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約束を中心に見た花柳香子と石動双葉について

・スタァライトを見ていることを前提としています
・アニメ、ロロロ、劇場版に準拠し、スタリラの設定は抑えてません



第6話「ふたりの花道」で描かれた花柳香子と石動双葉(以下ふたかお)の物語はそれまでの第5話までの愛城華恋と神楽ひかり(以下かれひか)の辿った流れを踏襲したものになっている。

愛城華恋と神楽ひかりは幼稚園の頃に結んだ「2人でスタァライトの舞台に立つ」という約束を糧に努力するも、第1話時点の愛城華恋はこの約束への意識が弱くなっている。ただ、キリンのオーディションや神楽ひかりの帰国によって約束への意識を取り戻す。というのが第5話までのかれひかに焦点を絞ったあらすじになる。

それを踏まえて第6話を見ると、幼少期のふたかおが「香子が世界で一番キラメき、その時に双葉が一番近くにいる」という内容の約束をしているところから始まる。それに対して現在の花柳香子は明らかに堕落しておりこの約束への意識は弱くなっている。しかし最後はオーディションで双葉と香子がぶつかる中で最初の約束を思い出し、香子がやる気を取り戻す。以上が第6話のあらすじである。

両者ともに幼少期の約束→約束への意識の低下→何かしらのきっかけで約束への意識を取り戻すという類似した流れを持っている。

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このようにふたかおとかれひかはその流れは似ているが、第6話時点以降、彼女らと約束を巡る関係性やその顛末は大きく変わってくる。

この2組の大きな分岐点は約束の実現への進捗である。
オーディションにおいても確実に勝利を積み重ねキラメキを獲得していた華恋やひかりは約束の実現に進展があり、最終話の中で2人でスタァライトを演じている描写があり2人の約束は果たされた。

一方、香子は覚醒が遅すぎたうえにそれまで敗北を重ねており、オーディション最終日の優勝候補に選ばれなかった。つまり香子の世界で一番キラメくという夢は意識こそされたが、ここから先、具体的進展は特になく約束は果たされない。

このように第6話以降、約束が果たされたかれひか、約束が果たされなかったことで約束が残り続けるふたかおと流れに明確な違いが生まれてくる。

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ここでアニメにおけるふたかおの描写はここで終わる。明確な違いは生まれるがそれを起因にした何かは特にない。第6話の出来が良いので問題ないのだが、アニメの中でのふたかおはかれひかの話を部分的に踏襲したやり取りをするに留まっている。ふたかおの独自性がでてくるのは劇場版からだ。

劇場版の話をするために大事なものとしてふたかおの約束でアニメでは言及されないが重要になる要素がある。それは具体性だ。かれひかの約束は具体性がある。一方ふたかおの「香子が世界で一番キラメき、その時に双葉が一番近くにいる」という約束は「一番キラメく」というところで「何で」、「どうやって」というのが抜けているのだ。ここの解釈の違いが、劇場版での怨みのレヴューの発端になっている。

「何で」の方からから見てみると幼少期の香子はその文脈から当然「日本舞踊で」という意味で発言していた。しかし、聖翔入学以降は「スタァで」という意味に変化している。そして聖翔卒業後は香子が花柳流を継ぐ都合上「日本舞踊で」の意味に戻される。

次に「どうやって」の方だが、「日本舞踊で」の意味ならば名家の跡取りとして精進すれば自ずと達成できるだろう。

しかし問題は「スタァで」の場合だ。まず、聖翔祭でセンターになるというのがあるが、これは聖翔音楽学院内での話にすぎない。また、香子は卒業後すぐに日舞の世界に戻らなければならないため、社会人になってから時間をかけて目指すことも不可能だ。しかしそこにキリンのオーディションが現れ最後の願い次第ではかなり困難であるスタァとして世界で一番キラメくことかできる可能性がでてきた。ただ、結果としては合格できなかった。

卒業が刻々と迫り、スタァとしての約束の実現のタイムリミットが近づいていた香子は最後の希望としてその後誰よりもオーディションの再来を望むようになる。だからこそ劇場版でオーディションを過去の思い出としている他の人を受け入れられず、新国立見学の前日に他のキャラと対立してしまった。また、皆殺しのレヴューにおいてもオーディションへの待望のあまりそれを舞台ではなくオーディションとしか認識できなかった。

