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『存在と時間』から遠く離れて

*『存在と時間』という未完のプロジェクト

20世紀最大の哲学者の1人に数えられるマルティン・ハイデガーの主著『存在と時間』は刊行後、国内外に大きな反響を呼び起こしました。しかし同書はもともと上下巻に分けて刊行されるはずでしたが、実際に刊行されたのは上巻のみとなっており、結果、同書が本来の目標として掲げていた「存在の意味」の解明も実際には果たせないままで終わっています。

周知の通りハイデガー哲学の根本課題は「存在の問い」にあります。この「存在の問い」には第一に「存在」の根源的な意味を明らかにすることと、第二にそのようにして解明された「存在」の根源的な意味を基準として伝統的存在論の存在理解の特徴を明らかにすることという二つの課題が含まれています。そして『存在と時間』では第一部において第一の課題が取り上げられ、第二部において第二の課題が取り上げられる予定になっていました。

こうしたことから『存在と時間』の第一部は「現存在の時間性に向けての解釈と、存在への問いの超越論的地平としての時間の解明」と題されています。すなわち、この第一部の究極目標は「存在の意味」を「時間」として解明することにありました。これに対して『存在と時間』の第二部は「テンポラリテートの問題性を手引きとした存在論の歴史の現象学的破壊の基本的方向性」と題されています。すなわち、この第二部では「存在」の根源的な意味が「時間(テンポラリテート)」であるという観点から伝統的な存在論で論じられてきた存在の基本的な特徴を明らかにした上で、その限界を画定する作業が行われるはずでした。

ところが現行の『存在と時間』には第二部自体が存在せず、それどころか第一部の表題後半にある「存在への問いの超越論的地平としての時間の解明」も行われていません。これらはすべて未刊行の下巻で論じられる予定だったからです。つまり現行の『存在と時間』では第一部の表題前半にある「現存在の時間性に向けての解釈」だけしか論じられていないということです。

*『存在と時間』は何を論じていたのか

この点、現行の『存在と時間』で論じられている「現存在の時間性に向けての解釈」とは第一部の目的である「存在の意味」を「時間」として解明するための準備作業である「現存在」の実存論的分析のことを指しています。ここでいう「現存在」とは「人間」という存在者を指しています。つまり、ここでハイデガーは「現」に「存在」が生起する場としての人間に固有の「実存」を分析することで「存在」の意味を明らかにしようと考えていたということです。

こうして同書第一部第一篇ではまず現存在が「世界-内-存在」と規定されます。ここでハイデガーはかの有名なハンマーの例をあげて「世界」を現存在と道具との「目的-手段連関」として捉え、こうした「世界」のうちにおのれ自身を見出す現存在を「世界」に関わる「内-存在」として「情態」「了解」「語り」という三つの側面から論じ、続いて現存在の非本来的なあり方としての「平均的日常性」が「おしゃべり」「好奇心」「曖昧性」の三つの側面からなる「世人」の「頽落」として描き出され、こうした分析からハイデガーは現存在の固有な能力を「(内世界的存在者)のもとでの-存在-として、おのれに-先立って-すでに-(世界)-のうちに存在すること」である「気遣い」として捉えます。

そして同書第一部第二篇では「現存在」の本来的なあり方が論じられます。ここでハイデガーは現存在が「良心」からの「気遣い」を求める呼び声により「負い目あること」を受け入れ「良心を-もつことを-欲すること」を選び取った時「死へ関わる存在」としての「可能性への先駆」を引き受けることを決意する「先駆的覚悟」に至るといい、さらに現存在における「気遣い」の存在論的意味を「将来」「既往」「現在」という三つの契機からなる「時間性」として捉え直し、このような「時間性」における三つの契機は「地平的図式の統一」へと超出する構造を持った「脱自態」であるといいます。

*『存在と時間』はなぜ未完となったのか

ここから『存在と時間』第一部第三篇では「時間性」が超え出ていく行先である「地平的図式の統一」が「存在の意味」として最終的に析出されるはずでした。しかし同書はそこに到達することなく、未完のままに終わってしまっています。

