自分のつくったものを誰かに見せること
「まだデザインしている途中だから、誰かに見せることが恥ずかしい」
デザイナーをしていると、よく聞く話だ。かくいう私も、誰かに見せることへの恥ずかしさを抱える1人であった。
大学生時代の私は作品プレゼンがとにかく苦手だった。
自分のつくったものを否定されたらどうしよう、根拠のない自信のなさばかりが先走っていた。
幼少期から育った劣等感
ふと、私自身の人生を振り返ると、幼少期から失敗経験が多く劣等感を感じることが多かったと思う。
というのも、早生まれで体の小さかった私は、同級生と比べるとどうしても運動面で非常に劣っていた。(もちろん、運動神経もなかった)
鉄棒も、ブランコも、縄跳びも、自転車も、みんなが簡単にやってのけることが何ひとつできず泣いてばかりだった。
小学生は身体的競争が多く、いつもビリっけつで劣等感がメキメキと育ったのである。
また、大学受験のときに浪人したことも大きかった。
浪人が決まった高校卒業のとき、周囲は大学生活への期待で花咲かせる中、自分は負け組というレッテルを貼られた気分を感じ、絶望したものだ。そのときから、少しだけ春が苦手になった。
結果的には希望の大学に行けたからよかったものの、浪人生活は劣等感に拍車をかけた。大学へ入学した後も、肥大化した劣等感を拭うことはなかなか難しかった。
あるブログの記事との出会い
そんな劣等感や自信のなさによる恥ずかしさから、作品プレゼンひとつすら、まともにできないような私が、あるときひとつの記事と出会った。
※こちらの記事は過去のブログをアーカイブとして
ブログ投稿者が再投稿されたものです。
だから、僕は最初にこういう「誰も君のことなんか見てない。」
君が失敗しようが、へまをここうが、チャックが開いていようが、誰も君のことなんか見てないし、覚えてない。
自分の言葉や表現を素直に出すことは別に怖く何かない。どうせ失敗しても忘れられるし、そもそも見てないから。
読んだときは、まさに雷に打たれたような衝撃を受けた。
ほんとうにその通りだ、私のことなんて、誰も見てやしない。
誰かに見せる自信がない、その劣等感は謙虚さではない。私の弱さから生まれたものだったのではないか。恥ずかしく思うことが恥ずかしかった。
努力して失敗したらどうしよう、なんてマイナスなことばかり考えて、努力することすら怖くなっていた。努力を怠っていることを、自信のなさにすり替えていたのだ。
プレゼンで否定されようとも、むしろ興味を持ってコメントくれるなんてありがたい、と思うようになったら、そこまで緊張することはなくなった。
このブログを読んでいなければ、人前で自分のアイディアを言うことも、ましてやnoteで記事を書くことなんてできやしなかっただろう。
今では、LT(ライトニングトーク)だって一丁前にできるし、MTGのファシリテーションも自分から買って出る。くだらない自尊心は捨てたほうがいい。
毎年入ってくる新卒には、「つくったものに自信がない」「デザインラフを見せるのが恥ずかしい」と言う子が何人かはいる。
そんなときに「誰も君のことなんか見ていない。」という言葉を思い出すのだ。
読んでいただきありがとうございます。Twitterは @tajima_kaho でやってます。