人の域を外れたキャラクターに対する嫉妬について

ウルトラマンZ最終回見ました。エッ!?主人公のハルキくんは人間辞めたの!?嘘………

多分色んな人はZ最終回を絶賛したと思う。私も凄く好き。最高の最終回。
だけど「ハルキ君が人間を辞めた」(かもしれない)一点がしこりになって素直に喜べない…。

初めはモヤモヤとした言葉にならない感情だったものの、一日悩んだ結論は「嫉妬」でした。タイトルの通り。あと円谷とは考え方が違う。

Z最終回の感想とその後の苦悩をつらつら。長いので最後の章だけ読んでもらっても十分です。

(※小野不由美・作『魔性の子』のネタバレ含みます。あと『ウルトラマンルーブ』の微ネタバレも。)


Z最終回付近感想

いや〜美しく完璧な終わり方だったな。残された人類の総力を持って戦う人間賛歌!からの戦うヒーローを皆が応援する王道展開!そしてハルキくんの生き方を皆が肯定する終わり方!
は〜ありがとうウルトラマンZ。大好き。初めてリアタイしたウルトラマンがZで良かった。戦闘シーンに使うセットの細かい造形も大好き。最高円谷特撮。

特に最終回一話前は人類賛歌MAXで一番好みです。
ハルキくんはもうウルトラマンの力は使えない。ヘビクラ隊長はハルキくんの為に悲願を捨てた?(オーブ未視聴なのでよく知らない)ので怪獣に変身できない。戦力はウィンダムとキングジョーのみ。俺達の基地を取り戻してラスボスと戦おう!一致団結!
ラスボスが「文明が発達した星の奴等に脅威を与えてオーバーテクノロジーの武器を作らせ、その武器で星を滅ぼす」輩〜〜〜〜正義はどこにあるのか?
それでも人類の未来を信じ、オーバーテクノロジー(ウルトロイドゼロ)の域に至ってない人類の武器(キングジョーウィンダムセブンガー)を使いラスボスを倒す展開。人類讃歌〜!!!

ウルトラマンZの脚本を信頼してきて良かった……… 
でも当の人類讃歌を描いた脚本家(故・吹原幸太さん)は既に亡くなられている悲しさよ…………………
最終回のクレジットで「In memory of 吹原幸太」が最後に流れて泣いてしまった……

Z最終回の素晴らしさは色んな人が絶賛してnoteにも書いているだろうから置いておこう。


問題のラスト

もう人間の体ではウルトラマンに変身できないと言われたハルキくんは再度ウルトラマンZに変身する。Zの正体を知ったストレイジの皆に応援される中ラスボスを倒す。
変身解除したハルキくんの元に集う仲間達。ただしヘビクラ隊長だけは厳しい表情をしている。(ラスボス・セレブロの本体に気づいたのかもしれないが。)
最後はストレイジの皆に見送られて「ウルトラマンとして宇宙の困ってる人達を救います!」とハルキくんはウルトラマンZに変身し宇宙に旅立つのであった……。

変身制限が無くなっている=Zさんと一体化した=ハルキくんは人間を辞めたと考えられる。隊長が厳しい顔をしているのもハルキくんがウルトラマンになったから?
人類のハルキくんとウルトラマンのZくんが「それぞれの星で頑張ろう」と握手をしてお別れするラストを想定していたので私はビックリ仰天だった。

そもそも最終回一話前が好き!と前述したように「人類が人類の力を信じて戦う」人類讃歌が好きなので。ハルキくんが人間を辞めたと知って気持ちが萎え萎えになる…。
等身大の人間らしく生きるハルキくんが好きだったのに、人間やめたら台無しだ…。