ハイデガーは「存在への問い」の着想に至ったとき、人間をとおして世界へというそれまでの哲学の典型的な手続きに則ってその問いを定式化しようとしていました。つまり、まずは現存在の存在を押さえた上で、そこに「存在」がどのように現れるかを現象学的に記述するという仕方で「存在」という事象を明らかにしようと試みたのでした。

しかし現存在を起点として「存在」に接近するという方法を取ったことにより、「存在」を主観的意識の構成物とする超越論的哲学との違いが見えにくくなってしまいました。そもそも「存在」という概念は決して主観には解消されない「この世界」そのものの生起を捉えようとするものでした。しかし『存在と時間』の手続きではそのような「存在」が主観的意識の産物であるかのような印象をやはり与えかねません。

ハイデガー自身『存在と時間』の刊行後、ほどなくして、現存在の分析を経由して「存在」を明らかにするという同書の問題点を明確に意識するようになります。そしてその後は現存在の実存論的分析を介さずに「存在」という事象を直接的に示すことを試みるようになります。

もっとも「存在」を直接、語ろうとするこのハイデガーの試みは直ちに成功したわけではありません。むしろ『存在と時間』以降のハイデガーの思索はこの課題の成就に向けて試行錯誤を繰り返しながら少しずつ歩みを進めていくプロセスであったといえます。

* 時間と空間の拡がりとしての「存在者全体」

このような「存在」そのものを直接的に示すための試行錯誤を経てハイデガーが主観性の哲学の影響圏から完全に脱却し、「存在」という事象にふさわしい語り口を見出したという確信に到達したのは、彼自身の証言によればようやく1936年になってからです。

『存在と時間』刊行後から1936年までの間の時期における試行錯誤の時期のハイデガーは「存在」を「存在者全体」として捉え直すようになります。この表現によって「存在」の生起が単なる意識の表象ではなく、むしろ現存在を取り巻く「世界」そのものの生起であることを強調して示そうとしました。

『存在と時間』では「存在」が「時間」の拡がりとともに生起することが特に強調されていましたが「存在」を「存在者全体」の生起と表現することで「存在」の生起が「時間」の拡がりのみならず「空間」の拡がりでもあることを明示しようとしていました。

そして、この時期において彼は「存在者全体」を「形而上学」とも呼んでいます。つまり彼は自身の問題設定をここでは明確にアリストテレスに端を発する西洋の伝統的形而上学の系譜に位置付け、近代の主観性の哲学から明確に距離を取ろうとしました。すなわち自分の問いが意識的主観の内容を記述するものではなく、人間をとりまく「世界そのもの」を主題にしているのだということをこの「形而上学」という言葉で明示しようとしたわけです。

この「形而上学」において注目すべきは古代ギリシアへの還帰というモチーフが強く打ち出されている点です。つまりハイデガーは「存在者全体」についての考察を古代ギリシアの「ピュシス(自然)」についての知を取り戻すことと位置付け、ここでいう「ビュシス」の本質を「生長」という動的側面のうちに見て取り「ピュシス」を「存在者全体がおのれ自身を形成し支配すること」と規定するのでした。

* 存在の意味から存在の真理へ

そして1936年になるとハイデガーは自分の思索の語り口を大きく変化させました。この時期からハイデガーは自身の立場を「形而上学」と呼ばなくなります。逆に「形而上学」という語は古代ギリシア哲学に端を発する「存在忘却」をその本質とする西洋の知の伝統に対する呼称としてのみ用いられるようになります。つまり「形而上学」は克服されるべきものとして位置付けられることになったわけです。

また、それまでの「存在者全体」という言い回しも使われなくなります。「存在者全体」という表現ではどうしても存在者の集合をイメージしてしまい「存在」の生起に含まれる動的側面が抜け落ちてしまう上でに「存在者全体」というと、やはり人間の前に立てられた対象と誤解されてしまう恐れがあったからです。