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しかし、香子にはスタァとしてではなく日舞の世界で約束を叶えるという代替手段があった。しかし、双葉が卒業後新国立劇場を受験し日舞の世界に戻らないというのが、香子を焦らせ、怒らせた。

キリンのオーディションが開催されない状況で「香子が世界で一番キラメき、その時に双葉が一番近くにいる」を果たすには日舞の世界に戻る他ないにもかかわらず、双葉が戻った先にいないのではこの約束の実現は不可能である。第6話のオーディションの中であれほどこの約束を訴えかけた張本人がこの約束を反古にする行動を起こしたのだから劇場版での香子の双葉に対する反応は至極当然であった。(さらに双葉に新国立を勧めたそそのかしたクロディーヌに対しても敵対心をむきだしている)

怨みのレヴューの中で香子は約束の反古について繰り返し言及している。これに対して双葉は当初、「香子の隣にいるためには追うだけでは不十分であり新国立に行ってトップを狙う必要がある」という「理屈」で香子説得しようと試みる。しかし、香子に理屈を捨てて本音晒せと言われたことを契機に双葉は理屈による建前を捨てて、「新国立でスタァを目指したい」という「本音」をさらけ出した。

さて、ここでなぜ本音を聞き出そうとしたのか。幼き香子が無邪気に言ったことに10年以上双葉は付き合っていたために香子自身忘れていたが、そもそも双葉が香子に付き従わなければならない理由はない。しかし香子は双葉に甘えそれを当たり前と考えていた。しかし、皆殺しのレヴューの中で大場ななから「列車は必ず次の駅へ。なら舞台は?私たちは?」と問いかけや、双葉の新国立志願でこの前提も崩れ、「約束」による縁も潮時だと香子は勘づいた。そこで香子は双葉が逃げるように新国立に行くことを許さず、本音をさらけ出し約束によって紡がれてきた縁を断つ「縁切り」をすることを落とし所としようとした。

しかしこれに双葉は「イヤだ」と言い張った。これに理屈は一切ない。

落とし所を否定された香子だが、このありのままの本音をついに受け入れ「ガキのわがままには勝てんわ……」という言葉とともに双葉の選択を受け入れたのだ。

また双葉も「約束かこ」と「自分の希望みらい」のどちらを優先すべきか悩んでいたが、飢えて渇く舞台少女の在り方に染まった双葉はもう京都にいた頃の香子について行くだけのやり方をやれなくなっていた。しかし香子に相談はできず独断で進路を決めたのは覚悟の弱さであった。そしてその後香子同様に皆殺しのレヴューで大場ななの「列車は必ず次の駅へ。なら舞台は?私たちは?」と問いかけで未来に進む覚悟を決めてこの怨みのレヴューに挑んだのだろう。

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劇場版は全体を通して卒業に向けた進路決めの様子を描いた作品だ。これはふたかおも例にもれず、2人を縛っていた約束を解消し幼なじみでありながらこれからは互いに別の道を行くという決定をしている。
このようにふたかおの約束は劇場版まで通して見ても果たされることはなく、むしろ最後は破綻し消滅しているとすら言える。

では約束を叶えたかれひかは成功者であり、約束が果たされなかったふたかおは敗北者だったのか?
結論から書けば最後はかれひかもふたかおも同じところに帰着している。かれひかは約束を成し遂げ目標を失う中で過去を燃やし未来に歩みを進めている。一方でふたかおは互いに潮時だと理解した上で約束を穏健な形で破綻させ、それぞれの進む未来に向けて歩みを進めている。これはまさに劇場版で大場ななが提示した「列車は必ず次の駅へ。なら舞台は?私たちは?」という問いの解答である。

スタァライトにおいてふたかおは約束を糧に舞台少女になりながら、かれひかと違い約束を叶えられなれず過去を越えられなかった舞台少女だ。しかしやがて覚悟を決めて他の舞台少女同様に新たな舞台を求めて新しい世界に踏み出していく。

幼い頃の約束に基づいたふたかおの物語は完結し、花柳香子と石動双葉の新しい物語が始まることでこの作品は完結している。



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