。

「○○が一番辛いね」「一番悲しいのは○○だね」

私の場合は○○は父の事だったが。

大概その後に「だから○○をよろしくね」

「しっかり支えてあげてね」とか続く。

これはもう喰らい続けた私が断言する。

絶対に言わない方がいい。

負の感情に順位は着けない方がいい。


この「○○が一番辛いね」は、まぎれもなく「心配する自分」だとか、「思いやる自分」の方に主軸が移っちゃってる言葉である。なにせ勝手に人の気持ちを順位付けしている傲慢さに気付いていない。

言われる側の人間からすると、

「実情も知らねぇのに黙っててくれ第三者~」的な、もうほんと言われる度に全部がどうでも良くなるような気分にさせる呪いのような言葉である。断言する。

自分で言う「私が一番辛い」とか、共感で使う「あなたが一番辛い」とかも同様に呪いである。

それは悲劇への酩酊度を上げて、ただ視野を狭くする。大体気持ちは人には測れないのだ。

絶対に負の感情に順位は着けない方がいい。

辛いね、辛かった、でいいのだ。順位はいらない。

これも書いておこうと思う。

私は自分がマザコンであると自覚したのは母が亡くなった後だった。

半年、あるいは一年に一度、2~3日実家に帰省する以外は一人で自立して生きる事に固執して、ろくに連絡もとっていなかった。

母の事は好きだったが、面と向かって「好きだ」と伝えるのがどうにも照れ臭くて恥ずかしくて、言わないままだった。母が衰弱してから何度かは言った。言ったが、それでは遅すぎた。

そして自分が思っていた以上に、自分はお母さんの事が大好きだったんだなと亡くなった後で気付いた。

それから、もっと一緒に過ごしておけば良かった。

よく考えてみると知らないのだ。母の事を。

思春期には反抗期で。高校は部活とバイトに明け暮れて。

思い出が少ない。自分の親なのに。

思い出が無さすぎてキツイ。

これは私の一生の後悔である。消えることはない。

世の中には、毒親と呼ばれる人達もいる。

それはわかる。

生ぬるい事を言う。

そういう場合はできる事ならお互いが距離をとって、笑って過ごせればいいなと思う。

でももし恥ずかしいから言っていないという理由なのであれば。

「大好き」は言うべきだ。感謝は伝えるべきだ。

これは親に限らない。恋愛に限らない。

無論節度はいる。

押し付けではないかの相手への配慮も。

私がそれをできているかは定かではないが。

こんな風に予防線張りまくっててもしょうがないのでもう断言する。

「あなたの事が好きだ」は、きっとなによりも贈り物だと私は思う。

「ありがとう」という感謝の言葉も同じく最上の贈り物である。

この感謝の言葉の威力は凄い。本当に凄い。平場でも、正念場でも絶大な力を発揮する。

これを言えない人がいる。それも痛感している。

だが言うべきだ。

特別な時にだけ伝える、そうしないと重みがなくなるという考え方もある。

そんな事はないと断言する。重みなどいらない。

「ありがとう」は、絶対に気軽に言うべきだ。

もっと気軽に伝え合うべきだ。こんなに言った本人と相手を両方幸せにする言葉はそう無い。

あとは、共に同じ時間を過ごすのでもいい。

やがて思い出になる時間と、気軽なありがとうと大好きだという言葉、そして「ちゃんと知ってるよ」という祝福が、私のおすすめギフトである。


そして、ここまで読んでくださった方。

この事を知ってくださって、本当にありがとうございました。とても救われます。

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