シガーフライの愛


皆さんは、シガーフライを知っているだろうか。
塩がまぶしてある棒状のクッキーみたいなもので、油で揚げてある(気がする)やつ。

私がシガーフライと出会ったのは、今から3年前の大学3年生の頃。在籍していた岡大近くにあるバイト先の喫茶店でいつものように皿洗いをしていたら、マスターと奥さんの住居に繋がる扉が開いて、マスターのお母さん(私はおばあちゃんと呼んでいた)が顔を出した。

「あんた、これ勉強の合間にでも食べられ。疲れたら食べられ。おばあちゃんはいっぱい持っとるから(私のことは気にしないで貰って)」

たしかこんな岡山弁だったと思う。おばあちゃんが手に持っているのは、袋菓子。スーパーのお菓子コーナーの、メジャー棚の裏辺りに陳列してある、ちょっと昔懐かしいデザインの袋に入っているようなやつ。まさに日本のおばあちゃんが買ってそうなお菓子の中の1つって感じの。

なんだこれ、初めて見た、と思いながらも、有難く頂戴し、おばあちゃんは部屋へ帰っていった。おばあちゃんは当時90歳越え。正確な歳は忘れてしまったけど、本当に元気で優しくてお喋りが大好きなめちゃくちゃ可愛いおばあちゃんだった。また今度、おばあちゃんのノートを書きたいと思う。

少し脱線してしまったが、私とシガーフライの初対面はこんな感じだった。岡山だけのお菓子かと思ったが、家に帰って兵庫出身の彼に見せたら、彼も知っていた。近畿や中国地方辺りのお菓子なのだろうか。それとも私が知らないだけで、全国共通のお菓子なのかもしれない。
大学3年で、すでにほとんど単位を取り切っていた私は、ゲームの合間に食べることにした。おばあちゃんごめん、勉強の疲れが取れるからってくれたのに。と少しの罪悪感を抱え、口に放り込んだ。懐かしい味。ちょっと塩味がするのも生地の甘さが逆に感じられていい。油っぽさもあるけど、永遠に食べられそうなあっさり感。おいしさが口に広がったとき、何かがじわっと心に沁みた。一人暮らしで親元から離れている私は、文字通り親から離れているように、祖母とも会えていないわけで、気付かないながらも愛に飢えていたんだと思う。おばあちゃんとは勿論血が繋がっていないけど、それでも”おばあちゃん”という立場の人から貰うお菓子はこんなにもあたたかいものなのか、と驚いた。

それからもおばあちゃんは度々私にシガーフライをくれた。毎回、勉強に疲れた合間に、の言葉を添えて。毎回、小腹が空いたときやゲームの合間に食べた。ごめんなさい、でも疲れてなくても全然おいしかった。

私が大学生のとき、既に実の祖母は重度の認知症で、私が甘えられるような存在ではなかったけれど、まだしっかりしていた頃の祖母は、幼い私にそれはそれは尽くしてくれた。おばあちゃんがくれるお菓子といえばシガーフライ、のように、祖母特有のお菓子もあっただろうけど、思い出せない。祖母は何をくれたんだろう。あのときは与えられることが日常で、何をしてもらっても当たり前の顔をして受け取っていたから、あまり覚えていない。


芦屋にきて、"おばあちゃん"という存在が遠くなった。近所に住まわれていたりはするけれど、関わることはない。
わたし、愛に飢えているかも。それも、シガーフライの愛に。
ちょっと探しにいこうかな、神戸出身の彼が知っているんだから、きっと芦屋のスーパーでも売っているだろう。ああなんか、自分で買ったことないから寂しいな。見つけても、沢山は買わないようにしよう。1つだけ。大事に食べられるから。今度はなにか勉強しながら食べてみよう、おばあちゃんが言ったように。それと、今度バイト先に挨拶をしにいくときにはおばあちゃんにシガーフライを買っていこう。バイト生の見分けはあまりつかないおばあちゃんだから、わたしのことは特定できないだろうけど、あんまり覚えてないどっかの誰かの愛が伝わればいい。

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