分かり合えないことを分かり合うということ



* 「脱構築」とはなにか

「脱構築(デコンストリュクシオン)」とはポスト・構造主義を代表するフランスの哲学者、ジャック・デリダが提唱した手法で、既存の枠組みを「脱」して新しい枠組みを「構築」する事を言います。

「脱構築」の概念はハイデガーの「解体(デストルクチオーン)」の概念に由来しています。ハイデガーは「解体」を「破壊」と区別しました。「破壊」とは伝統を完全に無に帰してしまう事を言いますが「解体」とは現在支配的になっている伝統の系譜をたどり、伝統が隠蔽している根源的な源泉を解き明かすことを言います。

こうした「解体」をデリダは「脱構築」として洗練させて、今日の社会を支配している様々な階層秩序的二項対立の価値転倒を試みます。その一つに「音声=ロゴス中心主義」に基づく「西洋中心主義」があります。


* パロールとエクリチュール

コミュニケーションの媒体は一般的には音声言語(パロール)と文字言語(エクリチュール)に分けられます。そして前者が後者に優位すると言う考え方を「音声中心主義」という。

表音文字であるアルファベット文字の伝統では根源的なものとして「パロール(音声言語)」が優位に立ち「エクリチュール(文字言語)」は派生的なものとしてこれに従属するとされます。

デリダによれば、この「音声中心主義」は「ロゴス中心主義」と結びつき「西洋中心主義」として世界の思考を隠然と支配しており、構造主義的言語学の祖であるフェルデナン・ド・ソシュールも、西洋文明を批判していたはずの人類学者レヴィ=ストロースもこの「西洋中心主義」の思考から逃れてはいないという事です。

確かにアルファベットはまぎれもない表音文字であり「音声から文字へ」という動きは否定し難いわけです。そこでデリダは従来のパロールとエクリチュールの根源に「原-エクリチュール」を想定する事で「音声=ロゴス中心主義」を脱構築します。

ここでいう「原-エクリチュール」とは「原初の文字」とかそういうのではなく、言語を構成する諸差異を産出した「差異化の運動」それ自体のことです。

これをデリダは「差延(ディフェランス)」と呼びます。言語という構造の根源には差延という力動があるという事です。こうした事からデリダはポスト・構造主義に位置付けられています。


* 郵便モデル

そして1970年代のデリダは「弔鐘」「絵葉書」といった一見何を言ってるのかよくわからない奇妙な著作群を世に問います。そこで示されたのが「郵便モデル」というものです。

「郵便」には配達途中で廃棄されたり誤配されたり遅配したりするリスクが伴います。こうした「郵便モデル」によってデリダはコミュニケーションの在り方を脱構築するわけです。

一般にコミュニケーションは音声言語による「直接コミュニケーション」と文字言語による「テレ(遠隔)コミュニケーション」に区別されます。

直接コミュニケーションは対話の送り手と受け手は直接対面している事から話し合いによっていつかは相互理解による合意に達するとみなされます。

デリダの郵便モデルはまさにそうした想定を脱構築する。デリダはコミュニケーションとは総じてテレコミュニケーションとして理解します。全てのコミュニケーションには常に隔たりが生じる。面と向かって話合えばきっとお互いわかりあえるいうのは素朴な幻想に過ぎない。我々は理解したつもりがつねに誤解している。音声言語による直接コミュニケーションも郵便モデルから逃れられないという事です。


* 分かり合えないことを分かり合うということ

「脱構築」が明らかにするのは言語の持つメタゲーム性です。言語はその解釈によってどんな意味でも引き出せるため、議論や対話といったコミュニケーションはどんどんメタ的に展開していくことが可能であるという事です。

例えば誰かから「お前がやっていることは正しくない」という非難をされたとしたら「では正しさとは何か」「お前に正しさを問う権利があるのか」などと、少なくとも論理的にはいくらでもメタレベルで反論することが可能です。

つまりコミュニケーションとは終わりなきメタゲームとも言えるわけです。我々はなんとなく「正しい/正しくない」という二項対立で世界を切り分けて理解しようとしますが、こうした二項対立は常に転倒させられる可能性を孕んでいるという事です。

こうなるとむしろコミュニケーションにおいて重要なのは「正しい/正しくない」の二項対立ではなく「正しくなさ」同士の共存という事になるのではないでしょうか。

いわば人は常に分かり合えないことを分かり合うということです。人はお互いに決して分かり合えないという前提から出発して行くしかない。けれど、そんな分かり合えないもの同士でもどこかで手を取り合うことはできるかもしれない。コミュニケーションとはそんな小さな可能性に賭けていく試行錯誤の積み重ねでもあるんだと思います。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?