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祖母の二十七回忌にて

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「雪江、まだ白髪増えだなあ」

従兄の運転するおんぼろの軽自動車から降りて私に会うと、叔母は開口一番そう言った。

先日の日曜、父方の祖母の二十七回忌だった。秋晴れの空の下、隣市への旧街道沿いにある寺に、家族親戚が集った。

集う、といっても出席するのは父母、弟家族、叔母と従兄、そして私たち夫婦のみ。寺でやることもただ住職に経をあげてもらい、そのあと実家で軽く飯を食べるくらいのものだ。

寺務所の応接間にまずおじゃますると住職の奥さんに出迎えられ、茶を振る舞われた。ひとしきり挨拶しながら、今日の法事の志を父が渡す。奥さんはうやうやしく、だが慣れた手つきで封筒を受け取ると、早速領収書を切った。その様子を法事があるたび冷ややかに見つめてしまう自分がいる。ごく普通の茶が、なんだかひどく味気なく生ぬるく感じるのも毎回だ。

従兄がたびたびくしゃみをしている。聞くと今年から花粉症になったという。確かお盆に会った時もそんな話をしていた。今はブタクサの花粉がひどいとか。花粉症は突然なるからな。従兄が涙目をこすりつつ、おどしみたいに言う。それにつられたのか、反対側で義妹の膝に座っていた甥がくしゃみをした。皆が笑うなか、隣にいた姪が静かにしないと、とたしなめていた。

姪は今年小学四年生。紫のフレームの眼鏡がかわいらしく、思わず微笑みかけるが、あわてて目をそらす。姪と甥にはあまり関わらないと自分のなかで決めているが、隣ではパートナーが大丈夫かい、と屈託なく笑っている。

本堂にうつる。黒い板張りの廊下をずるずるとはっていく。はいてきた黒のズボンにたちまち埃がまとわりつく。本堂につくと、知らぬふりしてズボンをはたく。そうしているうち住職があらわれる。あちこちの電気式のろうそくのスイッチをぱちぱちつけてそれらしき灯りをともし、厚くてきんぴかの座布団に座ると、経を読み上げはじめた。

それに合わせて、私たちも順に焼香をする。私の番がくると、お香をたっぷりつまんで焼けた石にふる。たちまち煙が濃くたちのぼる。お香を奮発するのは私の法事での恒例だ。このお香にも実家のお金が入っている。遠慮することはないのだ。

読経の間、本堂をながめる。祭壇の正面に、香やかつて使われただろう本物のろうそくの煤でいぶられた立像の阿弥陀仏。両隣には蓮如、聖徳太子、歴代の浄土真宗の高僧たちを描いたらしき掛軸。法事ははっきり言って好きではないが、こうしたものを眺めるのは好きだ。

かつて若い頃はよくお寺巡りをした。朝から上野の国立博物館に出かけ、薬師寺本堂の日光、月光菩薩像を目にしたのは人生の宝だ。いろんな寺の何十年ぶりの秘仏ご開帳なども足しげくみにいったし、御朱印もそれなりに集めた。そういえばここのはもらってない。まあ、あまり欲しくもないが。寺嫌いの仏好き。ひとなど矛盾のかたまりと、意味のない答えを出す。

ただ今、こうしてひたすら眺めているるのは、ひとえに本堂が寒いのをごまかすため。畳がやたら冷えていて、何度も手をもみほぐす。さすがに息までは白くないが、体感としては冬みたいだ。カイロを持ってくればよかったと思う。

なまんだぶなまんだぶ。手がかじかみかけたところで、読経がおわる。住職が下がるとさっさと這い出す。寺務所の応接間にはすでに次の法事のひとたちがいた。一声礼をして、やはりさっさと出る。車いすに乗り外に出ると日の光があたたかく、ほっと息をつく。

本堂わきの小道から、墓地へと向かう。途中にいちょうの大木があり通るたび見上げる。まだ黄葉にははやいが葉の緑はだいぶ弱々しい。なんとなく自分のようだと、ふと思う。視線を下げる。いちょうの後ろに、そのあたりの石を立てただけみたいな小さな墓石が湿った土の上にある。いつ墓参でおとずれても、この墓に花や菓子がそなえられているのをみたことがない。ただ、いつもそこにあるだけ。いちょうとおなじように。

墓地に着くと、姪と甥が真っ先に奥にある古い小屋に走り出す。柵のある入り口から、ひょいとポニーが顔を出した。寺が経営している幼稚園の子供たちのため昔から飼われている。運動会やお遊戯会などで、小さな馬車に子供たちを乗せて遊ばせるのだろう。

姪と甥がポニーの頭をこわごわと、でもにこにことなでる。ひとになれているらしいポニーはおとなしくさわらせるがまま。

「あの子は、会うたびイケメンになるずね」

遠巻きに私とその様子を眺めていた叔母がほのかに笑う。んだずね、と私も応じ、そこから近況を話し合う。私の体調、叔母の体調。なんとなく叔母とは昔から波長が合うというか、話しやすい。死んだら骨なんてそのへんにまいてくれていいなあ、と以前言ったら、んだずねえほんとだよ、と、うなずかれたことがある。

祖父と祖母のいる墓に花を供え、お香を灯し、手を合わせる。少し祖母の記憶をさぐる。

晩年は心臓を患って右半身がまひし、母の介護を受けて過ごした。家のなかでは杖をついて歩いていた。なぜかプロレスが好きだった。中学生だった私は、当時土曜深夜に放映していた中継を録画し、日曜に観る習慣があった。ビデオをセットしていると、「お、プロレス観るのが」と隣の寝室から杖をついて歩いてきて、居間の椅子に座った祖母と共に観た。ヘビー級より動きのはやいジュニア級の試合を祖母は好んだ。場外へ落ちた相手へ、コーナーポスト上からのダイビング・ボディプレスが決まったりすると、顔をしわくちゃにしてはしゃいでいたものだ。

墓参をおえると、私はここで帰ると皆に告げた。体調も悪いし、自己導尿の時間でもある。じゃまた、と、皆を見送る。手を振る姪と甥に手を小さく振りかえす。次会う時はまた大きくなっているかと、いつも思うことをまた思う。

家に戻りトイレをすませると、早速テレビをつける。今、なにより楽しみにしているメジャーリーグのワールドシリーズを観るためだ。幸い、まだ序盤だった。シーソーゲームの末、歴史上に残りそうなとんでもない幕切れに思わず手を叩き、久しぶりに笑い、興奮した。もう法事のことは、頭の片隅にもなくなっていた。

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