受ける影響とソノサキは?
私たちの周りには沢山の言葉が溢れていて、
様々な形でそれを用いて生活しています。
今日は、最近知った【禅語】の一文のおはなし。
そもそも【禅語】というものを知らなかった私でしたが、調べてみると面白かったんです。
【禅語】
禅のことば、禅宗の文献に記述された辞のこと。
なにそれ、むずかしい、絶対しらない!
と思いきや、、、
・挨拶(あいさつ)
何気なく交わす一言から察すること。
・縁起(えんぎ)
原因は必ず存在し、無限にある。
・億劫(おっくう)
気が遠くなるほど、永遠にも似た時間の世界
・我慢(がまん)
慢心を抱く事で正しさから遠ざかる
し、しってる!と言うか、思ってた意味と違った!私たちが当たり前のように使っている言葉も禅語のものがあることに驚きでした。
さて本題。
そんな数ある禅語の中でとても考えさせられた一文です。
〈霧の中を行けば覚えざるに衣湿る〉
直訳は「霧の中を歩いていればいつの間にか衣服が湿っている」
禅語ではこれを人が身を置く環境に例えて「善い人のそばにいれば意識せずとも善い影響を受け、悪い人のそばにいれば意識せずとも悪い影響を受ける」
つまり、
身を置く環境によって無意識のうちに受ける影響というものがあるということですね。
この意味を読みながら、その「霧」ってなんだ?と考えた時に育ちや価値観、文化、方言などがそれに当たるのかなと思いました。
自分が霧の中にいる限り、少なからず影響を受けながら生きてるんだと納得しました。
ただ、ここで更に思うのは、「やっぱりそれに気付けることが大切なんじゃないかな〜」と。
ここでいう「霧」というものが善いものでも悪いものでも別にどちらでもよくて、既存の価値観が相対的なものでしかなかったと気付くタイミングに出会えた時にアンテナを張っていられるかだと思うのです。
そして、そのアンテナというのは、
“自分は今何かしらの霧の中にいるんだ”
と日常の中でふんわり思っていればきちんと反応するような気がしています。
かく言う私もよく影響を受けやすいねと言われますが、褒め言葉として捉えています。
だって色んなことを吸収するのって、自分がとっても豊かになってると感じるからです。なにも受けた影響の通りに生きるわけではないし、私の中にある価値観や意思たちは枯れないって分かっているから。
なにやら話が逸れましたが、
【結論】
人には知らず知らずのうちに染まっているものがあって、それに気付けるかどうかで自分の世界ってもっと広がるんじゃない?
って話でした。
余談:私の大好きな言葉「日日是好日」も実は禅語でした!シラナカッタ〜
ぜひ調べてみてください^^
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