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彼女がスイスで尊厳死するまで(前書き)

前書き

「もう私は覚悟できているの。だから、あなたも早く覚悟して。あなたにしか頼めない最後のお願いなんだから。」

ベッドの横で寝ていた彼女がそっと呟く。

横を向くと彼女がまっすぐこちらを見ている。もう彼女の言葉に抗うことが出来ないと分かり、彼は黙ってうなづくしかなった。

エアコンの音だけが耳障りにうるさかった夜。

彼女がスイスで尊厳死をしたのはその年の暑い夏の日だった。

チューリッヒ郊外にあるDignitasの施設で彼女はひっそりと旅立ったのだ。

スイスにおける自殺幇助については、2019年にNHKスペシャルがドキュメンタリー番組『彼女は安楽死を選んだ』と題して放送した事を知る方も多いだろう。

この番組と関係があるかどうかは分からないが、ある一時期、彼女の夫の元には取材や講演の話があった。彼はすべてやんわりと断るか、聞こえないふりをしていた。そっとしておいて欲しかったのだ。彼はいまもこの番組を見られないでいる。

最期の夏、二人は思い出の地を巡る旅をして最終目的地であるZurichに到着する。日本人の通訳と一緒に医師による最後の診察を済ませた後、二人は高校生だった彼の娘と合流してZermattでバカンスを楽しんだ。

これから書く物語は、二人が結婚し、彼女が難病を発症し、医師に死の宣告をされ、病の進行とともに悲しみに暮れる日々の中でDignitasの存在を知り、死ぬ権利を獲得する事で人生の非常口を見つけ、自分で決めた残りの人生をしっかりと生き、そしてその権利を行使するまでの記録だ。

それは2009年冬に始まり、2016年夏に終わってしまう。

彼が必死になって手伝ったことは正しかったのか?

「死ぬ権利」は誰にでも与えられるべきものなのか?

その事を問いたくて今から二人の記憶を辿ってみる。

一人でも多くの方に読んで頂き、そして悩んで欲しいと思います。

※写真はスイスでの最期の朝に撮影したものです


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