「人間を辞める事」に対する認識

恐らく私と円谷制作陣とは人間を辞める事に対する認識が全然違う。

そもそも、ウルトラマンシリーズは人類とそれ以外の生命体を対等に見ている。人類は宇宙人の一種族に過ぎない。

異なる価値観や正義の宇宙人とでも「一緒に笑い合える未来を作りたい」と話す『ウルトラマンジード』の愛崎モア。
宇宙人どころかクリスタルという人外だったアサヒを家族として受け入れる『ウルトラマンルーブ』の湊一家。
「地球で不当な扱いを受ける宇宙人を助けたい。」と話す『ウルトラマンタイガ』の佐々木カナ。

私は彼女達の思想に感動してウルトラマンシリーズを信頼するようになった。宇宙人だろうと元人外だろうと地球人だろうとみんな平等。みんな“人間”。素晴らしい。


一方私の話。
ただ…それはあくまで同じ寿命の存在だった場合だ。ウルトラマンのように数光年生きるような不老長寿な超生命体は同じ“人間”として見れない。
“人間”ではない、私達より上位の存在として見てしまう。

この点、仮面ライダーシリーズ…それも平成ライダー1期の作品は私の感性に近い。
私達と同じ“人間”か、そうでない者か。そこで大きな線引きがされる。そして“人間”の域から外れた者はそれぞれの悲哀を抱えるのだ。…『クウガ』とか『555』とか『剣』とか『キバ』とか。

私にとって“人間”かどうか、一番の基準は寿命だ。私達と同じ時間を送るか、同じ時間感覚を共有するかどうか。(よく不老不死存在にテンションを上げるのもそのせい。)


私にとってはウルトラマン≠“人間”。
円谷制作陣にとってはウルトラマンも一つの種族、“人間”の一人。
これは致命的な感性の違いになる。

私はハルキくんが人の域を外れた事をとても重い変化だと感じている。異なる時間を生きる、異なる生命体になった彼。“人間”らしく等身大で生きる彼が好きだったのに…。
一方、Z最終回ラストではハルキくんの精神性は何も変わっていない、地球人だった頃と何も変わらい。円谷制作陣にとってハルキくんは単に種族が変わっただけなのだ。


〈閑話休題〉「ハルキくんが可哀想」について

どうやら「ハルキくんは可哀想」と言う意見もあるようだ。私は見たことは無く、TLでこの意見に激怒している人を見かけただけだが。人間を辞めて人間とは異なる時間を送る(かもしれない)彼が可哀想だと言う。

結論から言えば、私はハルキくんを可哀想と思わない。むしろ可哀想なのは彼を見送る側だ。

ハルキくんは自分の意志でウルトラマンとして戦って、自分の意志でウルトラマンとして生きる道を選んだ。彼の「できるだけ沢山の人を守りたい。」決意が叶えられるウルトラマンとして生きるのは最高の生き様だろう。ハルキくん個人のエゴで決めた生き様を可哀想とは思わない。

ただ…見守るしかできない仲間達からすればそんな生き様たまったものじゃない。
具体例で言えば、平成1期の某主人公達が上げられる。彼ら自身の戦う理由を持って孤独に戦い続けるヒーロー達。仲間達はそれを見守るしかできない。最終的に主人公が決定的な変化を遂げる際に、その生き様を選んだ彼に対して仲間達は非難できない。…非難する前に主人公は仲間達の前から姿を消すからだ。
中には人の域を外れた主人公も存在する。

その点で言えばハルキくんは良心的だ。ストレイジの皆の前で「行ってきます!」と別れの挨拶をし「また帰ってきます!」と再会の約束をする。おまけに「盆と正月」なんて具体的日程まで。
唯一ヨウコ先輩はハルキくんに不満を言っていい立場だ。ウルトラマンZに変身する片棒を担いだし腕相撲で勝ったら結婚する約束もあったのだから。
ただ、不満を言わず「行って来い!」とヨウコ先輩がハルキくんの背中を叩くのが二人の関係性らしい。

だからウルトラマンZに関しては、ハルキくんも見送る側なストレイジの皆も誰も可哀想ではない。

…話を戻そう。


『魔性の子』の語り部・広瀬への共感

「人の域を外れたキャラへの嫉妬」…今回で言えばハルキくんへの嫉妬について考える前に、同じく嫉妬を覚えた『魔性の子』を紹介する。今手元に無い為うろ覚えで申し訳ない。

