4月20日 頭が悪いうえに鈍感です

今日は演劇のワークショップへ行って参りました。もちろん手洗いうがいなど感染症予防を徹底して。
演技が不要不急でない俳優たちの為にこのご時世でもワークショップを開いてくださっている団体もあるのです。
正直私にとって演技が不要不急であるかどうかは、演技がなんたるかをわかっていないのでわかりません。意地と思い込みで行ったんだと思います。アホです。そして、ああ私はほんとになんにも知らなかったんだなと打ちのめされて帰って来た次第であります。頑張ります。果てしないです。

聞いたこともない言葉ばかりで、(もしくは知っている言葉の持つ意味がひっくり返ったようで)頭がパンクしていました。ほぼできなかったと言っても良い。頭でわかるものじゃなかった。これから覚えていくしかない感覚なんだ。今まで私は生きていなかったんじゃなかったのかとさえおもう。気絶でもしていたんじゃないかと。五感を使うこと、体をひらく、ずらす、リラクゼーション…一瞬一瞬を新鮮に感じるための訓練。今今今今!あれわたし、今を生きたことがあるっけ?わからん。ずっと過去があり、未来をみていて、それを目標とかいって今を生きてはなかったのかな。命を無視していたのかな。それだって確信できない。私なりに一生懸命生きた自覚はあっても気絶をしていた覚えはない。

私は私を救う為に殺陣をやっています。いや、わかんないですけどそれすらも。だけど使うべきエネルギーって私より外側遥か天空と足元に伸びていてる植物のように根を、枝を伸ばしている、客観視しない遥か彼方の神の視点、ご先祖様のエネルギーなのだそうです(?)

殺陣をやっているときはそんな事考えたこともなくてただひたすら反復練習での外的訓練。勿論それが絶対に、美しい立ち回りをするために大切であることは先輩方の普段の稽古やパフォーマンスを見ればわかる。
ただただ見えないものをなかったことにしていたことに恥じた。今の為にやらなかった。自分の記憶だけだった。今を求めたこともないのだ、きっと。
第一線に立つ俳優はそんな事をやっていたのか…遠いよ…

はやく身に付けたい。わかりたいです。

祈ります。


以上