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貝塚から出土した刀を追い掛けたら、謎の団体の存在を知った件

「貝塚から刀が出てきました」。そんな話を耳にしたら、「は?」と疑問に思う人が多いのではないでしょうか。一般的に貝塚は縄文遺跡ですし、日本刀が製造されるようになるのは平安後期からと、まるで時代が違うからです。ところが、たまたま目にした約100年前の河北新報には、多賀城市の大代貝塚(橋本囲貝塚)から刀が発掘されたと記されていました。「歴史探偵」を気取って1世紀前の先輩記者の代わりに追加取材を試みると、自分にもゆかりのある謎の団体の存在が別途、浮かび上がってきました。
(生活文化部・桜田賢一)

スペイン風邪を調べていて遭遇

注目したのは1919(大正8)年2月20日の「大代の洞窟から人骨土器の新発見」という見出しの記事で、2020年5月に読みました。もちろん、新聞記者だって普段からこれほど古い記事を眺めている訳ではありません。新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、スペイン風邪が大流行した100年前の世相はどうだったのかを報じようと、当時の新聞を片っ端からめくっていた時に目に留まったのです。

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大正時代の新聞は文語調で書かれていて、句読点がほとんどありません。旧字体ですし、地名や組織名も今と異なります。読みやすいように現代語訳すると、次のような内容でした。

「多賀城市大代地区の松林を伐採すると貝塚があり、その中から人骨や土器が見つかりました。発掘に当たった東北大の長谷部言人(ことんど)博士は『私は見ていないが、2本の刀も発見されたそうだ』と話しています」

本来、縄文遺跡にあるはずのない、鍛錬された刀。記事の主眼は人骨や土器が見つかったという点でしたが、興味を覚えたのはオーパーツ出土のくだりでした。なぜ、時代が異なる工芸品が出てきたのか。そして今、どこにあるのか。歴史ミステリーの解明に乗り出すことにしました。

行方不明?それなら探します!

「実はこの刀、行方不明なんです」。2020年8月、まず当局の説明を聞こうと多賀城市埋蔵文化財調査センターへ向かうと、のっけから壁に突き当たりました。貝塚のそばには古墳があって、副葬品として刀が出土しているそうです。記事にある刀も、こうした副葬品が貝塚に紛れた物と推測されるものの、市にも、長谷部博士の異動先の東大にも残されていないとのことでした。

それならば、自分が探し出してやろう―。早速動き始めると、長谷部博士の発掘報告書の中にヒントを見つけました。「貝塚の地主は『星東吉(藤吉の誤記)』さんで、今の宮城県七ケ浜町松ケ浜地区在住です」という記述です。人骨は長谷部博士が担当する前に発掘されていて、地主がいったん埋葬したことにも触れていました。人骨と同じように刀も地主が保管した可能性は高く、藤吉さんの子孫が所有しているかもしれません。松ケ浜地区へと急ぎました。

あちらも星さん、こちらも星さん…

しかし、松ケ浜地区で新たな壁に阻まれました。「星○○」「星△△」…。地方ではありがちな話ですが、辺り一帯は星姓のお宅ばかり。子孫のお名前も分かりませんから、「100年前にいらした星東吉さんのご子孫のお宅ではありませんか」と聞いて回るしかありませんでした。発掘報告書が東吉と誤記していたこともネックとなり、捜索は難航しました。

活路を開いたのは、偶然にも松ケ浜地区出身だった祖母の存在でした。わらにもすがる思いで親戚に尋ねると、ある冊子を手渡されました。「御殿場会」なる団体がまとめた祖母方の家系図で、「四男 清助 明治18年生 星藤吉家へ養子」とあります。

御殿場会の冊子

清助さんの家系をたどると、現在の当主は博さん(68)とのこと。親戚によると、博さんは今も貝塚の土地の一部を所有しているそうです。これはもう間違いないと考えてお宅に伺うと、来歴は伝わっていないものの、やはり一振りの刀があることが分かりました

専門家に刀の鑑定を依頼

2021年5月の専門家による鑑定の結果、刀は刃の長さ24・3センチの短刀で、江戸時代後期の作品と判明。星家は武家ではないので、幕末から1919年までの間に誰かが何らかの理由で貝塚の土地に置き、発掘時に見つかって星家の物となったのではないかと推測されました。ただ、刀以外に判断材料がないので、確定的なことはつかめませんでした。


なぞの団体「御殿場会」とは?

それにしても、御殿場会とは何だったのか―。刀を追い掛けることに夢中で脇に置いていましたが、取材を終えた今あらためて冊子を開くと、博さんだけでなく記者を含めて何百人という人物の名前や住所、生年月日、連絡先などが載っていることが分かります。

冊子の序文によれば、御殿場とは江戸時代に松ケ浜の岬にあった仙台藩主伊達家の仮館のことで、仙台から観光や納涼に訪れる伊達家を支えてきた村長職の加藤家(御殿場家)につらなる人物を一冊にまとめたとつづられていました。

そういえば祖母の旧姓も加藤です。記者自身も数十年前、当時旅館となっていた御殿場を訪れたことを思い出しました。御殿場会とは要するに親類縁者が集う会合のことらしく、何回か結束を確かめ合ったようです。会員の高齢化などで現在は活動実態がなく、この名簿集が残されたということでした。

偶然にも自分のルーツと重なる

貝塚から出た刀を調べていったら、期せずして自分のルーツをたどることになった今回の取材。関係者が全て血縁者だったというのは二十数年の記者生活で初めてのことでしたし、原稿を仕上げた翌日、突破口を開いてくれた祖母が亡くなったことも含め、不思議な巡り合わせを感じる経過となりました。

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