しなやかに依存するということ

* 「自立」と「依存」

「自立」と「依存」はしばし、正反対の関係として捉えられます。「自立」は「強さ」や「成熟」といった「良いこと」であり、「依存」は「弱さ」「未熟」といった「悪いこと」であるというイメージです。

「自立」を過度にモデル化・理想化してしまい「自立しないといけない」「依存してはいけない」と強迫観念的に考える生き方は苦しいものです。「自立できない自分」が嫌で仕方なくなってきて、それは諸々の「生きづらさ」として現れてきます。

けどそもそも「依存」ってそんなに悪いものなのでしょうか?あるいは「自立」とは「誰にも頼らず一人で生きていける力」のことなんでしょうか?そんな「自立」が世の中には存在するのでしょうか?

「自立」と「依存」とは決して二者択一的な関係ではありません。むしろ両者は相互作用的な関係性にあるといえます。


* 鏡・理想・双子

この点、自己愛性パーソナリティ障害の研究で著名なアメリカの精神科医、ハインツ・コフートは、「自己」と「自己対象」の関係性の観点から「依存」の重要性を強調します。

コフートは人が自らの「パーソナルな現実」を成らしめている源泉を「自己」といいます。

そして、コフートによれば自己の中心(中核自己)は「野心の極」と「理想の極」から二つの極から成り立つ構造を持っているという。

子どもは「野心の極」により生じる「認められたい」という動機に駆り立てられ、「理想の極」により生じる「こうなりたい」という目標に導かれることで、初めて健全な成長が生じるということです。

この「野心の極」と「理想の極」を確立させるに不可欠な要素、これが「自己対象」です。

自己対象とは自己の一部として体験される人や物といった対象をいいます。

「野心の極」を確立させるのは賞賛や承認を与えてくれる自己対象です。これを「鏡映自己対象」という。「理想の極」を確立させるのは生きる目標や道標を与えてくれる自己対象です。これを「理想化自己対象」という。

こうした「自己対象」に恵まれなければ人は不安に満ちて傷つきやすく尊大な人間になってしまう。つまり健全な「自己」を確立するには「自己対象」の存在が必要不可欠ということになります。

さらに、コフートは晩年、鏡映自己対象・理想化自己対象とは別の第三の自己対象の存在を指摘する。これが「双子自己対象」と呼ばれるものです。

双子自己対象は、野心の極から理想の極へ至る緊張弓に生じる「技倆と才能の中間領域」を活性化させる作用を持つ「私もあの人も同じ境遇の人間なんだ」と実感させてくれる自己対象です。

つまりコフートのいう、健全な「自己」とは、「鏡映自己対象」により「野心の極」が確立し、「理想化自己対象」により「理想の極」が確立し、「双子自己対象」によって「技倆と才能の中間領域」が活性化する事で成り立つものだといういうことです。

逆にいうと、これらの三極が機能不全に陥る事で「自己の断片化」が起こり、結果、数々の精神疾患が生じてくるということになるわけです。


* 「未熟な依存」から「成熟した依存」へ

このようにコフートによれば、健全な自己とは常に自己対象との関係性の上に成り立つものであり、「誰にも頼らないで生きる」という「自立」した態度というのは自己対象との関係を拒絶して自分の殻に閉じこもった態度とさえいえるでしょう。

つまり自立が良くて依存が悪いという捉え方は適切ではなく、問題はいかに「未熟な依存」を脱して「成熟した依存」へ向かうかという事です。

周囲のひとやモノや環境といった自己対象に振り回されず、状況に応じて、しなやかに依存できるというスキルは、決して弱さなどではなく、むしろ生きていく上で不可欠な強さであるということです。

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