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【掌編小説】朝茶は七里に帰っても
「電車の時間まで、まだ時間はあるんやろう? お茶、飲んで行かんね」
「そうやね」
と返事してテーブルの椅子に腰かけると、母が茶筒の蓋を開け、急須に茶葉を入れた。サラサラ…っと小気味よい音が響く。続いて滑らかな手つきで湯冷ましの湯を注ぎ、そっと蓋を閉めた。
「この蒸らしが大事とよ。若い人は、お茶の入れ方も知らん。蒸らしも待たんで、すぐついでしまうけん、いかんっちゃんねえ」
お茶農家の嫁として半世紀以上生きてきた母は、お茶の淹れ方にうるさい。最近町内会で見た若いお嫁さんたちのお茶の淹れ方が気に入らなかったと、この間からぶうぶう言っているのだ。米寿を越えてもどうやら口だけは達者のようだ。
香里はふと、台所のテーブルに掛けられたレース模様のビニールカバーに目を落とした。香里の記憶では真っ白だったはずだが、今は黄ばみ、あちこちに染みがついている。板張りの床は色あせ、踏むたびにギシギシと鳴った。
香里が郷里を離れている四十数年の間、実家はすっかり傷んでしまった。子どもの頃は大きな家だったのに、今見ると手狭に感じるのはなぜだろうか。
香里は皿に盛られた甘納豆に手を伸ばした。「これって、まだ売ってるんだ」と思いながらそれを齧った。
甘納豆は、父の好物だった。
正面の空いた椅子に視線を送る。そこは父の席だった。「この甘かとが、お茶によく合うとよ」。父の笑顔が脳裏に浮かんだ。
コトリ。香里の前に湯呑みが置かれた。底が薄茶色になったそれは、肥前吉田焼だ。
懐かしい香りを吸い込み、ひと口含む。ふくよかで繊細な芳香が染み渡る。香里はふと、最近は濃いコーヒーをがぶ飲みしてばかりで、緑茶を飲んでいなかったことに気づいた。家の茶畑で父が育てた茶葉で淹れたものだと思うと尚更だった。
香里は高校を卒業後、福岡の短大に進学した。嬉野には高校より上の学校はない。進学するには町を出るしかなかった。
短大を卒業後は、博多のゴム製造会社に就職し、そこで出会った夫と結婚した。嬉野に帰ることなくそのまま福岡にいられることを、香里は心から喜んだ。若かった香里は、そのまま都会に居たかったからだ。
しかし還暦を過ぎた今は、どこに行くにも人混みが多い博多の街に、心身ともに疲れるようになった。もともと混雑が嫌いな夫は、定年退職後、ますます出不精になっていた。
一人娘はとうに独立し、家庭を持っていた。市内に嫁いでくれて良かったと、ホッとしたのも束の間だった。孫たちがいじめに遭って不登校になったり、発達障がいと診断されたりして、香里も気がかりが増えた。
最近は娘婿の会社がコロナで業績が傾き、看護師だった娘が、夜勤もあるフルタイムで働きに出なくてはならなくなった。独身以来の夜勤は体に堪えると、娘は会うたびに愚痴をこぼしている。何かと苦労の多い娘を手伝い、香里は毎日、自分のパートと孫の面倒でてんてこ舞いしていた。
そんな昨年の夏、八十八歳の父が胃ガンだと知らされた。少し前から体調がすぐれなかったのだが、コロナで受診が遅れ、見つかった時はもう手遅れだった。
市内の病院に入院したものの、闘病期間もわずかであっという間だった。父に先立たれ、一人暮らしになった母が気がかりではあったが、自分も忙しい。実家にはすっかり無沙汰していた。
すると、先日母から電話があり、足腰が弱り、独り暮らしが堪えると切々と訴えられた。母が弱音を吐くのを聞くのは初めてだった。自宅も茶畑も手放し、老人ホームに入りたいとまで言うので、香里は心配になり、年休を取り一人帰省したのだった。
「あんたも毎日忙しかごたるね」
「まあね。今、どこも厳しいとよ」
香里がため息をつく。
「やけど、ちゃんとお茶ば飲まんといかんよ。朝茶は七里に帰っても飲めって言うやろう」
「でもこの家なくなるやん」
「そりゃ、しょんなかたい」
母は物腰は柔らかだが、芯の強い人だ。
「これから、どこで朝茶を飲めって言うのよ」
香里はわざと意地悪な質問をした。母がふふと笑う。
「お茶が、あんたのふるさとたい」
この台所でお茶を飲めるのもあと何回だろう。母に「また来るから」と告げ、ボストンバックを下げて玄関を出た。タクシーに乗り、嬉野温泉駅に向かった。博多行きのホームに立つと、ほどなくしてかもめが滑り込んできた。
窓際に座ると、山裾に眩しい緑が見えた。絨毯のように青々と広がっているのは、茶畑だ。あの中に、父の茶畑もある。
香里は思わず目を細めた。茶畑の広がる山、とろとろと蕩けるような湯が沸き出る嬉野が、大好きだった。
結婚する前、夫は褒めてくれたものだ。
「嬉野っていいところだよね。香里は毎日嬉野のお茶を飲み、ここの湯に浸かってきたから、肌がきれいで美人なのかな」
技術職の夫は、緑茶にはカテキンやビタミンCが豊富だとか、嬉野の湯は炭酸が多く含まれるからだとか、美人になる要素を科学的に挙げた。
昔はそれなりの見栄えだった香里だが、六十を過ぎた今は、もう自分を美しいとは思えない。でも、嬉野が美人を育むのは、たぶん、そんな理屈ではないはずだ。
家に帰ったら、夫に相談してみようか。都会のゴミゴミした空気が合わないなら、娘一家も一緒にここに住むのはどうだろう。
みんなであの家のテーブルを囲んで、朝茶を飲もう。嬉野の里で。
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