そこで彼はかつて『存在と時間』において「存在の意味」と呼ばれていたものを「存在の真理」と言い換え「存在」がまさに「存在」として現れる動的で出来事的な性格を改めて強調し「存在の真理を単純に言おうとする試み」において「存在」を「出来事」や「事件」を意味する「性起」という術語で捉えようとしました。

そして同時に『存在と時間』で示された「存在への問い」におけるもう一つの課題であった「存在」を隠蔽し、その生起を妨げている伝統的な思考様式の特質を「存在の歴史」として一定の時代区分に沿って、より具体的かつ明確に捉えられるようにります。

この点、ハイデガーは西洋形而上学が問題としてきた存在を自身のいう「存在」と区別すべく「存在者性」と名指し「存在の立ち去り」をその本質とする「存在の歴史」を「作為性」の支配と特徴付け「存在の歴史」とは形而上学における「作為性」という本質が主に現れてきて、ついに近代になり全面的に発揮されていく過程として捉えます。

*「存在」の消滅から世界との「調和」へ

さらにハイデガーは1950年代になると、それ固有の「存在」においてあらしめられた存在者を「もの」として主題化するようになります。彼によると「もの」は「大地」「天空」「神的なもの」「死すべき者」の四者からなる「四方界」としての世界のうちにおいて現れます。したがって「もの」の考察は自ずと「四方界」としての「世界」を主題化することに帰着します。

そして、この時期になると彼は「存在」という言葉をまったく使わなくなります。すなわち、ハイデガーはその思索の最終段階において、自身が「存在」として主題化しようとしていた事象を「存在」として語ることさえも不適切であると認識するようになりました。

その一方でこの時期からハイデガーは彼の故郷であるアレマン地方出身の詩人ヨハン・ペーター・ヘーベルについての講演を繰り返し行うようになります。ハイデガーはヘーベルの詩のうちに示された彼の「根本気分」においては「憂鬱と明朗さ」という矛盾したものが均衡を保ちつつ両立しているとして、その両者は「目立たぬもの」の語りかけに対する信頼に基づいているといいます。

この「目立たぬもの」はハイデガーがかつて「存在」として主題化していた事象を指しています。つまり、ここでは「存在」を担う根本気分が問題にされているということです。そしてハイデガーはこの「根本気分」は「das kuinzige(飄逸さ)」という語によって意味されているといいます。

そして、ハイデガーはこのような「飄逸さ」をある種の「知」として捉え、このような「知」は「野の道」から得られるものであるといいます。ハイデガーはこの「野の道の語りかけてくること」に耳を傾けることを求めます。この道においては冬の嵐と夏の実り、春の息吹と秋の死、子供の遊びと老人の知恵、これらが対立しながらもお互いがお互いにとって欠くことのできないものとして高次の調和を形作っています。こうした「調和」が「野の道」においては目立たぬ形で生起しているとハイデガーはいいます。

我々は得てしていま目の前に現れているものだけに目を奪われ、それをなんとか避けようとしたり、逆にそれに固執したりします。しかしいま眼前にあるものは実はその反対のものと隠された「調和」を形作っているということです。

この隠された「調和」は我々の生を制約するものとして、ときに我々を「憂鬱」にしますが、そこには同時に己の運命を明めることとしての落ち着いた「明朗さ」も含まれているわけです。かくして「目立たぬもの=存在」を担う根本気分は「憂鬱と明朗さ」の「調和」として捉えられることになります。

『存在と時間』以降のハイデガーの「存在」の思索の果てにたどり着いたもの。それは畢竟、世界との「調和」でした。そしてそのような「調和」とは「野の道」というような極めて小さなところから生まれてくるものであったということです。こうしたハイデガーが辿り着いた境地からふたたび『存在と時間』を読み返した時、そこにはきっとまた、新たな発見があるのではないでしょうか。








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