『十二国記』シリーズで有名な小野不由美作。一応シリーズのゼロ巻に当たる。
『十二国記』は日本海沖に存在する異世界、蓬莱が舞台。その世界では麒麟という生まれながらの人外が人間達から王を選ぶ。王が善政を行う限り麒麟も王も彼に仕える家臣も不老長寿で、恒久的平和な統治をし続ける…という世界観だ。

ただし『魔性の子』の舞台はこの日本。
「ここではないどこかに居場所がある気がする」と飽和した日常を捨て去りたい青年・広瀬が語り部だ。
高校の先生をしている彼は、周囲から浮いている高里という生徒も同様に考えている事を知り共感する。
ただし、高里はかつて神隠しに遭った過去があり、周囲で怪異が多発していく。高里を非難した者、嫌った者、陰口を叩いた者が次々と死んで行く。周囲から悍ましい存在として見られ傷付く高里を広瀬は守り、二人で厳しい状況を乗り越えようとするが……。
実は、高里は蓬莱の麒麟だった。何の因果か日本にて生を受けただけで、正真正銘「ここではないどこかに居場所がある」存在だった。ラストで高里は迎えと共に蓬莱へと去っていく。広瀬は「おいて行かないでくれ!」と叫ぶも何も出来ず高里を見送る。

この物語を通して、私は広瀬に共感していた。「ここではないどこかに居場所がある」…いや居場所があれば良いのに、と希求しているのは私も同じだからだ。今いる居場所が嫌い。
だからこそ高里を広瀬から奪った十二国が憎い。そして高里が羨ましい。同志を連れて行かないでくれ。「ここではないどこか」に行けるなんて心底妬ましい。
広瀬も私も「ここではないどこか」へ連れて行って欲しい…だがそんな願いは叶わない。私達は特別ではない凡人だから。


「人の域を外れた存在」に対する嫉妬

やっと結論に辿り着いた。
私は『ウルトラマンZ』のハルキくんや『魔性の子』の高里に嫉妬する。
彼等は人を辞めた存在…「ここではないどこか」に行ける特別な存在だからだ。それは物理的に遠くへ旅立てるから、だけではない。

先述したように、私が“人間”とそれ以外を区別する一番の基準は寿命だ。
ハルキくんも高里も不老長寿の命を手にした。彼ら自身の生き方、彼ら自身の在り方の副産物として。
だが私にとってはハルキくんも高里も“人間”を辞めたと感じる。寿命が違う彼等は人の域を外れた“人間”ではない存在だ。

だから羨ましい。二人が妬ましい。私だって「ここじゃないどこか」に行きたい。人間を辞めたい。
人の身で今この場所で醜く足掻く生き様を肯定して欲しい。肯定してくれないと私は生きていけない……………。この苦しい憂き世を生き抜いていけない。

だから代わりに人の域を外れた、不老長寿のキャラクターに何らかの業を期待してしまう。孤独だったり狂気だったり。
人の域を外れたが故の報いや副作用が見たい。自分は不老長寿になれなくてもいいやって思い込みたい。


結論
“人間”を辞める事を否定して欲しい。
醜くくても必死に今を生きる私達“人間”を肯定して欲しい。



何故私がそこまで寿命の違いに固執するのか。
恐らく神話や歴史好きな趣味も関係しているだろう。
人類の歴史や人類の在り方を見届けたいけれど、こんなに苦しい人間社会で長々と生きたくはない。ならば神話存在のような、精霊のような存在になれればいいのに…と。
不老長寿=精霊のような存在、なのだ。


自分の中の嫉妬と向き合うのは辛い。
恐らく『ウルトラマンZ』も『魔性の子』含む十二国記シリーズも暫く見れないだろう。…自分の心の問題が理由で。いつか私が“広瀬”じゃなくなるまで。




無駄に長文になってしまった。ご清聴ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?